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12:認知症を介護する人の人権

そんな日々に疲れ果てている時、加入している生協の機関紙の特集が目に止まった。
「社会は介護をどう支えられるのか『介護する人』への支援」
映子が欲しているのは、まさにこれだ。病院に行けば、大吉には色々尋ねる医師も、映子には、何も聞かない。症状や生活については本人が回答できないので、映子に尋ねるが、映子はどうなのか、体調も精神状態も聞かれない。認知症の患者と介護者は、普通の病気の患者とその家族とは違う。すべての時間を使って、睡眠時間まで犠牲にしてお世話しなければ、暮らしていけない2人3脚の状態なのである。意識がはっきりしていて、自分のことを自分で考えられる患者との生活とは全く違うのだ。
映子は、病院に行くたびに、疎外感を覚えていた。それは、介護する人の人権、生存権が侵害されているにも関わらず、誰も介護者を助けることなど気にもとめない制度そのものの、不条理についてだった事に気がついた。

要介護になれば、デイケアやショートステイなどで本人はケアされるが、介護者は、その時間休む暇など無い。大吉がいない間に、出来なかった家事、会計や手続き、必要な買い物もしなければならない。しかもサービスを受ければ、支払いが嵩む。どこをどう切り詰めれば、介護サービスを増やせるのか。会計と自分の体力との微妙な駆け引きが続く。
お金が足りないなら生涯働けと国は言うが、介護者となれば、それは不可能だ。仕事と介護が両立できず殺人に至った事件も、もうどうしようもないと一家心中した事件も、介護者の自殺も、報道されないたくさんの悲劇が起こっている。

他人事ではない。
映子もまた、いつどうなってもおかしくないと思い続けている。税金と、介護費用を払ったら、家で食事もできない日が来るのではないか。映子の心も、何か壊れてしまっているので、これ以上幻視・妄想がひどくなっていって、自分が怒りを通り越して絶望してしまったら、何をするかわからないと感じている。雪山ならどこが良いだろうと、時々頭をよぎるのだ。身体にぽっかり開いた空洞は、「希望」と「自尊心」が吹き飛んだあとなのかもしれない。
ブッダの言う悟りの境地になれば、何事にも心動かされず、どんなことが起ころうと心は平安を保つという。悟りの境地とは、平安とは、ただただ幸せな喜ばしい境地だそうだ。今こそ悟りたいと映子は思う。瞑想を続けたら、いつかそんな境地に成れるだろうか。

見えないものを見る、ありえない状況を信じこむ、自分のすることを覚えていられない、そんなギザギザで不快な波動を撒き散らして生きる人と一緒にいても、それを平安の境地で過ごすことができるようなったら、介護自殺なんて無くなるだろう。高僧は数多いれど悟った方はどのくらい居られるのか。
自分が追い詰められると、心のなかで神様に助けを求めたりするくせに、特定の宗教を持たない映子だった。大吉も特定の宗派に属してはいないが、幻視・妄想の中に神がかったことも無いので、きっと神に祈ることすらないのではないだろうか。人間死んだら終わり思想の持ち主である。映子は、輪廻転生を信じているので、煮えきらず自殺も出来ないのは、そのせいもある。心の奥で、自殺はしないほうがいい、と信じている自分がいるのだ。
自分が思うほど、自分は強くない。何らかのきっかけで落ちていくときはあっという間だろうと思っている。でも、その時はその時だ。いつ死んでも映子に悔いはない。なにせ、胸に大きな空洞があるのだ。もう、十分だ。

完全に薬を抜いて、グルテンフリーにしてから4ヶ月。幻視・妄想はあるものの、せん妄は少しトーンダウンしている。暴力に至ることはなくなった。家にいるととにかく座って何もしないので、家族会で紹介していただいた、ピンポンの会に参加する。とにかく動くことを日々目指して、散歩も欠かさないようにしている。どの認知症の本にも書かれていない「薬を完全に抜いたレビー小体型認知症」が、これからどう進行していくのか、全く未知の道程をこれから歩いていくのだ。何が起こるか。現実はいつも想像を裏切り、予測もできない未来を見せる。徒労かもしれない。でも他に思いつかないので目の前にあることを試していくだけだ。

幻視・妄想のある人を扱える介護施設は、なかなかない。2度目のショートステイも、なんとかこなせたのだから、今の施設はこれからも利用できる見通しが出来た。介護施設と支払えるお金のシーソーゲームはまだまだ続いていく。
ショートステイから帰ってきた次の日の朝ごはん。
グルテンフリーの食パンの薄切りトースト、目玉焼き、トマト、レタス、豆乳ヨーグルトとバナナにシナモンを掛けたもの、ミルクティー。バッチフラワ・レメディートとビタミン剤B12。
大吉は、ひとくち食べて、
「ああ、懐かしいなあ。懐かしいというのも変だけれど、この朝飯が食べたかったんだ」
と言った。映子は、たった2泊3日なのに、と思う。
冬の朝日が、食卓に弱い光を添えている。今は、正気なんだろうか?

初めてのショートステイの様子は、施設からの連絡シートに書かれている。大抵は、テレビを見て過ごしていたようだが、荷物を持ち歩いたり、おやつ用のフォークで、人を刺そうとしたり、職員を転ばせようとしたりもしていたようだ。帰宅させないのは、職員が悪いとでも思ったのだろうか。

ショートステイや、デイケアを使えるのはありがたいが、費用はばかにならない。介護費用は複雑な計算をする。要介護認定と本人の収入金額で、利用金額が変わる。要介護認定の数字が大きくなるほど高くなり、本人の収入が多いほど高くなる。同じ介護サービスを受けるのに、最低ラインならば、400円なのに、一般ランクだと1000円になったりする。大吉と瑛子が同じ介護サービスを受けるとすると、大吉は、一家の生活費をすべて収入に換算するので、高額収入になってしまい、一回1000円以上出さなければならない。方や瑛子は、サラリーマンの奥さん年金で年金額が少ないので400円で受けられるという具合だ。同じ世帯なのに、この違い。大吉を施設に入れたら、瑛子の食費はおろか税金も納められなくなりそうである。そうなったら野垂れ死ぬしか道はなさそうである。認知症になったのが瑛子なら、瑛子が施設に入っても、大吉は、余裕で食べていける。なにか、おかしくないかこの計算。その施設、通称特養、「特別養護老人ホーム」は、一軒の特養に5~600人待機者がいるそうだ。結局、施設に入る順番待ちしつつ、亡くなっていく方も多い。
その施設も、最近は、要介護三以上でないと入る資格はなく、待ち人が多いので、実際は、要介護四以上でないと入ることができない。
現実を知れば知るほど、暗澹とした気分になってしまう。もちろん、お金のある人は別である。月に15~20万円以上でも出せるという人なら、特養を待つ必要はない。高い施設なら空きはあるから、すぐにでも入れるだろう。だから、映子の場合は、なるべく家で頑張らないとならないのが現実なのだ。しかも、これだけ精神的に大変なのに、大吉はまだ、要介護1なのだ。次の認定は、来年の1月末になるだろう。あと四ヶ月。すでに、瑛子の精神は、壊れ始めている。いつまで持つのか、自分でもわからない。
今日までの五年間に、病院や薬、公的制度、食事のとり方、サプリメントいろいろな取捨選択をしながら、幻視、妄想を少しでも減らせないかと手を尽くしてきた映子だが、もう、体力も気力も限界を感じている。
そして、幻覚、妄想は、改善しないという現実を受け入れるしか道はないと悟った。
なんとかならないかと、漢方の医院を訪れたとき、開口一番
「認知症は、治らないんですよ」
とはっきりと言われた。
この一言は、強烈なボディーブローだった。足元がグラグラし、リングに倒れ込みそうになった。
そんな事はわかっている。
わかっているが、幻視、妄想と付き合うのにヘトヘトだから、どうにか道はないのかと、探し続けた数年だった。映子のたった一人の戦いを、理解してくれる人はいない。その事実は、あまりに悲しかった。

夜は、リラックスして熟睡するどころか、寝ること自体が、ますます困難になっていた。というのは、夜になると、一旦寝た大吉は、二時間後には起きて、トイレに行くが、その後、ガタガタ怪しい音がして、何事かをしているようなのだ。瑛子はもう、恐ろしいので現場を見たくないから部屋から出ない。でも、一晩に二~三回は、起きて、ウロウロしているのがわかる。ものすごい唸り声と、壁をどんどん蹴る音がすることもあった。トイレの便器をガタガタしている音がすることも。トイレが壊れるかもしれない、そうなったらと心配でも、起きて顔を合わせるのは怖い。せん妄状態の大吉は、見知らぬ不気味な男でしかない。

朝、起きて、廊下に小水のたまりができていて、うっかり踏んでしまったこともあれば、ゴミ箱に小水がしてあることもある。家中のあらゆるところに、大吉は小水をかける。自分で拭くこともあるが、何故か映子のバスタオルや下着やTシャツで拭くのだ。わざわざ洗濯物としてためてあるところから持ってくるのだ。目の前に自分のバスタオルがあるにも関わらず、わざわざ映子のものを使う。この心理が映子にはわからない。自分のものが大事ということなのだろうか?大吉の小水がしみた下着は、たとえ洗濯したとて着たくない。すべて捨てるしかなかった。
もっと困るのは、その小水の滴るパンツと靴下とスリッパで、家中を歩き回ることだった。毎日どれだけ掃除して、どれだけ洗濯し、スリッパを布からゴムに変えても、家の中の臭気はひどくなるばかりだ。
気力が持たない。
朝、現場を目にするたび、その惨状に、瑛子は泣き叫び怒りを発散しながら、後始末をした。
家中を歩き回られないよう、一部の扉には小さな鍵をつけた。夜間は、鍵を掛けることで、被害を防ぐ。これは、一応功を奏したが、日中、鍵を開けるという一手間が加わり、ますます締めつけ感が強くなった。

この頃には、大吉は、Tシャツを穿くという芸当もやった。袖に足を通し、首の部分がウエストに来ている。どうやったらこんな着方ができるのか。ズボンの上に下着のパンツを履く、ズボンの上にまたズボンを履く。裏返しは当たり前で、ジッパーは挙げられない。着替えを手伝わないと一時間でも着替えをしている。というより、着替えができない。

大吉は、自分の妄想を正当化しようと躍起になる。この家の住所は、彼の中では、職場のあったキャンプ場だ。そして、時々、瑛子が誰かわからなくなっている。まるで他人行儀に、「これから夜間プログラムご苦労さまです」などと言われてしまう。
夜遅く、玄関からではなく、窓から外に飛び出す。そして、以前から言い続けている本当の家に帰ろうとする。しかし、十二月の寒風に、そのところだけ正気に戻り、寒いのに十キロも歩けないから今日は行かない、と言い玄関を開けてくれと言う。
どこまで現実がわかっているのか、わかっていないのかさっぱりわからない。それでも、要介護1なのだった。

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