見出し画像

イタリア縦断音楽巡礼紀行2016

はじめに

2016年6月17日(金)から7月9日(土)までの3週間という長いイタリアの旅行は、銀河の歌姫 倉原佳子が企画したツアーだった。
その頃、私はルドルフ・シュタイナーが示唆してできた音楽療法のための楽器ライアーを習っていた。師匠は、池末みゆき。その師匠から、イタリア巡礼の旅に行かないかと誘いがあった。3週間なので旅費はかなりの額になる。ちょっとハワイまでというのとはわけが違った。しかも、3週間も家をあけるのは流石に難しい。それで人が集まらなかったらしく、あまり金銭的余裕がなく、演奏用の大きな楽器すら買えない私にまで話が来たのだろう。

巡礼の旅、という言葉に惹かれた。

なぜ、誰が、何のための巡礼をするのか、全くわからなかったが、(とりあえず相方を大吉としておこう)大吉に相談したところ、ちょうど、退職金が出たこともあって、行ってもいいと言う。それも、認知症のレールにすでに乗っていた大吉の、「3週間一人の家庭生活」に対する想像力の欠如の成果であったのだが。その頃は、将来の惨状を想像する事などできるわけもなく、大吉が良いというのなら、新婚旅行以来の海外旅行とやらに行ってみようかということになった。巡礼旅行の話が出たあたりから、空には、十字架の雲が出るし、何か不思議な雰囲気が漂い始めていた。
「大吉の人生~レビー小体型認知症介護の記録~」でも書いたが、私は霊媒体質である。
霊媒とは何か?
神霊や死者の霊と心を通じ、生きている人の仲立ちをする人。巫女。~角川必携国語辞典~
英語では、a psychic medium
 巫女、霊媒、市子 心霊力、霊魂の、心霊の、心霊作用を受けやすい、超常的洞察力を持った、千里眼的な、人の心が読める~リーダーズ英和辞典第2版~
心霊現象の(supernatural)というアメリカのドラマもあったなあと思う。見ていないけど。なぜか、英和辞典のほうが、沢山の記述があるのは、英語圏のほうが、心霊現象に社会的にも興味があるということなのかなあと、思わずにはいられない。
こう書いていくと、なんだかすごい超能力者みたいだが、私は、霊を見ることはできない。見たくないと思っているからだと思う。時々、気が緩んで、見てしまうことはあるのだけれど、殆ど見えない。いや、見ないことにしている。ただ、この体質のせいで、見えない世界からのミッションが私の人生を動かしてきた。地縛霊とか土地の精霊を癒やして、光の世界に返すミッションである。
私の、人に理解してもらえない「お仕事」は、霊の癒しなのだ。人形を作るのもこのお仕事の一つの形である。時には、メッセージが降りることもあるので、それは必要な人にお伝えしている。これについては、また別の機会に書くことにして、この巡礼の旅は、そういう「お仕事」の一つだったということが、最近腑に落ちた。そして、2022年6月17日の今、この原稿を書かされている。
この旅は、倉原佳子の巡礼の旅であり、子どもたちに会いたいという、願いを叶えるための旅でもあった。
倉原佳子が残した1冊の本の中に書いてあることだから、公の発言なので、ここに書いても問題はないと思うが、イタリアで結婚した彼女の夫は、DV加害者だった。当時、彼女は夫から逃げざるを得ず、子どもたちは、夫の家で暮らしているという状況だった。がんの治療のため日本に帰国した。本では、2015年から巡礼の旅を開始したとあったが、私は詳細を知らない。
帰国後、私は倉原佳子のボイスレッスンを受けたことがある。その時ちらっと聞いた話では、このイタリア巡礼の旅は、沢山の参加者とともに行われ、ツアーガイドも頼む予定だったようだ。ちょうど、日伊国交150周年記念行事「文化の祭り」が開かれるときを選んでのツアー企画だった。
しかし、出演者以外のただのツアー客は、成田の時点では、私と池末先生推しの和さんと、もう一人、倉原佳子の知り合いの川崎さんという男性のたった3人だけだった。
そういうわけで、倉原佳子は、ひとりツアーガイドと歌手を兼任して、たいそう忙しい思いをすることとなった。イタリア語を話せるのも彼女一人だから、コンサートの段取りや、ツアーの段取り、そして、自分のステージの段取りなどなど、他人に任せるわけにも行かない。
そうしたてんやわんやの事情を何も知らないまま、私はこの音楽巡礼に同行したのだった。

さて、このツアーのアーティストと参加者を簡単に紹介しておこう。ツアーの勧誘チラシに載っているものを参考にした。

池末みゆき(奇跡のライアー演奏家)

東京都出身。幼稚園教諭、園長として40年近く幼児教育に携わる。1971年ハンガリーでコダーイシステムを学ぶ。日本の童謡や民話、伝承遊びを探りつつ幼児と過ごすなかで、シュタイナー教育思想と出会う。ドイツやイギリスのシュタイナー施設を巡り、見学と実習を通して、芸術教育の重要性を実感する。
スイスの音楽療法の現場でライアーと出会い、30年以上前に日本に取り入れて演奏活動を始める。魂に染み入る演奏は「奇跡の演奏」と評され、国内はもとより海外においても、祈りと癒しに満ちた演奏活動を続けている。

矢吹紫帆(作詞・作曲&演奏&マジシャン&獅子舞)

岡山県出身。三重県熊野市在住。
天女座を主催。滋賀県ブレーク章受賞、三重県奨励賞受賞。
1年前からマジシャンとして活躍。韓国コンテストで特別アワード創作性受賞。NHK「美の回廊をゆく」「日本美再発見」等の音楽を担当。CD「SHIHO」は全米で発売され、カナダではニューエイジ部門で人気第2位。カネボウ美容研究所と共に「ゆらぎのCDシリーズ」を発表し「癒しの音楽」の先駆けとなる。イギリスのマナーズ博士の「マナーズサウンド」の治療用CDの音楽を担当する。

矢中鷹光(歌&ギター&エンジェルハープ&Wフルート&作曲)

東京都出身。三重県熊野市在住。
60年代にロックミュージックの影響でギターを始める。90年代には、声で笛の音のような即興パフォーマンスで喝采を浴びる。その声を「Voice flute」ヴォイスフルートと名付ける。
98年に自作のオリジナル12弦楽器「LIRAリラ」の演奏を始める。2015年、2号機「エンジェルハープ」製作。即興ヴォイスパフォーマンスは原初的かつ神秘的な音を探る。「悪魔の声から天使の声まで」と評される。

倉原佳子(歌&トーク&イタリア語同時通訳&企画コーディネーター)

大分県竹田市出身。東京芸術大学音楽部声楽科卒。イタリア・オペラ専攻在学中に企画出演した「滝廉太郎記念音楽コンサート」1981年を皮切りに、2016年現在まで35年間、世界を舞台に歌手活動を行っている。そのうち25年をイタリアで暮らし、欧州で活動。人々の魂を掴み、揺さぶる圧倒的な歌声は、すべての境界線を超え、宇宙からのメッセージとして浸透していく。その、歌声に触れた人たちから「銀河の歌姫」と呼ばれ、世界平和のために「祈りの歌」を歌い続けている。(2021年他界されました。)

紫帆&鷹光は、熊野に天女座という、カフェ兼民宿兼イベントスペースのような場所を拠点としている。
アニメ「凪のあすから」の聖地としても有名な、素晴らしくきれいな海の見える場所だ。

出演者以外は、私、和さん、川崎さんは3週間ずっと一緒だが、別航空経路利用で、ローマで合流する、りみさん。ヴァチカンで合流する、青山さん、加賀美さん、みかこさんがいる。

第1章 成田からローマへ

17時間のフライトのはずだった。
アリタリア航空13:15発 モスクワ経由。
ローマ到着予定は19:00
ホテルから送迎のバスが待っているはずだった。
 
3人がけの狭いエコノミーシートで、私は真ん中だった。出発ギリギリまで人が来なかったので、和さんと二人でゆうゆうとローマまで行けると思っていたのだが、ギリギリで、飛び込みが来た。ガタイのいい男の人だった。急に、座席は窮屈になり、その男性は、こちらにはみ出してくるものだから、暑苦しいったらなかった。他の席では、3人並びに2人というところもあるのに、なぜ、毎回、私はこんな目に合うのだろうとげっそりした。
しかし、もっとげっそりすることが起こったのだ。ロシア領内を飛行中、やけに機体がガタガタするなと思っていた。キャビンアテンダントの様子が少しおかしい。
緊張したアナウンスが、イタリア語、英語、日本語で流れた。
「当機のエンジンが片方機能していない状態です。不時着する空港を今探しています。」という内容だった。がたがたしていたのは、エンジンが出力不足だったからか。
ビジネスシートに居る池末先生のところへ行くと、「ここで死ぬ気がしないわ」と言って平然としていた。私も同感で、危機感がいまひとつ湧いてこない。
ちょうど、夕食の時間だったが、食事が出る様子はない。シートベルトをして、次のアナウンスを待つしか無い。
 
しばらくして、ミュンヘン空港に不時着することになった。
 
どういうめぐり合わせなのだろう。
私が、はじめてシュタイナー教育に出会った本は、「ミュンヘンの小学生」だった。
長女がお腹にいるとき、親になるということの重さで、悩んでいたら、本屋の一角にあったこの本が、呼んでいたのだ。見えない世界からの呼びかけは、本屋さんでよく起こる。本棚を何気なく眺めていると、必要な本が、目に飛び込んでくる。
その本から、シュタイナー教育を知り、いろいろなワークショップに参加し、自分でもシュタイナー教育のグループを作って、子どもたちと、水彩、音楽、オイリュトミー、数学、言語造形などを体験させた。それがきっかけでライアーを知り、10数年後、池末先生との出会いとつながる。
思い出した。
一つの奇跡がなかったら、池末先生との出会いもなかったのだ。
ある日、気に入っていたパン屋さんに行くと、「アンドレアス・レーマンの癒やしの音のワークショップ」というチラシがあった。何気なく手にとると、ライアーという文字が。しかも、ワークショップの開催場所は、住んでいた場所の近くだった。こんな事があるのか、と思った。
ちょっとドキドキした。しかし費用を見て、ああ無理だと思った。子育てで、余裕なんかない。せっかくだが、諦めよう。即決である。無いものは無いのだ。
数日後、大吉が犬の散歩から帰ってきた時、「こんなもの拾ったぞ」と言って、私に手渡したものは、切れてしまった金のネックレスだった。森の中に落ちていたのだそうだ。かなり重いそのネックレスは、メッキではなかった。
それを、売った。ちょうど、ワークショップの費用になった。そこに、池末先生が居て、私は、その後ライアーを教わることになったのだ。
 
空港が見えてくると、眼下には、消防車と救急車が待機している。あら、航空機パニック映画そっくりな状況になってきたなと思った。機体が炎上したり、非常用すべり台で降りることになるのだろうか、などと思っていたが、機長は相当腕が良かったのだろう。とてもなめらかに着陸し、あっけないほど普通に止まった。この旅が、パニック映画にならなくてよかった。
乗客は、ミュンヘン空港の奥の一角に収容された。空港から外へはまったく出られそうもない、奥まった場所。空港の諸施設からも相当遠いようで、wifiも繋がらないと乗客たちがざわめく。皆、状況を誰かに報告したいのだ。
時計を見ると、夜の9時。しかし、明るい夕日がこれから沈もうとしている。明るいのだけがちょっと救いだ。
日本は、朝の7時を迎えたところだろうか。大吉は、一人の朝食を作っているのだろうか。飛行機が落ちそうだったと言ったらなんというだろうと思った。普通、そういう話を聞いたなら、「大変だったね」とか「無事でよかった」とかだろう。帰国して、大吉からそういう言葉を聞いたことは一度もない。認知症のなせるわざか、元々の性格か?
 
ミュンヘン空港では、空腹で乗客は苛立っていた。機内食が出なかったし、代わりの飛行機がここまで来るにも時間がかかりそうだ。他のツアーの添乗員が、「アリタリアの対応はひどい」とか言っている声が聞こえる。機内に食事はあるだろうに、それを持ってくることはできなかったのか、ペットボトルのジュースと水、機内で出されるナッツ、ビスケットが持ち込まれた。
それにすら、乗客は殺到した。パニックは事故ではなく、飢えから起こった。出遅れた私達一行は、水しか確保できなかった。
しかし、この状況の救世主は居たのね。
それは私。
この頃、四足の肉を食べられないという状態だった私は、旅行にあたり、もし、現地で食べられる物がなかった場合に備えて、フリーズドライの米、梅干し、レトルトパックのおかず類、お煎餅などの乾き物などの食料をかなり荷物に仕込んでいた。これが役立った。といっても、お湯を沸かせる状況ではないので、とりあえず胡麻せんべいとクッキー類をみんなで食べた。
そのうち、新しい飛行機が到着した。
これは、前の機体より大きめの、新しい飛行機のようだった。乗客は好きな場所に座っていいと言われ、狭い3人がけに押し込まれた十数時間が嘘のように、広々と快適な座り心地だった。飛行機で快適に過ごしたいなら、お金をケチってはいけない。今回のフライトはモスクワ経由。安いエコノミーだ。3~4時間早い別のルートなら、もっと快適に来られたのかもしれない。もう2度と、あの3人がけに座りたくはない。
 
ミュンヘンからローマに着いたのは、真夜中12時を過ぎていた。ホテルからの迎えのバスも、7時の予定が5時間以上も遅れたのだから、すでに帰ってしまっていた。
7人と荷物を乗せる車の手配に倉原佳子は苦労していた。この、荷物というのは、楽器やステージ用品やで、普通より多いから、タクシーよりはワゴン系の車がほしい所だ。倉原佳子のつてを頼って車が見つかったのでやっとホテルに行くことができる。他の乗客はすでに空港から何処かへ移動していた。
ホテルは、空港から20分ほどの所だ。
ホテルでは、りみさんが、心配して待っていた。一行が、やっとベッドに入ったのは、午前1時過ぎだった。
なんと長い一日。しかも、初日から、ガツンとトラブっている。
すべての旅程が無事に行われますように。
とにかく結果オーライで3週間の旅が始まった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?