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第2回 死ぬことは悪いこと?

今回は、死という哲学的なテーマについて、考えてみたいと思います。


自然界の死

自然界では、生物は死ぬと土に還る。そして他のいのちの養分となる。このように命は循環し、無駄がない。自然界では、生きることにも、死ぬことにも、同じように意味があるように見える。

結論

死ぬことは本来なら悪いことではない

死にたい気持ちに関する3つの仮説

1、死にたいも本能

「死にたいも本能」というのが私の仮説。よく「生き物には生きたいという本能がある」というけれど、生き物にも、死へと加速する場面はある。ある一定のラインを超えると病気になる。身体が自然の一部で正しいのなら、死にたいも自然の摂理の一部なのではないかと思う。

2、死にたいは身体の病気

「死にたいは身体の病気」というのが私の仮説。死にたいも本能だけど、その本能がバグを起こしている。だから、自分のチカラで死なない選択をしなければならない。ハードな状況だが、乗り越えられれば、病気ということはすなわち、治るということ。

病気で死んでしまう人もいるけれど、乗り越えて治っていく人もいる。死にたい気持ちも同じに思えるのだ。

3、身体がある状態になると誰でも死にたくなる

「身体の状態(例えば脳の神経伝達物質)がある領域以下になると誰でも死にたくなる。」というのが私の仮説。ある一定のラインを超えると病気になるように。だから、ひょっとしたら食事の見直しや減薬だけでも違うかもしれないと思う。現代は毒であふれているから、原因の特定は困難だろうけど。身体が正常に戻っていけば、死にたい気持ちも落ち着いていくはず。

結論(私の持論)

死にたい気持ちは身体の病気である。つまり、良くなる時もある。死にたい気持ちに従って死ぬことは、病気になって自殺するようなもの。正しいとは言い切れない。

生きなければいけないことを受け入れて、諦める


自殺未遂のリスク

自殺に失敗し、重い身体障害を抱えて生きてらっしゃる方たちがいます。辛い思いをしながら、生きてらっしゃる方たちがいます。今一度よく考えてみていただきたいです。

【101回目の人生】

こう考えて生きてみるのはどうでしょうか。
あなたは今まで痛い思いをしながら100回自殺した。死んだはずなのに。それも100回は。でも今また、なぜかここに生きている。
あなたは絶望する。そしてやっと気が付く。そう、自分は死ねないのだと。いや、死んだとしても戻ってきてしまうのだと。途中までは気のせいだと思って考えないようにしていた。もう一度死んでしまえばいいだけだと。でも、それも無意味だとはっきりした。
そう、そして、ついに気が付きたくなかった事実に気が付いてしまった。生が続くことを受け入れる以外にないのだということに。死という日がいつか自然と訪れるまで。本当の迎えが来るまで。現実というのはいつでも残酷だった。
101回目の人生。ここからが本当の人生の始まり。

死にたがりさんに贈る言葉

前回、死にたい気持ちの克服法として、「生きたくなるぐらい好きなことを見つける」ということを挙げました。今回は、2つの言葉を贈りたいと思います。

死にたがりさんへ、ロズワールの言葉を贈ります。

本当の本当に、君にとって大事なたった一つのもの、それ以外の一切を手放し、ただただ大事な一つを守り抜くことだけを考えるんだ。

アニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』(著者:長月達平)

こんな風に生きるのがおすすめ。

死にたがりさんへ、アカギの言葉を贈ります。

信じると捨てるは同じこと。

アニメ『闘牌伝説アカギ~闇に舞い降りた天才~』(著者:福本伸行)

自分が大事に出来る本当に好きなことを見つけられると信じて、他を捨てること。

まとめ

自然界の死には意味があり、死ぬことも正しいことである。しかしながら、死にたい気持ちは病であり、治るときもあるから、死にたいと思ったときに死んでしまうのが正しいとは言い切れない。
生きていかなければならないことを受け入れて、本当に大事に出来る好きなことを見つけて、生きてほしいと思う。

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