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"女"になる化粧【短編小説】

少女は初めて、己の顔貌に化粧を施した。
好いた男の為か?
否。何辺申し上げようとも足りぬ程の否。ただ、己の好奇心の為のみであった。
母の化粧箪笥から失敬した化粧道具等を机上に広げ、少女は鏡面上の己を睨め付けるようにした。射殺さんばかりの強い眼差しにも、相手が怯む筈も無い。
かくして、少女は母のしていたのを頭に描きながら化粧に取り掛かった。
"ふぁんでーしょん"を顔に塗りたくり、一寸白くなった顔貌に──己の所業にも関わらず──眉を寄せる。
思い立ち、少女は頬紅を探し当てた。桃色と赤色の間のような色をした其の粉を、筆に乗せてみる。
なんだか絵画の習い事をしているみたいね、と少女はひとり笑った。全くもって、化粧とは絵画の性質を十二分に取り込んだ代物であった。
頬紅を乗せてみると、"ふぁんでーしょん"のせいで血色の失せた頬に色が着く。まるで、恋する乙女が想い人の眼前に立っている時のようだった。
兎にも角にも、少女は化粧を続けた。
口唇にも色が欲しい、と口紅を塗りつけてみる。
鮮やかな紅色をした其れは、少女の白い顔貌の中で一等輝いていた。しかし、ぺたぺたと上下の口唇が引っ付く感覚は好かぬ。大人はよくまぁこんなものを着けているものだと、少女は首を振った。
続いて、母が瞼や睫毛にも何やらしていたのを思い出す。机上に広げた化粧品の中に、色の濃い粉物があるのを認め、狙いを定めた。
説明書きによれば、アイシャドウなるものは瞼全体に塗るものであるらしかった。また、筆の出番である。
化粧って絵の上手な人にしか向いていなさそうだわね、と思いながらも何とか筆を動かすと、成程、瞼に濃い色が塗り着いた。目付きが悪く見えるような気もするが、塗り重ねるよりは此の儘が良いと放置する。
それから、睫毛にも黒いもの──マスカラと書いてある──を着けてみた。ベタベタと睫毛に着いて、睫毛を長く見せてくれる。目に入らないか、と内心不安だったので慎重に慎重を重ねた。
──果たして、何が何やら判らないが、取り敢えず化粧は完成でいいのだろう。
さてこんなものか、と結んでいた髪を解き、今度は洋服を着替えにかかる。
数少ない洋服の中から洒落て見えるものを見繕い、身に付けて姿見の前に躍り出た。
髪を下ろしていると少々邪魔くさいし、口紅に引っ付いてよろしくない。高く結びあげ、再度姿見を確認する。
そこには、ぎこちのない濃い化粧をした少女が映し出されていた。最早、ひとりの女と言っても差し支えない見目だった。
一頻り姿見で己を観察してから、少女は着飾った衣服を脱ぎ捨て、部屋着に替えた。
そうして、そそくさと洗面台へ行き、とっとと化粧を落としてしまった。
顔を洗い終え、洗面台の鏡面に映る己を見てみる。そこには、洗いたての赤い色をした、まだ幼さの残る顔貌が描かれている。
やっぱりこの方が私らしい、と少女は吐息した。
親きょうだいの留守にしていた、休日の昼下がりのことだった。
部屋へ戻ると、借りたばかりの本を開いて読み始めた。
結局のところ、少女はまだ女になどなりたくなかったのだ。それに気付き、欠伸をする。
初めて化粧に取り組んだ日。
少女は恐らく、この日を忘れるだろう。

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