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【エ序13】追憶のマルホキアス

ーーーー夢を、見ていた。

ーーーーいや。これは夢なのだろうか? 今の『彼』は、夢を見ていられるような状況ではない筈だ。現実の『彼』は、上半身と下半身を両断され、瀕死の重傷を負っている筈だ。

ーーーーいや。そもそも『瀕死の重傷』なのだろうか? 躰を2つに両断されたのだぞ? 普通に考えれば、死…………。

そうだ。これは『走馬灯』だ。死に逝く者が、生と死のあわいにて観ると云う、人生の記憶を辿る旅ーーーー。

そうして『彼』ーーマルホキアスの意識は旅をする。二度と観たくなかった、決して思い出したくなかった過去。記憶の情景を巡る、旅をーーーー。

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その日は、一大転換期であった。

マルホキアスが一つ一つ積み上げてきた反戦活動。ボロッシュやリーリュのように彼の傍に残った者も居れば、クラウスのように思いを同じくしつつ彼の元を巣立った者も居る。その一連の活動が、一つの節目を迎えようとしていた。

ロベールの王族や領主のすべてが戦争を望んでいる訳ではない。少数でも、平和の実現と政府の正常化を望む勢力は確かに存在していた。

そしてまた、反戦活動を行っている勢力も、マルホキアスたちだけではない。

幾つもの小集団が、マルホキアス同様命懸けの活動を行っていたのだ。

今夜はこうした志を同じくする集団との、長い交渉の果てに実を結んだ、一大同盟を締結する記念すべき夜なのだ。

ここに至るまでの長い対話の中で、既にお互いが間違いなく信頼に値することは確信が持てていた。今後大きな反戦活動の輪が拡大してゆくことは疑いようがなく、ようやくマルホキアスの長い努力がひとつの実を結ぼうとしていた。

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その夜は、各集団の代表が一同に会するのではなく、各集団の指定場所にマルホキアスの『子ども』らのうちボロッシュやリーリュと云った『成人』たちが、マルホキアスの名代として各地に1人ずつ赴く方法を選択した。

万が一今夜の同盟の情報が主戦派の領主たちに漏洩していた場合に、襲撃により反戦勢力が壊滅することを警戒したのだ。

マルホキアスは各地に散った名代たちに念話通信で指示を出すためと、残った『未成年』の幼い子どもたちの面倒を見るために、孤児院に残った。

ボロッシュらは、マルホキアスの名代としての役割を果たすのに充分過ぎるほど立派に成長を遂げており、無事交渉のテーブルに着いた。

懸念されていた主戦派の妨害も起こらず、反戦同盟はつつがなく締結された。

子どもたちに平和な世界を。マルホキアスの願いは、実現への大きな、本当に大きな一歩を刻んだ。

…………………………筈だった。

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その夜、子どもたちを寝かし付けたマルホキアスは、大きな仕事を成し遂げた弟子たちを労うべく、起きてその帰りを待っていた。

そうして深夜、マルホキアスがうとうととし始めた頃、建物の外で何か物音が聴こえた気がした。

大きな成果を達成した、マルホキアスは少し浮き足立っていたのかも知れない。

そこには、彼らしからぬ油断があった。

時間的にもそろそろだ。名代に出した子らの誰かが帰って来たに違いない。マルホキアスは、そう『思い込んでしまった』のだ。

彼は無防備に門扉を開ける。子らを、迎え入れるために。

瞬間ーーーーーーーー衝撃!!

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世界が、暗転するーーーー。

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医学の心得のあるマルホキアスには判る。後頭部に打撃。頭蓋骨に深刻な損傷。

致命傷には辛うじて至らずも、治療が遅れれば死に至る重傷。

マルホキアスには、状況が理解出来ない。

朦朧とする意識と混濁した視界に映るのは、複数の人物の脚。

その脚達がマルホキアスの躰をまるで物のように踏み越え、建物の中へと侵入する。

マルホキアスは躰を動かせない。声すら出せない。

頭部の負傷は、考えている以上に深刻なようだ。

…………エクナ史上最悪の邪術師誕生へのカウントダウンに、侵入者達の足音が重なるーーーー。

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その男達は、兵士崩れだった。

奴らは理想も信念も無く闘っていた。

故に、自分達の属する勢力が内戦の果てに滅んだ後も、復讐するでも運命を共にするでもなく、野盗の真似事をしてただ生きていた。

奴らは自分達より弱い者達を襲い、食糧や金品を奪い、女を犯し、その卑俗な欲望を満たしながら、無価値な生を日々過ごしていた。

そんな屑共がある夜、隠れるようにひっそりと建つ山奥の孤児院に辿り着いた。

みすぼらしい外観ではあったが中に人の気配を感じ、いつものように金と食糧を奪おうと中の様子を探った。

中には想像していたより大勢の子どもたちが眠っていた。

と、奴らの1人が誤って物音を立ててしまった。

すぐに中から人の動く気配。どうやら入口の戸に向かって来るようだ。

仕方なく奴らは武器を構え、待ち伏せの体勢を取った。

扉が開くと同時、相手を確認もせず武器を振り下ろした!!

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奴らの脚元には、後頭部をかち割られた瀕死の老人が1人。

まだ死んではいないが、どう考えても助かる状態ではない。

奴らは老人を踏み越えると、いつものように己の卑小な欲望を満たすべく、建物の中へと侵入していった。

自分達の行動が、歴史にどのような分岐をもたらすかなど、その暗愚な脳では想像するべくも無く。

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そうして、奴らによる蹂躙が始まった。

奴らは無差別に暴力を振るい、建物内はすぐに子どもたちの叫喚に満ちた。

奴らはマルホキアスたちのなけなしの金品を奪い、奴らはマルホキアスと子どもたちが懸命に育て、収穫した食糧を遠慮容赦無く貪った。

そして奴らは、比較的年長の女児たちを凌辱しようと襲い始めた。

ここに来て子どもたちは決死の抵抗を試みた。

彼女たちを守るため、より年少の幼児たちまでもが勇敢に屑共に立ち向かった。

…………だが、それが屑共の逆鱗に触れた。

自己肯定の材料など何一つ持ち合わせていない奴らにとって、自分より弱い者達を虐げることだけが、ありもしない自身の価値を示す唯一の手段であった(勿論、奴らの愚脳にそんな自覚は無いが)。

暴力しか能の無い奴らにとってこの世の掟は弱肉強食。そして無力な子どもたちは『弱肉』だ。ただ餌食になるだけの存在。

奴らにとって、『弱肉』共が自分達に抵抗すること自体、あってはならないのだ。

子どもたちの抵抗は、奴らの狭隘な精神には許容することが出来ず、奴らは糞同然の虚栄心を守るべく、狂気染みた暴力の嵐を振るい続けた。幼児たちを蹴り、殴り、女児たちを犯し続けた。

ひとしきりの暴虐を続け、それでもなお憤怒の治まらない奴らは、最後に建物に火を放った。

子どもたちは生きてはいたがとても動ける状態になく、呻き声を上げながら、為す術無く炎に巻かれていった。

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その様を、それらの様を全て、マルホキアスは見ていた。

混濁し、今にも闇に消えそうな意識の中で、まるで悪夢の中の光景のように、ずっと見ていたのだ。

全ては子らを待ち、うたた寝をしてしまった自分が、刹那に見ている悪夢の光景であれば、と、そう願いながら。

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神々よ、あの子らはもう充分に苦しんできました。

親や、大切な人々を失い、居場所を奪われ、飢えや渇きに苛まれ、世界に怯え、その小さな手に抱えきれないほどの痛みを、その幼い背に負いきれないほどの哀しみを、余儀なく負わされ続けてきました。

どうか神々よ、あの子らからこれ以上大切な何かを奪わないでください。

あの子らはもう充分に苦しんできました。せめてこれからは、あの子らに幸多き人生を……。

どうか…………。

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唐突に。

眼が醒めた。

眼前に広がるのは、青空。

そして、泣き出しそうな心配顔で覗き込む、リーリュやボロッシュら、名代の子どもたち。

いつの間にか、夜が明けたようだ。

後頭部に、鈍い痛み。

記憶が、ひとつずつ繋がる。

……………………………………………………。

頭の傷はもっと重傷だった筈だ。子らの誰かが上級治癒術で治してくれたに違いない。

どうやら命拾いしたらしい。

記憶が、繋がる。

……………………………………………………。

マルホキアスは、背後を振り返る。

そこにはーーーー。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

焼け落ちた、孤児院。

そして無数の、幼子の焼死体。

医学の心得のあるマルホキアスには判る。

遺体の状態から、判ってしまったのだ。

子どもらは、煙に巻かれて窒息死したのではない。

意識のあるまま高熱に焼かれ、最期まで苦しみながら死んでいったのだ。

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マルホキアスは、絶叫した。

そこに込められた哀しみの大きさに、聴く者の心が張り裂けるような叫びだった。

咽喉が破れ、血を吐き散らしながら、それでもマルホキアスは叫ぶのを止めなかった。

一体この場に居た誰に、その叫びから耳を塞ぐことが出来ただろう。

子らには、何も出来なかった。

魂が引き裂かれるような師の絶叫を、ただ黙って聴き続けるしか出来なかったのだ。

…………祈りは、何処にも届かず、消えた。

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