おかしな日本の歯車に乗って生きるのやめたい

22歳で初めて就職して、すぐこれはダメだなと思った。身体が動かない。心が死んでいくのを感じる。職場のおばちゃんたちと食べる昼食は思った以上にしんどかった。愚痴、噂話、アイドルグループのこと。どれも興味が持てず、働く時間よりも興味の持てない話に適当に相槌を打つ方がしんどかった。
その後、病院で「適応障害」と診断され、転職を繰り返す日々。病院では薬を処方されるも、何だか違和感があり途中で飲まなくなった。半年ほどして、退職し、身体が楽になってきたついでに通院もやめた。

27歳の時、また倒れて1ヶ月ほど動けなくなった。創作活動の仕事だったが、また何もできない。お金のために作品を作るのは苦しかった。
休職して、しばらく寝込んでいた。次にかかった病院では、「双極性障害」ではないか、ということで治療やカウンセリングが続いた。
薬は前例があり飲みたくないと伝えたが、それでは治療できないと言われ、その後病院を3軒、転々とした。
もう死のうかと思っていたが、死ぬのは怖い。twitterで「双極性障害」の情報を集める日々。病気を薬なしで治すにはどうしたらいいかわからない。調べるのが生き甲斐で、日課みたいになっていた。
薬なしでの寛解は、ほぼ不可能だと多くの人からアドバイスをもらった。同じ病を抱える人たちから、経験談もたくさん聞き、諦めかけていたその時。
ある日、「双極性障害」を薬なしで寛解する方法がないかとtweetしてみたところ、ある男性から連絡があった。

薬をやめて、健康的な食事、人に会うのをやめて、できるだけ太陽の光を浴びて、土に触れて、自然に触れて過ごすようにしてから症状がほぼなくなった、とのこと。
藁にもすがる思いで、彼にコンタクトをとった。

無職、実家暮らしの40歳の男性だった。20代の頃は、薬の副作用で身体も心もボロボロになり、何度も死のうとしたようだが、30代で薬が抜け始め、人体や食事の勉強、地球や宇宙のことまで調べ始めたそうだ。そして、知れば知るほど、どうやら今の社会の方がおかしいことに気づいたらしい。

双極性障害になった私は、自分がおかしくなってしまったと思っていたので、彼が言う「社会のおかしさ」というのがいまいちしっくりこなかった。
でも、彼と話す中で、当たり前だと思っていた様々なことがおかしいんじゃないかと見直すきっかけをもらっていた。
確かに考えれば考えるほど、今の日本の日常はおかしい。

例えば、週に5~6日、朝から晩まで一生懸命働き、それで得られる収入は生活にギリギリの金額。心と身体が弱っていく大人たち。
ショッピングモールに並んでいる、身体を楽にするためのグッズの多さ。時間がない人のために用意されたレトルト食品。眠れない人たちのために作られた睡眠薬。
どんどん増えていくコンビニエンスストア、チェーン店、お葬式場、薬局、心療内科。
どんどん物価は上がっているのに、収入は一向に上がらない。
文化的最低限度の生活ができる国日本に群がる、生活保護を受け取る外国人たち。
一度もワクチンを作ったことのない会社が出したワクチンを国民に打たせようとする世界。そのワクチンによって亡くなったたくさんの人々がいることを認めようとしない国。
ワクチンを拒否した各国の大統領たちが何人も同じ時期に不審死を遂げているのにそれを日本では大々的に報道しない。
精神病になって死にかけている人たちに処方される薬は、過去に何度も身体に有害であったことがわかっている。
ニュースは真実を言わずに何かを隠している。人々が興味を持ちそうなお手軽で下品な芸能ニュースが流れている時は、後ろで何か大きな法案が通っていたりする。
儲かる政治家たちは何歳になっても辞めない。国民にどんどん課される税金。警察官やマスコミも買収されていて、お互いが見張る役割を投げ出して仲良ししている。
自分たちが選んでいると思わされている「選挙」は、実はある中から選ばされている。それに気づかず、政治が上手くいかないのは国民が投票しないからだと思わされている。つまらん小説を3冊用意されて、この中から1冊読め、と言われるくらいなら、図書館で本当に興味を持った本を選びたいに決まっているのに。選挙制は破綻している。

日本国民は奴隷のようだ。1年に2日間だけ小旅行に行って、幸せだなあと思える、謙虚な日本人。海外では、1ヶ月間バケーションがあるというのに。
こんな国で生きていたら、そりゃ病気にもなる。それが彼の認識だった。
まともな司法がなされていない今の日本で生きていくためには、最低限度のお金を受け取って、可能な限り自分で持続可能なシステムを作って生きていった方がいいし、この社会の常識や当たり前に吸い取られる必要はない。そして、自分が病気だと思う必要はない。生きていくために国から支援を受けて、堂々と生きていけばいいのだ、という。
そして、自然に従って生きていけば、全ては完璧なんだという。

私はこれまでの27年間の日常や当たり前を一つずつ疑い始めた。どうしてこんなにみんな一生懸命働いているんだろう。何のために?
もしも、一人一人が自分で家を建てる方法を知っていて、ご飯を食べるために食物を育てる方法を知っていて、服の編み方を知っていて、ゴミをゴミとせず資源として活用していたら。もしかしたら、地球はありのままで完璧なんじゃないか。
私たちは、どんどん機械みたいになっていってる。社会を回すために、どうしてやっているのかわからないことばっかりやっている。そして、日本では今年間3万人の人たちが自殺している。小学生ですら。
ただただ、機械のように社会を、お金を回しているだけの日々が果たして人間的だと言えるのだろうか。そんな疑問が後から後から流れてくる。

創作は、ありきたりな溢れたものが量産されていく。家、公園、絵、アニメ、音楽、車、食べ物、お店、お皿、服…。もっと自由に、お金のためでなく、楽しく作ることができたなら。足るを知るで、一人一人が何かを買うことではなく、それぞれに作ることに喜びを感じ合えたら。

どうして結婚式はお金を渡し合うんだろう、どうしてお葬式場はあんなにお金がかかるんだろう。どうして税金はあんなに高いんだろう。今や収入の半分くらいが国に取られている。どうして万博なんか作るんだろう。入場8000円なんて、一体誰がいくんだろう。日本は外国のためのテーマパークじゃないんだぞと泣きたくなる。

日本はこれからも、止まることなく資本主義を貫いていくんだろうか。もし貫くなら、その歯車から抜けだした新たな日本を発見したい。そちら側に行きたい、と思うようになる。何だか、そんな人や場所があちこちに隠れているようだということにも最近気づく。

新しいものには価値がある、古いものには価値がない。
人が作ったテーマパークには価値がある、自然が作った美しい景色には興味がない。
そんな感覚が若者たちの間で根付いている気がして不安になる。そう思わされていることで、ブランド物のバッグは高級品として価値があるものとして扱われ続ける。
それにまんまとハマっている人たちが経済を回し続ける。
今のこのお金に動かされた世界はフィクションなんじゃないかと思うことすらある。私たちは「経済」に助けられているのではなく、むしろ利用されているのだと。この構造で利益を上げている一部の人たちは、それを当たり前のように宣伝してお金を蓄え続ける。

その一部の裕福なずる賢い人たちから、ボイコットする方法を考えてみた。
まず、暮らしが厳しいと感じている全員が働くのをやめて、生活保護を受給する。そして、誰も使っていない土地で農業や畑を始める。鶏を育ててもいいと思う。そこに廃材をもらったり、ホームセンターで売ってる部品を使って思い思いに家を建てる。ご飯を食べる器も、自分で着る服も作ってしまう。
お金は食べられないけど、食べ物は作れば食べられる。必要なのは水と土と種。誰だって手に入れることができる。
もし全員がそうなれば、日本には新しく国ができるのではないかと思う。
お金持ちで豊かになりたい人にはこれは向いていないかもしれないが、今の日本社会に対してのボイコットとしては有効なんじゃないかと思う。
一時的に法律で取り締られたり、逮捕されたりすることはあるかもしれないが、それを恐れず、誰もやめずに頑なに続ければ、何かが動き出すんじゃないかと思ったりする。


同じように苦しむ人たちに、あなたがおかしいんじゃなくて国や社会がおかしいんだということを話したい。私がそれを教えてもらったように、誰かに届けばいいなと思う。そして、もうちょっとだけでも未来に希望が持てるような社会になればいいなと思う。社会が難しければ、とりあえず各人が無理をせず生きていけるくらいの暮らしができたらいいな。

まとまりに欠けるけど、今回はここまで。


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