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写真が上達するとは何か?

カメラをはじめる、即ち写真を意識的に撮り始めると、必ず訪れるのが「My機材ブーム」だろう。導入期〜成長期〜成熟期へと向かうにつれて、扱う機材の種類や幅、被写体も大きく変化することがある。
特に成長期に差し掛かった頃は、より興味深い機材、被写体を求め、日々が楽しくなる反面、ふと頭をよぎるのが「どうやったら写真がもっと上手くなるのか」ということではないだろうか。

今回は、拙い私程度の知見を大いに織り交ぜながら、どうすれば写真が上達するのか、そもそも、写真が上達するとは一体何なのかを考えてみた。
(毎度の散文、ご容赦ください)


技術的な側面からみてみる

実は写真撮影とは、アスリート的な側面の方が大きかったりする。機材を操るのは、道具(球技だったらボールやラケットなど)を正確に操ること。構図を決めるのは、曲に合わせて踊るリズム感やポージング。シャッターを切ることは、タイミングを見計らう経験と反復。
このように、写真撮影はただシャッターを切っているだけに見えるが、そのわずかコンマ何秒の間に、実に多くのことを取捨選択するだけの総合力が求められることになる。

これは、もはやスポーツ。
ゴール前の一瞬の判断ミスで、決定的なシュートチャンスを失うように。写真も同じく、決定的な瞬間(表情、仕草、光など)が永久に失われてしまうことがある。それを逃さず、確実に捉えることが、写真撮影の技術的な側面と言えるだろう。

技術とは、繰り返しと研鑽でしか養われない。そのため、写真撮影の「技術」を高めたい場合、日々のトレーニング(撮ること)を欠かさないことが肝要といえる。
私個人の考えとしては、被写体は何でも構わない。心に引っかかる何かがあった時に、咄嗟にカメラを向けられる反射神経を鍛えるつもりでやってみるのが良いと思う。これをしていると自ずと撮影枚数も増えていき、1日に100〜300枚くらいは平気で撮ってしまう。(デジカメ万歳)

フィルムだったら僕はもう破産してしまっている。


精神的な側面からみてみる

かの有名な元メジャーリーガー・イチローは、毎日ルーティンを欠かさず行うことで、バッターボックスに立つ時のメンタルを整えていたという。
写真も同じであり、いざという時に咄嗟にシャッターを切れるメンタルを持っていなければならない。

シャッターを切れるメンタルとは何か?というと、私個人の思いとしては「外の世界に意識を向けられる状態」である。
仕事、プライベートと多忙な我々現代人は、常に目の前に起きている事象に心を向けられる余裕があるとは限らない。

今という一瞬は永遠に戻らない
なんていう使い古された常套句をここでぶら下げてみる。しかし、これは本当にその通りで、一度逃したチャンスはそうそう巡ってくるものではない。
できれば日常の中で、「写真を撮るルーティン」を作り、意識しなくてもカメラを構えられるメンタルを整えていきたい。


哲学的な側面からみてみる

案外、この部分が一番ぞんざいにされている気がしている。
多くの人がスマホという写真機を持ち、日常的に撮影行為を行なっている現在では、写真を撮るのはもはやLINEや電話と同じような感覚になっている人も多いだろう。

しかし、一度写真と本気で向き合ってみると、その浅はかさと嫌でも対峙することになる。(私はそうだった)

写真は撮影者の熱量や技量、思想が色濃く現れるものである。と個人的には思っている。
美味しそうなカフェ料理や、キレイなイルミネーションを、ただ撮っている「だけな写真」ではなく、本当の写真表現には確かな哲学と文脈がある。つまり、ただの見てくれの裏に確かに体系立てられた撮影者の哲学があるべきだと思うのだ。

写真というものを小難しくしたいわけではないが、軽く扱うこともできない。そんな二律背反的な思い、わかっていただけるだろうか?

まとめ

私は写真というのは、心・技・体が揃って初めて上達すると思っている。
こんな偏屈な記事を読んでいただけた物好きな方に少しでも共感いただければ幸いです。


そういえば、インスタもやっています


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