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【ドラマ感想・斜め読み】『どうする家康』で井伊直政の母の衣装が意味するものとは


先日放送された大河ドラマ「どうする家康」
で井伊直政の回想シーンで直政の母・奥山ひよ
の衣装が気になった。

能楽を少々かじったことのある身としては
おっ!となった。

これはおそらく「唐織」だな。
唐織とは能楽で女性を演じるときよく身につける能装束である。

赤色の入った唐織はとくに若い女性を現す。

代表的な演目だと「熊野(ゆや)」がある。

熊野という女性が主人公で、田舎の娘でありながらその美貌で平宗盛の寵愛を受け都で暮らしていたが、ある日、母が病で危篤と知り帰りたいと宗盛に懇願するも許されず…という話だ。

この能「熊野」と今回のドラマの装束がそっくりだと思った。もっとも勘違いかもしれないが…。

さらに共通点というと、熊野の故郷が遠江であること。

井伊直政の出生地も遠江である。

そう考えると、ドラマも興味深いものになる
熊野は母と娘の物語で
ドラマでは母と息子の物語である。

お前は悪童だけど母に似て顔だけはいい、
と直政にいう母ひよ

嬉しそうにいうが顔はどこか悲しげだ。
暗がりでも分かる赤色の装束は
井伊直政がやがて「井伊の赤鬼」と呼ばれることから井伊家のイメージカラーともとれるが
それだけではない気がする。

じつは能「熊野」もまた一見煌びやかな装束を纏う美女の熊野の悲しみを魅せる演目でもあるからだ。


母として、息子の出世を喜びたいし
井伊家の者として、井伊家再興を願う
その気持ちに変わりはない。

しかしその一方で

息子が死ぬかもしれない不安や、息子がひとり立ちする寂しさが暗い部屋で表現されているのかもしれない。
いやいや、暗い部屋はそれまでの井伊家の苦難を表し、明るい装束によって「明るい未来、希望」を表しているのか。

ただしい解釈は分からないが、いろんな解釈ができるのがお能のよさだ。

装飾が少ないぶん、余白があって見るものの想像をかきたてる。日本画や水墨画であまり背景を詳しくかかず余白や空気感を楽しむような感じだ。

白粉を塗った顔もまさしく暗い部屋で能面のように浮き上がっている。

母と息子のいる屋敷から見える滝や水の音は
時の流れ、速さを表現しているようで止まっているようで不思議な時間だ。

それまでハイスピードで進んでいた物語が
いきなり止まったのに、流れている。

井伊直政こと万千代とその母ひよ
ひよの衣装は能楽の「唐織」の着付け
滝と樹々を鏡板に見立てた能舞台のようだ 


SNSを見てると、こんなシーンいらないというのをちらほら見かけたが、

この母子のシーンはいわば能楽でいう「中入り」だったのではないかと思う。

(ドラマでも「中入り」というのが合戦の戦術の名称としてでてくるがこれとは別)

前半で堀を掘るだけの泥だらけの井伊直政含めた徳川四天王が
後半で華々しく甲冑姿で合戦を狂い舞い踊る

後半を視聴者に印象づけるための
いっときの静寂、間を演出づける

「中入り」だったのではないだろうか。

この装束、着付けを担当したのは
宝生流シテ方の辰巳大二郎さんだそうです。
X(旧ツイッター)には、唐織の紋様について解説されていました。

またご本人のご先祖も武田家から井伊家に仕え、徳川家康に命を救われたことから
今回の依頼にただならぬご縁を感じたとも
おっしゃっていました。

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