20歳の夏と忘れられない一言
夏とは言え、避暑地であるその街の駅のホームはひんやりとしていた。夜明け前、午前5時。人気もほとんどない。
なのにもかかわらず、わけもなく一人でいることへの面映ゆさもぬぐえなかった。そんな20歳の夏。今でも忘れられない思い出が私にはある。
その夏、私は大学に進学してから一度も帰省できていなかった母の家に帰ることに決めたのだった。進学当時、我が家は生活に困窮していた。子どもながらにその現実に妙にリアルに向き合っていたと思う。
しかし、私はどうしても大学で学びたかった。叶えたい夢があった。
そうはいっても、とてもじゃないけれど、進学費用を出してほしいとは言えなかった。押し込めた自分の気持ちの行き場は、宙ぶらりんのまま、入学の日を迎えた。
まだ、18歳だった。自分で貯めてきたお金や、これからアルバイトで貯めるお金、そして奨学金で生活を送ることにした。あの頃は、いつもお腹が減っていた。
当然、実家に帰るお金など捻出できない状況が続いた。しかし、あきらめることなく勉学に励んだ。努力が実を結び、特待生として学費免除を受けることができた。それは、一つの大きなチャンスだった、夏の太陽に負けないくらいの強い輝きをもった。
何とか手にした切符は、もちろん普通乗車券、つまり鈍行列車である。それでも学割を受けても8000円以上もしたのを覚えている。
半日以上かけてたどり着いた懐かしのふるさと。今となっては、母と何をして、話して、どんな気持ちだったかまでは鮮明には蘇らない。
「お母さんに会いたい。」
ただ、それだけだった。
目には見えない、栄養みたいなものを吸収して帰路につく途中で、今でも忘れられない体験をすることになった。
大学のある街(終着駅)まで、あと3時間ほどというところ所になって、一回りほど年上のお姉さんが、大きな荷物を持って乗り込んできた。パッと目を惹くタイプではなかったが、親しみやすさのある人だった。
「こんな時間に乗ってくるってことは、お休みなのかな。」
漠然とそんなことを考えながら、彼女を見つめた。まさか、私が座っていたボックス席にやってきて、話しかけてくれるとは思わずに。
そのお姉さんは、第一印象通り、話しやすい人だった。自分が大学生だということ、母に会いに里帰りをしていたこと、夢があることを語った。
初めて会ったのに、自分の心のうちを話せたのは今でも不思議である。
一方でお姉さんは、今でいうワーキングホリデイに出ていたということ、これから一度実家に戻る途中であることを話してくれた。
夢の話をしたとき、彼女はこう言った。
「きっと、なれるよ。」
文章にすると、たった1行であるがこの言葉は、夢に向かう私にとっては心強い味方だった。お姉さんの名前は、忘れてしまった。でも、この一言だけは忘れなかった、否忘れられなかった。
自分の目標になかなかたどり着かなかった時、夢の手前であきらめそうになった時、覚悟が揺らぐ夜、涙で前が見えない夕方、朝が来てほしくないと思った夜明け。
「人に歴史あり。」というように、私にもそれなりに苦しいことはあった。それでもこの言葉が放つ光は、これから歩いていくどんな道をも照らし、どんな力持ちにも負けない強さがあった。
もう会えないと思う。本当に一期一会だと思う。でも、あの当時のお姉さんと同じ年になった今、この言葉の偉大さが身に沁みて泣けてくる。
私もそんな言葉を、どこかの誰かにかけられるだろうか。そんな思いを大切に私もまた、旅に出たいと思う。
「お姉さん。私、夢をかなえたよ。」
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