5000km
5000km。それは私と彼女の距離だ。
大好き。会いに行きたい。そう思っても、すぐには飛んでいけない距離。
彼女の名前は、キスと言う。(耳で聞いたまま呼んでいたので、本当の発音は違うかもしれない)
年はたしか20才くらい。小学校で先生をしていて、姉妹がいる。住んでいるのはビルパニ村。ネパールの首都カトマンズから、山道を車で丸1日走り続けて到着する、小さな村だ。
私がキスについて知っているのはそのくらいだった。なにしろ、私とキスの間にはほとんど言語がない。
村で使っている言語はマーガル語と言った。そして英語も、本当に簡単なものしか伝わらなかった。使い方が少しちがったり、発音がお互い異なっていたり。
それでも、私とキスは親友だった。
キスは、私がホームステイした家の向かいに住んでいた。
村全体が家族のようなコミュニティだったので、他人の家に、自分の家かのように村人が出入りしていた。どこの家の子なのか、わからないほどだった。
そのためキスもよく私のホームステイ先の家に来ていたし、私もキスの家によく行っていた。
ある日私たちは、2人きりで薄暗い部屋にいた。豆電球ひとつしかない、暗い二階の部屋。あれは、誰の家だったのだろう。
そこで私たちは、いろいろな話をした。その間にはほとんど言語はなかったけれど、私たちはとにかくいろいろな話をした。
住んでる場所。好きなもの。家族のこと。友達のこと。恋人のこと。
写真を見せたり、ジェスチャーを使ったり。
私は彼女の言わんとすることが手にとるようにわかった。
そのとき私は、キスにメイクをしてあげることにした。
キスに目をつぶってもらって、私はいつも自分がしているように、メイクをした。
まゆげ、目、ほっぺ。順にキスの顔を彩っていく。
「できたよ」キスに声をかけると、笑いながら目を開ける。
よく日に焼けた肌と、元々ぱっちりしているキスの目に、私の普段メイクはあまり馴染まなかった。
でも、キスは嬉しそうだった。にこにこしながら、何度も鏡を見ていた。だからまあいいか、と私は思った。
そしてネパールから帰る前日、お別れのセレモニーがあった。
私は号泣していた。周りにいた現地の子供たちも、皆泣いていた。二度来たネパールだけど、就職したらもう来る機会はないかもしれない。一生会えないかもしれない。そんなことを思うと涙が止まらなかった。
そこに、遠くからキスが歩いてきた。彼女は、怒った顔をしていた。
「キス…」
名前を呼ぶと、彼女は怒った顔のまま私に言った。
「泣かないで。あなたが泣くと、周りの子供達が泣いてしまう。」
私は面食らった。そうだ、キスは先生だった。
「ごめん。」
涙を拭って私は笑った。周りの子供達の前でふざけてみせた。キスを困らせるわけにはいかない。
そのあと、私たちは流れ続ける明るい音楽に乗って、踊り続けた。私もたくさんの人と踊った。もちろんキスとも。
泣いてばかりいちゃいけない。一緒にいられる最後の一瞬まで、笑顔でいよう。そう思った。
暗くなり始めた空の下、少ない光に照らされたキスの笑顔は、美しくて、儚くて、なんだか切なかった。
今でも、あの時のキスの表情を思い出す。
いつか会いたいな。でも、会えるのかな。簡単に行ける場所ではない。
今日もあの村で、キスは生きているんだろう。
動物の世話をして、子供達に勉強を教えて、水を汲みに行って。
5000km以上離れた遠い土地に思いを馳せると、私も頑張ろうと思える。
離れていても、会えなくても、キスと私は親友だ。
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