『TSUNAMI』が教えてくれたもの【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~②】
時は流れて、ミレニアム。高校1年生になっていた僕は、年が明けてチャンネルを合わせたサザンの年越しライブの中継で、あの名曲を初めて耳にした。布団に寝転がりながらテレビを見ていた僕は、凄まじい感動に包まれたのを覚えている。
今回の記事を書くにあたり、タイトルをどうするかとても悩んだ。当時、サザン史上最大のヒット曲が封印の憂き目に逢うなんて、誰が想像しただろう。ただ、僕にとっては間違いなく大切な一曲だし、サザンの何度目かの衝撃的なブレイクを10代のうちに目の当たりにできたことを光栄に思っている。
90年代後半は空前のバンドブーム。僕は中高一貫の男子校に通っていて、大きくはGLAY派とラルク派に分かれていた。もちろん僕もGLAYもラルクも聴いていたけれど、どちらにも属していない。いわばサザン派だからだ。
「その年齢で珍しいね」といわれるのも日常茶飯事。しかも、ミレニアム前年の1999年に発売された『イエローマン 〜星の王子様〜』の歌詞には、社会現象を巻き起こしていたB'zのベストアルバムと同じ「Pleasure」と「Treasure」が登場し、下司とか木偶とかいうもんだから「サザンはB'zをいじってるんじゃないか」とあらぬ疑いをかけられて、サザン派の僕までいじられたものだ。
そんな中、『TSUNAMI』の大ヒットは、少数派の僕を勇気づけてくれた。「サザンって、すごい」。『勝手にシンドバッド』でのデビューも『いとしのエリー』での世間を驚かせるイメチェンも、リアルタイムでは知らない僕ら世代にとって、それはそれはとてつもないインパクトを与えた。「サザン、ここにあり」。どうだ!といわんばかりに、僕の声は少しばかり大きくなったかもしれない。
この年は、いわゆる「サザン三部作」の年で、夏には『HOTEL PACIFIC』が、秋には『この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜』が発売された。茅ヶ崎ライブも開催され、サザンファンとしても印象的な1年だが、個人的にも忘れられない。この年の夏に最愛の祖父が亡くなったからだ。
初めて身内の死に直面した僕は、かなりの精神的ダメージを負い、立ち直るまで時間を要した。たいそう変わった祖父だったけど、なぜか僕は可愛がられていて、たぶん“普通の”祖父‐孫の関係と比べると会話はだいぶ少なかったものの、愛情は感じていたし、どこかわかりあえている感覚があった。
『人は涙見せずに大人になれない』。『TSUNAMI』は恋愛の歌。ラブソングだ。でも、祖父の死に涙をこらえらなかった僕は、このフレーズに救われたし、多感な10代や20代は大いに支えられた。「男は泣くもんじゃない」「泣くのは情けない」と、弱虫な僕は幼少期から叱られたりもしてきたから、「そっか、そんなもんなんか」と心が軽くなったりもした。そして、恋の辛さを体感するたび、思い出すようにもした。
『TSUNAMI』というタイトルを付けたことについて、桑田佳祐本人は後悔しているというエピソードを見聞きしたことがある。「歌うモチベーションにならない」とも。
けれど、いつか『TSUNAMI』が歌われる日が訪れることを僕は祈り続けたい。
(つづく)
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