コインが両面あるように【じんせい論】
昔、こんなことを言ってくれた人がいた。
「コインが両面あるように、発信した想いは必ず誰かが受け取ってくれる」
以来、この言葉は、僕が創作活動するうえで支えのひとつになっている。
創作は好きだからしているのだけど、作品を発表するとなると、やっぱりドキドキするものだ。普段「他人の目なんか気にして生きるものではない」と偉そうに子どもたちに説教しているわりには情けない話だけど、評価や感想というものは気になってしまう。
書いた本人としては「おもしろい」と思うから発表するわけで、手応えや自信みたいなものが自分なりの基準をクリアしているのだが、当然のことながら受け手の感情をコントロールすることはできない。
友人や知人を含め、読んでくれた人全員のお口に合わなかったらどうしよう……と小説の発売日が近づくにつれ、段々と不安が膨らんだりも実はする。
そんなときは、冒頭に記した言葉を思い出すようにしている。
「コインが両面あるように、発信した想いは必ず誰かが受け取ってくれる」
受け取ってくれる人の数は、もしかしたら少ないかもしれない。いわゆる「いいね」が可視化された今、数字の大きい小さいに目が行きがちだけど、受け取ってくれた人がひとりでもいるなら、発信した意味はあると思うのは単なる負け惜しみだろうか。僕は、そうは思わない。本来、すごく尊いことだ。
新作小説「BAR90's」を4月6日にリリースして1週間近く経つが、早速読んでくれた人たちが何人もいて、Amazonにレビューを投稿してくれたり、感想をLINEで送ってくれたりしている。本当にありがたいし、報われる。
中には、章のモチーフになっている楽曲を集めてプレイリストまで作って楽しんでくれている人もいた(ちなみにその人は、僕にコインの話をしてくれた人だ)。
今のところ好意的な評価や感想ばかりが届いているが、時間が経ち、広がれば、酷評に晒されることもあるだろう。実際、前作の「おばけのリベンジ」でもそうだった。
「おもしろくない」とかいわれるとシンプルに傷付くけど、作品が広まった証なんだと思って無理やり納得し、ポジティブ変換する。全員に好かれるものを作るのは不可能だし、好みは人それぞれなのは、頭では理解しているから。でも、心は傷付くから、できるだけ意識を頭に集約する。
そして、そんなときはコインの話をまた噛みしめたい。
「コインが両面あるように、発信した想いは必ず誰かが受け取ってくれる」
酷い言葉に振り回されたり、そっちのほうが深く心に残ってしまうものだけど、僕の作品が好きだと言ってくれる人、応援してくれる人、そんな人たちの存在にこそ目を向けて大切にしないとバチが当たっちゃう。
誰かが受け取ってくれると信じて、僕はこれからも創作を続けていきたいと思う。新作小説をリリースして、また改めて強く認識できるようになった。小説「BAR90's」をお読みいただいている皆さま、ありがとうございます。
まだお読みでない方、もしよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。Kindleで500円です。Kindle Unlimitedご加入の方なら、無料でお読みいただけます。
おもしろかったら、ぜひレビュー投稿をお願いいたします。おもしろくなかったら、そっと心に閉まっておいてください。傷付くから笑
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