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おじいちゃんのスニーカー

いつも突然に呼ばれる。
家のすぐ近くまで迎えに来ているらしい。
慌てて外に出てみても、どこにいるのか定かでなくて、声を頼りにどんどん歩くしかない。
姿は見えないけれど、呼ぶ声はすぐそばに、耳元に聞こえている。
いつもは思うように動かない足もこの時ばかりは、誰かが導いてくれるからか、スムーズに前に出る。
なかなか追いつけないけれど、ちゃんと待っててくれるだろうか。
いなくなったりしないだろか。
一生懸命に歩いても、その後ろ姿さえ見つけられない。

そして、ふっと、声が聞こえなくなる。
遅いから、待ちくたびれていなくなったのだろうか。
また、間に合わなかった、らしい。

夢中で歩くから、気が付いた時にはどこにいるのかわからないことがよくある。
仕方なく、そこで待つことにしている。
泣きそうな顔をした女性が、そのうちにやってくる、はずだ。
とても、懐かしい近しい人のようだ。


隣のおばちゃんはおじいちゃんの徘徊に悩んでいた。
でも、最近、ちょっとした変化があった。

訪問販売の雑貨屋でイケメンのお兄さんから真っ白いスニーカーを買ったらしいんだけど、これがなかなかの逸品らしい。
イケメンとか言いそうにもないおばちゃんがなんか嬉しそうに話していた。

「これはおじいちゃんのスニーカーです」
そのイケメン雑貨屋さんは何度もダメ押ししたけれど、おばちゃんは内心自分で履こうと思っていたらしい。
でも、おばちゃんが履く前に、おじいちゃんは待ってましたと言わんばかりに、すぐに玄関先にあったそのスニーカーを履いて出かけて行った。
おばちゃんも慌てて追いかけた。時々こうなる。途中で止めると、激昂することもあるので落ち着くまで歩くに任せている。それでも、出かけるおじいちゃんにおばちゃんが気付く時はいい。いつの間にか、一人で出かけることもままある。そんな時はいろんな人にお世話をかける。

 その日は30分ほど歩いた頃、おじいちゃんはくるっと振り返り、逆方向に来た道を、つまり家に向かって歩きだした。
驚いて立ちすくむおばちゃんには目もくれず、歩いてきた時と同じように、力強く、何かに導かれるように家に帰っていった。

そう。そのスニーカーを履くようになってから、おじいちゃんの徘徊は片道30分の散歩になった、らしい。
どうしてかなんて、分からない。
不思議な、いや、イケメン雑貨屋曰く素敵なスニーカーのおかげらしい。
おばちゃんはニコニコと満足気に話していた。

でも、それも長くは続かなかった。
ある日、近所の野良犬がおじいちゃんのスニーカーの片方をくわえて行ってしまった。
近くを探してみたけれど、見つからない。
あの雑貨屋がもう一度来てくれないかと思うけれど、あれ以来見かけたことはないらしい。
おじいちゃんは、やっぱり出かける。
玄関に置いたままにしてあった片方だけのスニーカーを履いて、片方は素足のままに玄関を出る。
でも、片方だけのスニーカーだと、どうも調子が悪いらしく、どこへ行ったらいいのかわからなくて、門を出たところで足踏みをするようになった。
きっかり30分足踏みをして、家に戻ってくる。
途中で無理矢理に家の中に戻そうとしたら、温厚なおじいちゃんを怒らせてしまった。

やむなく片方のスニーカーも隠して、新しいスニーカーを玄関に置いたら、
少し戸惑っているようだったけれど、それを履いて出かけた。

心配で後をつけたら、ずっとずっとずっと歩いて行ったらしい。

片方だけのスニーカーというのも体裁が悪いけれど、
おじいちゃんは毎日、門の前で30分足踏みをしている。

最近はおばちゃんがイケメンの雑貨屋さんを探して徘徊しているような気がする。

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