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Paris-ぼっち!ぽんこつ人間は「私」を生きる

初めて海外に出てみて痛いほど感じたことは「自分の思考を言葉にできなければ、それは何も考えていないのと同じ」という事実だった。


どれだけ入試制度が多様化しようとも、日本の大学受験において「英語」はいつまでも必須科目の座に居座り続けているし、これからもたぶんそうなのだろうと思う。


現行の大学入試は「理系or文系」というあまり意味のない区分は頑なに譲らないけれど、どちらを選んでも英語から逃れることはできない。少なくとも、そこそこのランク(偏差値・知名度・その他の基準で)の大学の試験を受けるならば、英語を受けないということはまずあり得ない。


この状況は、英語を得意とする人にとってはそれほど重要ではないけれど、苦手な人にとってはかなり深刻なことだと思う。なにしろ、圧倒的なディスアドバンテージを背負って、人生を左右しかねないテストに臨まなければならないのだから(する、とは言わない。というか、医療系学部を除けば受験で決まってしまうほど人生は甘くもなければ辛くもない)。


そして「日本に住んでいるし、これからも日本を出るつもりはないのに、どうして英語(外国語)を勉強しなければいけないの?」と問うことになる(かもしれない)。使いもしない言語を学ぶことに、いったいどんな必要性があるのか、と。


包み隠さずに申し上げれば、私は「受験英語」に関してはかなり得意だった。
大手予備校の模試での偏差値は80超えはなんでもなかったし、センター試験(世代がバレる)でも1ミスすれば教師から「どうした?」と言われた。
だから、もしかすると英語が苦手な受験生の気持ちを本当には理解できないのかもしれない。


自慢したいのではない。むしろその逆。
私くらい、つまり「日本ではそこそこのレベル」で英語ができたとしても、一歩日本の外に出てしまえば「英語ができない人」でしかない、ということを言いたいのだ。


なぜ英語を、ひいては外国の言語を学ばなければならないのか?


アラサーにもなって初めて海外旅行にいった。フランス・パリへ。9日間。
大学時代にフランス語の講義を受けていたけど、なんの役にも立たなかった。話すという以前に、何も聞き取れなかった。


かろうじて英語でやり取りはできたけど、パリジャンやパリジェンヌたちがすらすらと澱みなく話す英語(=第2言語)に対して、ぽつぽつと単語で答えるのが精一杯で、それは「会話」と呼べる代物ですらなかった。


そういう体験をして初めて私は「せめて英語ができないと、日本の外では会話すら成立しない」という冷厳な現実を受け入れることになった。
もっと正確に表現すれば、「せめて英語ができれば、自分の感じたことや考えたことをフランスの人に伝え、彼/彼女らの伝えたいことを理解するることもできたのに」という後悔だ。


言語は道具だ。人と人とを繋ぎうる(使い方によっては切断する)、お金に匹敵するレベルの強力なツールだ(お金はこの世で最も優秀な「道具」ですが、この道具の使い方を知らない日本人のなんと多いことか、という話はまたいずれ)。


言葉にできなければ、何も考えていないのと同じ。
表現しなければ、他者に何かが伝わることは絶対にない。


私はだれかに「英語を勉強しておいた方がいいよ」と勧めるつもりは一切ない。
ただ、自分が生まれて初めて感じた「言語ができないせいで味わった悔しさ」を書き残しておきたいだけ。それがたまたま読者の中の誰かの役に立つことがあれば、もちろん嬉しいけれど。


リュクサンブール公園



英語ができないとスーパーで買い物もできない


正確には「フランス語を聞き取れないせいで、危うく地域のスーパーでペットボトルの水すら買えないところだった」。


フランス(ヨーロッパの国々)では英語が通じると言われるけれど、少なくともフランス人はびっくりするくらい英語ができる。いや、ほとんどネイティブやん、ってくらい、みんな自然かつ流暢なイングリッシュの使い手だった。


そういうわけなので、フランス(パリ)ではフランス語ができなくても、英語さえできれば観光はできる。
ただ、あくまで「観光」しかできない。現地の人々の懐深くに入り込みたければ、やはり彼/彼女らの「母国語」を習得しなければならないと思うけど、これについては話が逸脱するのでまた別のところで。


フランス入国初日、ホテルに着いた私は水を買うために近所のスーパーを訪れた。
21時閉店のスーパーに20時30分に入ったのだけど、40分にもなると店員が「マガザン・フェルム!マガザン・フェルム!」と叫び出した。


マガザン?フェルム?どういう意味だ?


1人でぽかんとする私に、その店員は両手で追い払うようなジェスチャーと共に「マガザン・フェルム!」を続ける。なるほど、閉店になるから早く出て行け、ということらしい。


いやいや、ここ21時閉店ですよね?!まだ20時40分だよ???


後でわかったけど、フランスではスーパーに限らず「〇〇時閉店=〇〇時に職員が帰宅する」と解釈しなければならない。
日本のように蛍の光を流して婉曲的に「そろそろおかえりください」と伝えるのでもなければ、「お客様がいる以上は残業してでも対応」してくれることもない。


時間になったら追い出される。というか、時間になったら仕事を終わりにする。それがフランスだった!


私は大慌てでレジに向かった。どっかりと椅子に腰掛けたままスキャナーに通している、日本だったらあっという間もなくクビになりそうな接客の黒人のお兄さんが、大袈裟に首を横に振りながら12本入りパックの水と1個のパンを持った私に向かってこう言う。「クローズ!クローズ!」


このままだと、私は明日の朝まで空腹と喉の渇きに耐えて過ごさなければならない。いや、スーパーで買い物すら出来ないのだから、もしかするとパリの雑踏の中で食糧にありつくことなどできないかもしれない。


周りを見渡してセルフレジに向かう。画面に出てきたのはフランス語。はい、読めません。頭が真っ白になりパニックになる。バーゲン品のパンにバーコードが付いていなくて、どうやってレジを通すのかまったくわからない。
そして、ぼさっと立ち尽くす私を見兼ねた店員さんが「後で(日本語)」といって他の客を先に通す。


もう1人別の店員が加勢して、私の持っている商品をスキャナーに通し始める。しかし、バーゲン品のパンにはバーコードが付いていなくて、2人で「どするんだっけ?」的なやり取りを始め、画面をいじり回していた。店員ですらわからないことを、外国人の私がわかるわけないのだ、とちょっとだけ安心する。



やがてどうにか商品登録を終えて、私に何かを問いかける。「カフ?」
カフ?何それ?完全にフリーズする私に、2人の店員が苛立ち始める。
「カフ?カフ?」


何がなんだかわからない。が、商品登録の後に客がやることは一つしかない。私は恐る恐るクレジットカードを取り出した。店員は「そこ」と決済機を指差した。


ちなみに店員の「カフ」と言うのは「carte」、英語でなら「card」のこと。つまり「支払いはクレジットカードでいいのね?」と聞いていたのだ。
フランス語の「r」は特殊な発音をして、少なくとも「る」ではない何かで、無理に日本語表記するなら「ふ」に近いのだけどそうではなくて、要するに聴き慣れない発音なのです。


「carte」は本来なら「カルト」らしいけど、私はフランス語特有の「r」の発音に圧倒されてしまって、「カフ」にしか聞こえなくて大変な目にあったわけだ。
そういえば挨拶の「bon jour」もよく聞くと「ボンジュール」ではなくて「ボンジュー”ふ”(=知らない音)」みたいな感じだった。


長々とスーパーでの不買運動()の話をした。この話の教訓は何かと申しますと、「相手の言っていることがわからない・聞き取れないとパニックになる」ということでございます。

ここから「リスニングはすごおく大切」という結論に至るには、まだまだパリで痛い目に遭わなければならなかったのだけど。


お世話になったスーパー


スピーキング能力はいらない


パリの中心部ではほとんど英語で通せる。ていうか、スーパーでも英語で話せばよかったのだよ、たぶん。まあ、入国初日でそんな事情がわかるはずもなく。
そう言うわけなので、フランス語は「ボンジュール」「シルブプレ」「メルシ」「オルヴォワール」の4つしか使えなくてもとりあえず大丈夫。



フランスの人々は英語がとてもとても上手なので(本当に第2言語とは思えない)、「あ、このジャポネ(=日本人)はフランス語ができないらしい」と察すると、「Can you speak English?」と聞いて途中から英語で案内してくれるようになる。
要するにこちらにレベルを合わせてくれるのだけど、その度に「日本人って、国際的にはとことんポンコツなんだ…」と恥ずかしくなる。なにしろ、その英語さえところどころしか聴き取れないのだもの(訛りのせいではなくて)。


しかも、こっちの答えは「yes」「no」ばかりで、せいぜいが「wating here?」みたいに単語で返すのが精一杯だった。センテンス、文章で会話ができないのだ。


ただ、日本の昨今の英語教育で謳われる「読む・聴く=受信するだけでなくて、話す=発信する力をつけよう」という主張には私は同意しない。
というのも、「自分から発信する」よりもはるかに「相手の言うことを正確に受け取る」ことの方が、外国で生き延びる上では重要だと感じたから。



つまり、「もっと読む・聴く能力を徹底的に鍛えるのが先。スピーキングは後でいい」と言うのが、私の偽らざる実感だった。


キャッチボールと同じだ。
相手のボールをきちんと捕れれば、投げ返すのは下から放ったり、あるいはワンバウンドで投げ返してもキャッチボールは成立する。
でも、捕球がきなくて後ろに逸らしてばかりだったら、投げる方だってうんざりするに決まっていて、キャッチボールにならないし、だれもそんな人とキャッチボールなんてしなくなる。


語学でいえば、捕球=「読む・聴く」で、投げる=「話す」になる。
相手の言いたいことさえ正確に理解できれば、返答に関しては下手投げやワンバウンド=単語でもコミュニケーションの形にはなるのだ。


パリの犬はノーリードでお散歩


手書きの文字が読めません


それから「読む」もとても大切。フランスにおいてはすべての案内はフランス語で、あるとしても英語だ。
美術館の案内文も、ホテルの説明文も、街中の看板も、ほとんどがフランス語なわけで、フランス語がわからないといちいちGoogle翻訳にかける事態に陥る。


フランスで最も困ったのは、レストランの前の黒板に書かれる手書きのメニューが読めなかったこと。あれだけ崩されてもGoogle翻訳はある程度読み取ってくれてすごいと思ったけど、結局は機械はある程度までしか読み取れない。


まだ読める方


それに、いちいち街中で翻訳アプリを使うのはかなり面倒だった。
何よりも、日本以外の国(中東・アジア・EU圏内の他国など)から来ている観光客で翻訳アプリを使っている人なんて1人もいなくて、みんな流暢な英語で話していたので、会話の最中に翻訳ツールを取り出すのはさすがに日本人過ぎるよな、と…


「思ったこと・感じたこと」は表現しなければ「何も考えていない」のと同じ


パリで一番悔しい思いをしたのは、美術館でガイドの人たちと話ができなかったこと。
私は到着日を除く8日間の滞在中に実に18ヶ所もの美術館を巡り、多い時には1日で4箇所回るなど、ピカソやモネやルノワールやロダンや(以下略)の作品を毎日浴びるように鑑賞し続ける日々を送った。


私は芸術に関してはほとんど無知だったとはいえ、毎日ほんものの芸術作品に触れていれば、素人なりに何か感じるものや考えることが出てくる。



たとえば、ギュスターブ・モロー美術館はすごく素敵なところで、ルーヴルやオルセーのような大柄な美術館とは違って画家の自宅兼アトリエをそのまま展示室にしていて、部屋の壁という壁にモローの絵が飾られていた。
そこで話したガイドのおばちゃまに「ここにいると、自分が絵を見ているのではなくて、絵の方が自分を見ているみたいだ」と言ったら、「あんた、面白いこと言うじゃないか、へっへっへ!」と言いながら肩をバシッと叩かれた。


でも、私の口から出る言葉はそれが精一杯だった。もっと色々なことを感じて、考えて、思ったはずなのに、心に生じたものを言葉にすることができなかった。
その時に初めて私は後悔した。「もっと語学ができれば、フランス語ができれば、せめて英語で何かを言えれば、この人と深いコミュニケーションができたのに」と。


このボリュームでしかも4階建です


残念なことに、現代の日本にいると芸術について語れる人はほとんどいない。
もちろん、フランス人が全員芸術に造詣があるわけではないだろうし、実際に美術館のガイドにも明らかに芸術に関心などなくて「仕事」という感じのおっちゃんもいた。


ただ、パリ市は青少年の芸術教育に力を入れていて、25歳以下ならばかなりの数の美術館に無料で入館できてしまう。ルーヴルでさえ無料で入れたはず。美術館だけでなく、宮殿があるチュイルリー公園やリュクサンブール公園も自然豊かですごく綺麗で美しかった。パリ郊外の街も例に漏れない。フランスという国は「美」を重んじる国だった(ゴミ箱が溢れていて汚いんだけどね)。


日本で絵画やクラシック音楽を鑑賞していて、時々虚しくなることがある。
日本には芸術を鑑賞するという習慣がなくて、というかそもそも「美」について考える機会がないと申しますか、音楽といえばポップ・ミュージック、絵といえばアニメのキャラクター、みたいな、常に大衆的でポピュラーなものが受ける風潮がある(まあ日本だけではないだろうけど)。



芸術にそれほど関心のない(そして私も含めて芸術に関するまともな教育をほとんど受けていない)人だらけの日本社会では、社交の場や友人たちとの会話でピカソやモネ、あるいはバッハやモーツァルトについて語り出したら、たぶん変な人だと思われるのがオチだ。


芸術は堅苦しくて難しい、というのが多くの日本人の見解なのだと思う。私もそう思う。ピカソは何度観てもいったいどういう絵なのかよくわからないし、バッハの旋律を聴くとなぜ心が安らぐのかもわからない。


でも、毎日、毎日、ピカソと向き合っていると、だんだんわかってくることもある。「この人は線の描き方、特に輪郭線の描き方が日本の書道みたいだな」とか、「そうか、二次元平面に時間を導入しようとすると、訳のわからないところに目を描くことになるんだ」とか。


ピカソ


フランスの地で私は、孤独と隣り合わせの開放感に浸っていた。何か困ったことがあっても、日本大使館以外には私の助けになってくれる人はいない。両親も、友人も、何年も連絡を取っていないような昔の知人も、日本から飛行機で14時間と往復航空代20万円離れたこの地に私を助けにくることはできないのだから。


私は人生で初めて、自分が他の人々に取って「他者」なのだと感じた。街ゆく人のうち、誰1人として私の味方はおろか、敵すらいなかった。誰もが私という人間に無関心で、私とは関わりがなかった。


私が助けを求めても、フランスの人々が日本人である私の要請に応えなければならない理由はどこにもない。あくまでも「個人の良心」に縋る以外に、私に手を差し伸べなければならない理由は彼/彼女らにはないのだ。


そんな風にまったく言語が通じない異邦の地であるパリの中でも、芸術は私の心にしっかりと何かを語りかけてきてくれた。それは言葉なき対話だった。国境も、言語の壁も、肌の色も、場所も、時間も、何もかもを超えて、モネの色彩は私の胸を打ち、ルノワールの絵の輝きは私の心に差し込み、ピカソの絵は私の心を芸術の迷宮へと誘った。


これが芸術なんだ、ほんものの芸術はこういうものなんだ、と私は感じた。それをだれかに伝えたかった。そして、この思いをわかってくれるであろう人々はすぐそこにいた。なのに、生身の人間との対話には言葉が必要だった。私には語学力、つまり言葉にする力がなかった。


言葉にできなければ、何も感じていないのと同じ。
言葉にできなければ、何も思っていないのと同じ。
言葉にできなければ、何も考えていないのと同じ。


恥ずかしい話だけど、私は人生でこんなに悔しい思いをしたことはなかった。
部活の試合で負けたことも、大学受験に失敗したことも、好きな女の子に相手にもされなかったことも、時間が経てば「そんなこともあったなあ」と笑えるようになった。

でも、パリで芸術に触れて感じた想い、ドラクロワやロダンやベルト・モリゾの作品が私の心に生じさせた何かを言葉にできなかったあの日々のことは、生きている限り「ずっと後悔していたい」と思う。


「言葉にならない」のでも、「言葉にできない」のでもなくて、「言葉ができない」ことの絶望的なまでの不能感。
異国の地においてコミュニケーションを成立させることができない無力感こそが、「外国語ができない」という事態が本当に意味するところなのだと、私は読者にわかってもらいたい。



ローランサン?という人の絵
不思議な魅力があった


言葉がなくても勇気はある


ここまでで散々「言葉ができないと、自分の言いたいことも言えないよ」という話をしてきたけど、少しだけ「言葉と同じくらい大切なのは勇気かもしれない」という話をする。


美術館行脚に疲れて、少しのんびりしようと思って、リュクサンブール公園に向かった。私の耳がバイオリンの旋律を拾う。入り口には人だかりができていて、赤いワンピースを身につけた中年の女性が演奏しているところだった。


私は20人くらいの聴衆に混じって、彼女の奏でるヴィヴァルディに耳を傾けていた。残念ながら私はバイオリンにはまったく通じていないので、彼女の腕前がどのレベルなのかは判断しかねた。



休日の公園でミュージック・プレイヤーを小型のスピーカーに繋いで演奏するところから、おそらくアマチュアなのは間違いない。
ただ、彼女が長い歳月を要して技術を習得した人なのだ、ということだけは理解できた。人生の中で真剣にバイオリンという楽器に向き合ってきた、ということだけは。だからこそ、それなりの数の人々が足を止めて、小銭を投げ入れていたのだと思う。


彼女が全ての演奏を終えたので、私はお財布から小銭をいくらか取り出して彼女の足元のケースに投げ入れた。
その時に私は演奏について感想を言いたかったけど、手持ちの言葉とバイオリンの鑑賞力では明らかに不足だったので、せめて「トレ・ビアン!」とだけ言うと、彼女はにっこりと笑って「メルシー!」と返してくれた。


それから、最終日にレストランの近くの広場を歩いていると、背の高く色白のハンサムな青年がピアノを弾いていた。聞き覚えのある曲だなと思って足を止めると、モーツァルトのピアノ・ソナタだった(何番かは覚えてなかった)。



街中で演奏する人は多い


大きな体をした男前なその青年は、見た目からはちょっと想像できないような可愛らしいモーツァルトを弾いた。
普段はおとなしい子供が何かの拍子に珍しくいたずらをしてしまって、お母さんが驚いているのを物陰からこっそり覗きながら、目が合うと恥ずかしそうに唇を噛んではにかんで、それを見たお母さんが「あなたがやったのね?」と目で問いただしつつもそっと微笑み返すような、イノセントでありながら茶目っ気も備えた響きのモーツァルトだった。


演奏が終わったので、私はピアノの上に置かれたバスケットに小銭を入れた。最終日なので残った小銭を全部入れてしまおうとしたのだけど、全部で1ユーロにも満たなくて悪いことをしてしまったな、といまだにちょっと後悔している笑
どうせなら20ユーロ札をおいてくればよかった。でもさすがにもったいないものねえ…(圧倒的円安のせいで3500円くらいになるのです…)


「モーツァルトのソナタですよね」と英語で話しかけると、青年は顔を上げて頷いた。次の曲の邪魔になるといけないので立ち去ろうとする私に、彼は微かに口元に笑みらしきものを浮かべて「メルシー」と呟いた。
演奏と同じように、純粋な子どもみたいな人だな、と思った。内気で、恥ずかしがり屋なのだけど、でも心には一本の芯のようなものが通った、まっすぐで実直な人。


もっと言葉ができればなあ、と、この時も思った。きっと彼女や青年は深い部分まで音楽を知っている人だから、自分が感じたことを伝えられればそれをきっかけに色々な話ができたかもしれないのに、と。


それでも、自分にも少しの勇気だけはあったのかな、と思わなくもない。見知らぬ人なのだから、二度と会うことのない人なのだから、黙って無言でその場を立ち去ることもできた。
でも、心が素直に「良い」と感じたものに対して、何も言わずに通り過ぎることは嫌だった。それをしてしまったら、日本を離れた意味がないじゃない、って。


勇気を出して行動しなければ、何も起こらない、何も変わらない、何も生まれないじゃないか。
一歩踏み出さなきゃ、日本に戻ってまた同じように退屈で虚しい人生を繰り返すだけじゃないか。


外国に行く意味



海外に行くというと「自分探し」と揶揄されるかもしれない。でも、外国には「本当の自分」なんていない。いや、どこにもそんなものは存在しない。
もしも母国を離れることに意味があるのならば、それは「自分でないだれか・なにか」に、つまりは「他者」に出会うためなのだと思う。


私はどうしようもなく私である。
どうやったって私は私であることから逃れることはできない。
私は絶望的なまでに私に繋ぎ止められ縛られている。


わざわざお金や時間をかけてまで自分なんてものを探しに行かなくたって、私は限りなく私でしかないじゃない。だからできることは一つだけ。
私でしかあり得ない私が、どうしたって私以外の人間になんてなれっこない私が、私という存在の在り方を変えること、私という存在の形をもう一度練り直すこと、私自身を乗り越えること、つまり私が一度死んで再び生まれること、それしかない。


私が異国の地に求めたのは、私という存在の根本に近づくこと、私という存在の水源を辿ることだったのだと思う。逆説的ではあるけれど、自分のルーツである祖国を離れることを通じて、人間は自己の存在の起源に手を伸ばすのではないだろうか。
そうやって、死がもたらす孤独の闇を潜り抜けたその先に、ようやく私は生きることを見出すことができたのだと感じる。


帰国の便


「読む・聴く」中心の勉強は合理的だった


いまだかつてなく長い文章になった。



もしも最後まで読んでくれた方がいらっしゃって、もしも外国語を勉強するつもりならば、「読む・聴くを徹底してやった方がいい」と私は伝えたい。受け取ることができなければコミュニケーションは始動しない、と言うのが私が学び取った原理原則だから。


それから、何をしに海外に行くのか、何のために日本を出るのか、と疑問に思う方には、「(自分の)外に出るため」とお答えするべきなのだろう。
携帯の電波みたいなもので、日本では圏外となって拾うことのできない音や声を、海外に行くと受信することができるようになる(もちろん逆も然りではあるけど)。



心の声なのか、あるいは神からのお告げなのか、その辺りは適切な表現がわからないけども、私はよく晴れた日にパリの街中にある公園の芝生に寝転んでいると、日本では聴き取れない「メッセージ」を何度も受け取ることになった。へえ、私ってこんなこと考えてたんだ、みたいな。


帰国して1週間が過ぎて、いまだに本格的な語学の勉強を始められないでいる。
せめて英語だけでもやらねば、と思いながらも、喉元過ぎればうんたら、ではないけれど、なかなか重い腰が上がらないでいる。


せめてあの日々を忘れないために、備忘録のような文章を書きたいとも思い続けて、結局今日になってようやく書くことができたので、とりあえず一つやるべきことが減って安心している。


フォンテーヌブロー公園の小川

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