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【読書感想文】<おんな>の思想 私たちは、あなたを忘れない

 昨年末に図書館でたまたま目について借りて、時間がかかったものの、ようやく読み終えました。

 一言で言うなら、「読み応えのある本」です。頭めっちゃ使います。

 著者は社会学者で女性学、ジェンダー研究である上野千鶴子先生。その著者の思想や人格形成に大きな影響を与えた様々な著作が紹介されています。いわば、「わたしの血となり肉となったことばたち」。そのことばたちを紹介するとともに、そのことばたちから著者が聴きとり感じたことが書かれています。

 取り上げられているのは、第一部は日本の女性の書き手、森崎和江、石牟礼道子、田中美津、富岡多惠子、水田宗子。第二部は外国語の書き手、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、イヴ・セジウィック、ジョーン・スコット、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラー。

 これを読めばフェミニズムについての知識はばっちり、というような教科書的な本ではなく、読書ガイドでもない。ただただ、著者がこれまで出会い、感銘を受け取り入れてきた思想について自らの言葉を通じて論じる。論理的でありながら、紹介されている本の書き手の魂の叫びとともに、著者の魂の叫びも届いてくるようである。

 第一部は著作が刊行年の順に掲載されている。そこでは日本に「リブ」という言葉も「フェミニズム」という言葉もなかった時代に、「おんな」としての苦しみや「おんな」の「性」と「産」の思想がいかに言葉として生み出されてきたのかが、五人の著作を通して書かれており、さながらまるで日本におけるフェミニズムが生まれ出たドラマを読んでいるように感じる。「おんな」はただ「子どもを産む」だけの存在から、自らの存在について「言葉を産む」存在になった。

 第二部はこれまで自明のことのように思われた社会や文化についての「パラダイム転換」に主眼が置かれているように感じる。「セクシュアリティ」「オリエンタリズム」「異性愛秩序」というものは歴史的に自然なものではなく、近代以降に作られてきたものが自然化されてきたものであるという。論は進み、ジェンダーはセックスとは異なる社会的・文化的性差だと思われがちだが、その言葉の背後には単にそれのみならず支配や差別という政治的な概念が絡んでいるという。さらに言うなれば、脱構築主義からみると「おんな」というものすら言葉として生み出されたものであり、「おんな」の実態すら分からなくなってくる。

 もうここまでくれば私には難しすぎて理解できているのか理解できていないのかすら分からなくなってくるのだが、「おとこ」に抑圧されてきた「おんな」が立ち上がってきたのがリブでありフェミニズムであったのだが、「おとこ/おんな」という二元論では論じ得ないのがジェンダー論であるということなのだろう。

 第二部はおそらく著者が女性学・ジェンダー研究者としての地位を確立してから出会った本が多く、それゆえに著者の魂の叫びという点では第一部のほうが真に迫るものがあったように思う。ただ、イヴ・K・セジウィックに関しては非常に感銘を受けられたようでセジウィックのホモソーシャルという概念を用いて『女ぎらいーニッポンのミソジニー』という本を著しており、そちらも非常に面白かった。

 そして、ちょうど『<おんな>の思想 私たちは、あなたを忘れない』と『女ぎらいーニッポンのミソジニー』を読んでいた頃にNHKで『100分deフェミニズム』が放送されました。その番組の最後に上野先生が、フェミニズムに関して手を抜いたり気を抜いたりするとすぐに押し戻される、という趣旨のことをおっしゃっていました。確かにフェミニズムという言葉がなかった頃から、これだけの歴史を経験してこられた著者だからこその言葉だなと、この本を読んでから思い返すと重ね重ね、上野先生の言葉が重く感じられました。

(『女ぎらいーニッポンのミソジニー』『100分deフェミニズム』の感想文も書いてます。よろしければ読んでください。)


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