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 【感想】『100分deフェミニズム』ー性の主体性は誰のもの?

 今回は『100分deフェミニズム』というNHKのテレビ番組の感想です。ご存知の方も多いと思いますが、『100分de名著』という番組のお正月特番です。年末年始に上野千鶴子先生の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』という本を読んで、フェミニズムへの関心が高まっていたところに特番があったので見てみました。その感想です。

(『女ぎらい ニッポンのミソジニー』の感想はこちらです。よかったらご覧くださいね。)

 まずざっくりと番組内容の紹介です。NHKのHPより引用です。

古今東西の名著では女性差別の状況を予見したような洞察が数多くなされている。性暴力やセクハラといった問題に直面する私たちは、名著の中にその知恵を求めていくことが今、求められている。番組では、さまざまな分野の専門家が集結。「自分がおすすめするフェミニズム」の名著をプレゼン。教育学者、社会学者、翻訳家、歴史学者などの様々な視点から「フェミニズムをどう活かしていくか」を探りながら難解な名著を易しく読み解く。

NHK HPより 
https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2023010211025

 ゲストの方々もとても豪華でした。内容と共にゲストのご紹介です。
第一章 フェミニズムがうまれる 因習打破  加藤陽子先生(歴史学者)
  名著は『伊藤野枝』集 森まゆみ編
第二章 フェミニズムは問う わたしの身体はわたしのもの 鴻巣友季子先生 (翻訳家・文芸評論家)
  名著は『侍女の物語』『誓願』マーガレット・アトウッド
第三章 フェミニズムが見える化 性暴力 上間陽子先生(教育学者)
  名著は『心的外傷と回復』ジュディス・L ・ハーマン
第四章 男社会とは何なのか? ホモソーシャル 上野千鶴子先生(社会学者)
  名著は『男同士の絆』イヴ・K・セジウィック

 一言でフェミニズムと言っても本当に色々な角度から考えることができるのだけれど、まさに「女が生きること」なんだなということを実感しました。

 簡単に内容を説明すると、第一章は伊藤野枝の生涯を通して、女性が自己実現することの難しさ、つまり、女性は自分のやりたい学問や仕事をしようとすると育児や介護といった『不覚な違算』に囲まれてしまう、といったお話でした。第二章は代理母の物語を通して、性と生殖に関する女性の自己決定権のなさについてのお話です。第三章は性暴力を受けた女性の心的外傷がいかに回復していくか、被害を受けた方が語るなかでどうやって自らの主体性を取り戻していくのかということに対し、複雑性PTSDという視点からひもといていきます。第四章は男性はホモソーシャルな集団の中の評価が全てであり、そのパワーゲームから降りられなくなっており、それがミソジニーとも密接につながっている、いかにしてそのパワーゲームの世界だけではないことに気がつくかが大切だというお話です。最終的にはこれまでのフェミニズムの活動も手を抜いたり気を抜いたりするとすぐに押し戻されてしまうので諦めたらいけないし止まったらいけない、ということをお話されていました。

 今回は特に第二章と第三章が色々と考えさせられました。ここで感じたのは、性や生殖について女性の主体性が奪われているということです。『侍女の物語』は数少ない健康な女性は子どもを産むための道具として支配層の男性の「侍女」として仕えなければならないというディストピア小説ですが、ディストピアとして笑って読みとばせないということ。中絶という性的でプライベートなことと思われていることが実は政治の争点になっているということ。アメリカでも今現在、中絶の禁止は政治の争点になっており、いつ私たち女性から産む産まないの自己決定権を奪われてもおかしくない状況になっていること。
 上間先生は沖縄で性的被害にあった少女たちの調査や支援をされていますが、性的虐待やレイプなどは女性の主体性を奪う行為そのものだといえます。

 そして、誰が奪っているかというと、やはり男性なんですよね。上野先生が言われるように男性がホモソーシャルな世界での評価・報酬を求めるのはきっと政治の世界でも同様で、政治というパワーゲームの世界のなかで出世していくことを重んじている背後にはミソジニーがきっと潜んでいる。そう考えると、アフターピルの容認がなかなか進まないことや、代理出産の条件付き容認案が浮上していることも、女性の主体性を奪うこととつながっているような気がする。

 ゲストのバービーさんが中絶を禁止しようとすることに対し、「どうしてみんな子ども産ませたがるの?」という質問をされていたのですが、その直前に上間先生が「男性が性と生殖に介入していく」とおっしゃっていて、そのことに上間先生がすごく怒りを抱いておられた感じがして、本当に少女たちと真摯に向き合ってこられたことを感じさせました。

感想まとめ
 性や生殖についての主体を女性から奪っているけれど、子どもが生まれると子育ては女性の仕事になり、それは自己実現を果たそうとする女性にとっては、(第一章での伊藤野枝の言うところの)”不覚な違算”になってしまう。だからそれを女性に押し付けるのではなく、男性がその”不覚な違算”にもっと入っていけるようになっていくことが必要ということなのですね。

 こうやって感想を書いていると、それぞれ別の観点から見ていたフェミニズムが根っこではつながっているという感覚がしました。

 もうしばらくフェミニズム、勉強しようと思います!!

 些細なことですが、加藤先生が他の先生がお話されたときにこまめにメモをとっておられたのが印象的で、これだけ偉くなっても他の方の意見を取り入れるのかー誠実な方だなー、と思いました。

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