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元気もらいもらわれ

だれかに元気を奪われることもあるし、だれかの元気を奪うこともあるし。元気をもらうことより奪われることの方が多くても、たった一人でも元気をくれたなら生きていけると、今んとこの半生で実感してる。 元気を奪われても奪われてもだれかを元気にしようと一生動きつづけたい。元気にしようとして嫌がられたり気持ちわるがられても、別のだれかをまた元気にしようと努力するだけだ。 元気にしようとすれば、私も元気になれるから。

    • 「批判=悪」ともいえないって話

      批判=悪 と単純に捉える人は多いが、耳障りがよいことばかり言ってる人って詐欺師か何かで、騙すのが目的の人もぶっちゃけいる。 批判するにしても、ノー批判を貫くにしても、ソコに愛が有るのか無いのか「人を見抜く力」が大事になりやしないか。 悪い人間の言ってることを信じて、良い人間の言ってることは信じない。 ソレはアンタ、メンタルもやられるわ!って話。

      • 自殺する人の気持ち、わかる

        自殺する人の気持ちがわかるなんて自殺完遂してもいないのに軽々しく言っちゃいけないのも承知ですが、死にたくなるのはほんとよくわかるし、相当な決意、覚悟で自殺してるだろうに間違った判断したかのように批判され、もったいないなどともいわれ、そういう世の中だから嫌気がさしたんだろうと。 虫けらのように扱われてるとしか思えない人生に絶望して途中で降りても、虫けらとして人生をきっちりかっちり生きても、変わりやしない。 私の中では、自殺するかしないかは、結婚するかしないか、子どもいるかい

        • かっこわるいからやめとけ(ダサいからやめとけ)の言葉の意図

          ネットでたまに、どっかの掲示板で陰口を叩いてる人たちに対して「かっこわるいからやめとけよ」といった言い方がされますが、別にアレは本当にかっこわるいと思って言ってるわけじゃないと思ってます。 ほんとはこんな感情論ではなく複雑な、論理的な理由がありますが、関わりたくない人にわざわざ労力つかいたくないといいますか、いちいち説明したくないといいますか、かっこわるいの一言で片づけるのがラクだからソレで済ませてるだけかなと。 ついでに、かっこわるい・ダサいって言葉には、かっこよくなり

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          ワンチャンスをものにする人はスゴイ

          歴史上の戦いで10回戦えば9回は勝ってただろう武将がたまたま負けて歴史の表舞台から消えたり、スポーツやテレビゲームでほとんど一方的に攻めてたはずなのに敵のたった1回きりの攻撃チャンスで負けてしまったり、弱いと思ってた相手にまさかの負けを喫するような状況が私たちの人生では起こります。 こういう、弱いはずの相手にワンチャンスをものにされた時、大別して2種類の考え方があります。 まず1つは、運がわるかったという考え方です。練習で10回やって9回は勝ててた相手に本番で負けた時、運

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          「いじめられる側にも問題がある」のか

          私の考えでは「いじめられる側にも」の「にも」がとても重要だと思ってます。 いじめられる側「だけに」問題がある、なんてことは120%ありません。 とはいえ いじめられる側にまったく、200%問題ないかといったら、いじめる側ほどじゃないにしても数%でも問題があったりするわけで、そうしたら いじめられる側「にも」問題があるって文章は間違っていないことになります。 そもそもまったく問題のない完璧な人間なんていないし、少なくとも私はまだそんな人と出会ったことないし、だれだって問題

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          味噌汁のジャガイモ

          子どもの頃オバアチャンちに行ったらオバアチャンに好きな食べものを聞かれてとっさに「味噌汁のジャガイモ」と答えたのを30後半に差しかかった頃に思い出した。 人生の中で好きな食べものを聞かれる機会は何度かあったけど、好き嫌いなく育ったものだから何でも食べれたし、だいたい何でもおいしくいただいててきたから甲乙つけがたく、好きな食べものを聞かれてもとっさに出てこない、特別に何か好きってものはないなー、今の気分ならこれが食べたいってのはちょっとあるけど別にそれもちょっとだしなー、みた

          味噌汁のジャガイモ

          女性が待ち合わせ場所にいくタイミングの最適解

          勝手な持論デスが。 女性は待ち合わせ場所には早くいきすぎちゃ駄目デス。遅すぎてもよくないけど、ちょっと遅れていくくらいでよいデス。 早くいきすぎると自分の安売りになりますから。 「まだかな?そろそろ来てもおかしくないのに。ああ来た来た来た!」と思わせる絶妙なタイミングに現れるときっと大事にされます。 ちょっと不安にさせてから一気に喜ばせる感情の起伏を利用するのデス。女性が自分より先に来てたらカンチガイして調子乗るのが男ってものデス。 「待たせやがって!」なんてタイプ

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          私の大事な人へ

          ゴルです。 ツイッターのフリート機能で過去2回ほど顔を公開してますが、わかってほしいのは、決して顔に自信が有って公開したわけじゃないこと。嫌われるかもなと思いながら、失意や恐怖を感じながら載せました。 なぜそんなことしたかって、ウソをつきたくないから。(ウソをつきたくないだけでウソをまったくつかないとはいいません。ウソをつきたい誘惑に負けることも有ります。) ウソつくと苦しむのでなるべくウソをつきたくない。好きな人には特にウソをつきたくない。だから顔を載せるのもごく一部

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          サブスクにほしい機能

          NetflixやHuluといった動画配信系のサブスクをしてても思ったのですが、最近Spotifyなる音楽配信系のサブスクをしてて想いを一層につよくしたことがあります。 結論からいえば、嫌いなジャンルを除外する機能がほしいってことです。 私はK国のドラマや音楽には関心がないどころか嫌な気持ちにさせられるので、目に触れなくて済むブロック機能のようなものがあれば余計な気苦労を抱えないで済みます。 別にそのジャンルが好きな人たちを否定する気はないですし、それはそれでその人のアイ

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          王道を好きな人間だったらよかったのに

          SNSを利用しててよく思うのは、フォロワーを増やすのに、王道的なものを好きな人間の方が有利なんじゃないかってこと。 人気のないものより人気のあるものを好む神経をもってると交流の輪が広がりやすいのはまず間違いないわけで、でも私、ダントツ人気のあるものをさほど好まないので、フォロワーを増やすのはかなり厳しいなと。 それはそれで、こじんまりとやっててもSNSは楽しいのですが、たまに、フォロワーが多い人の気持ちも味わってみたい、そう思ったりもします。 犬猫が大好きだったらもっと

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          この歳になってシャウエッセンにハマった話

          父が「肉そのものを食べればよいのにわざわざ加工肉を食べる意味がわからない」て人だったので、シャウエッセンのようなウィンナーソーセージを食べる機会が少ない家庭だったのですが、この歳になってシャウエッセンにハマってます。 ハマるキッカケ去年の8月、新潟の長岡花火大会で親戚の家に泊まった際、朝食に出てきたんですね。シャウエッセンが。 これまでの人生でシャウエッセンを食べたことなかったわけじゃないのですがひさびさに食べたらやけにパリッとジュワッと、おいしく感じたのです。 親戚の

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          同人誌を受けとったのに送金しなかった話

          だれもが人を傷つけること あると思います。そして救うこと あると思います。 2002年2002年、女子高生だったシロウトの絵描きさん(仮にEさんとします)が、私が好きだった某テレビゲームのファンサイトで絵を披露してました。Eさんだけじゃなくいろんな人がそのサイトで絵を披露してましたが、Eさんは特に、才能豊かで楽しい絵を描いていました。 サイトで交流してる内に仲良くなり、携帯メールで少しだけやりとりするようになりましたが、彼女は家庭環境がよくないらしく、親との関係が上手くい

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          ソレを知る者よりソレを好きな者が上 ソレを好きな者よりソレを楽しむ者が上

          論語の言葉を紹介します。 原文は『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』。 意味は「孔子(コウシ)が言うに、ソレを知る者はソレを好きな者には及ばない。ソレを好きな者はソレを楽しむ者には及ばない。」となります。 孔子は今から2500年前に生きた偉い人ですね。 仁義や礼儀に基づく理想社会の実現を目指した方でしたが、晩年は失意の日々を過ごし、幸せに人生をおえたわけじゃありませんでした。 日本にも「好きこそものの上手なれ」なるコトワザがありますが、好きだからこそ意識する

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          自殺について

          私は自殺について比較的よくかんがえる人生を過ごしてきました。子どもの頃から。「自分語り」なんて言葉がありますが、自分自身のことを語るならばこのことについて語らざるを得ないかなと。このことを語らないなら自分を語らないのと同じかなとすら。 ただ私、皆さんと同じく痛いのがフツーにいやなので、実行したのはほんの2回しかない。小学三年生の時と二十歳の時と。 小学三年の時は自分で自分の頭をめちゃめちゃがんがん叩きました。最初は両方のこぶしで。もので打ちつけたりもしましたが痛すぎてやめ

          自殺について

          2種類のパワハラ

          パワハラことパワーハラスメントにも大別して2種類が存在します。 よくイメージされるのは、本人は有能なのに無能上司からパワハラされる類。 もう1種類は逆です。本人が無能で上司が有能だからこそパワハラになる類。本人が逆立ちしてもできないことを上司はちょちょいのちょいでやれてしまうからこそ起きるパワハラというわけです。 パワハラするなら後者のパワハラを目指しましょう。じゃなかった。パワハラは絶対だめだぞ。おじさんとの約束だ。 (真面目な話、だから私は他人のパワハラのエピソー

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