かっこわるいからやめとけ(ダサいからやめとけ)の言葉の意図

ネットでたまに、どっかの掲示板で陰口を叩いてる人たちに対して「かっこわるいからやめとけよ」といった言い方がされますが、別にアレは本当にかっこわるいと思って言ってるわけじゃないと思ってます。

ほんとはこんな感情論ではなく複雑な、論理的な理由がありますが、関わりたくない人にわざわざ労力つかいたくないといいますか、いちいち説明したくないといいますか、かっこわるいの一言で片づけるのがラクだからソレで済ませてるだけかなと。

ついでに、かっこわるい・ダサいって言葉には、かっこよくなりたい人や自分はかっこよいと思いこんでる人を炙り出す効果がありまして、くすぶったままでいる人だけが怒るなり鬱るなりの反応を示すため標的を絞れます。

最初から自分がかっこわるいと自覚してる人からしたら「また言われたか」くらいなもので、かっこわるいのがむしろデフォというか自分らしいというか、特に怒りも鬱りもしないと思います。人をふるいにかける魔法の言葉といっちゃ魔法の言葉かもしれません。

そもそも「かっこわるくて何がいけないの?」て話にもなりますよね。かっこよく生きてる人なんてほんの一握りで、ほとんどの人はかっこわるく、泥くさく、恥をしのんで生きてますから。私もまごうことなき恥のかたまりですし。

独身男性がグラマー美女に「恋人同士じゃないとSEXしちゃいけないの?」と迫られて「んん、何がいけなかったんだっけ……」と一瞬混乱するのと同じ勢いで、かっこわるくて何がいけないのか、とまどいます。前者はモラルに反するかもしれませんが決まったパートナーがいるのでもない限り自由にすればよいしソレもまた生き様。かっこわるい自分を受け入れるのも同じ、生き様かと思います。私も私の生き様を見せつけてやりますよ。公園に群がるハトどもに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?