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アシンメトリーな日記:23日目

ストレスのトンネル


毎日が憂鬱だった。

医者が万が一のことがあったらいけないということで、スポーツをするのは禁止されていた。

多感な時期の中3はストレスと闘いながら、スポーツで発散もできない。

どうすることもできなかった。

首輪をつけられているように自由は奪われていた。

来る日も来る日も同じ毎日。

日々頭痛とまっすぐ歩けない病と闘っていた。

そんな僕を見かねた家族はとても優しく接してくれた。

何か食べたいといえば、買ってきてくれるし作ってくれる。

休みの日には外食や外へも連れていってくれる。

ストレスで食べとても始めた。

食べればストレスが解消されるかのように。

そして退院してからすぐに10キロも太ってしまい、体はとても重くなってしまった。

重いからだを動かすのも大変。

ストレスで食べる。動くが大変。さらにストレスで食べる。太る。食べる。

永久に抜け出せない負のサイクルの中にいた。

次第にストレスは形や方向を変えていった。

思い出すともとても辛いけど、

家族へ八つ当たりした時もあった。

そして弱い弟にも。

彼はまだ小学生。

本当に申し訳ないと感じていたけど、どうしようもできなかった。


秋を迎えたころには、中学の部活も最後で3年生は卒業。

毎年恒例、3年生を送る会の試合。

1年生との試合をベンチから眺めていて、

自分が1年の時に3年の先輩の鼻の骨を折ってしまった事を思い出していた。

無力だった。

何もできなかった。

悔しさなんていうのは、捨ててしまわないといけなかった。

そうじゃないと自我が崩壊しそうで、

また家族や弱いものに八つ当たりしてしまいそうで。

いつからか、

このままじっとしていればどうにかなるんじゃないか。

誰かがどうにかしてくれるんじゃないか。

嵐は過ぎ去って晴天が顔を出すんじゃないか。

だからそれまでじっとしていないといけない。

そう願うことで自尊心が保たれて、

そう信じることで未来へ希望を残しておいた。

そうして人生をあきらめていった。


今回はここまで、

それではまた、あす!