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第九十一景

車を運転しているときに、noteに書くことのアイディアが浮かんだけれど、今書き始めるまで思い出せなった。どうしても思い出せなくて、Twitterをなんの気なしに見ていたら、思い出せた。

僕は動物が好きだ。特に猫と柴犬が好きで、道端にいるのを見かけたら、かわいいかわいいと絶叫する。あやうく事故りそうなったことが何回もある。今日も、足の短いモップみたいな犬がいたので、注視していたら前の車に突撃しそうになった。

以前、他人のたぬきみたいな犬みたいなポメラニアンの写真をiPhoneの待ち受けにしていた。それを見た人は犬を飼ってるんですか?と聞いてくるが、そんなものは飼っていない、他人の犬だと答えると大体を顔を引きつらせてしまう。本当にすまない。

それとTwitterのブックマークのところに、お気に入りの柴犬を飼っている。もちろん他人の飼っている犬だ。それをブックマークに集めて、気分が乗らない時だったり、寝る前に幸せな気分になりたい時に見ている。見た瞬間はもだえ苦しむ。しかし彼らの愛玩動物として生み出されてしまった命を思うと少し悲しくなる。でもそれはそれで幸せか、可愛がられて生きることができるのだから、それも運命なのかもしれない。

運命とはなんなのだろうか?今までよく考えたことは無かった。調べてみたら、人間の意志に関わらず、身にめぐってくる吉凶禍福と出てきた。なるほど、人間の意志に関わらないものはすべて運命といえてしまうのか。壮大過ぎてよく分からない。これ以上、考えるのはやめておこう。考えるだけ無駄だ。考えても運命には抗うことは出来なさそうだ。

ただ運命だからといって受け入れることができるのだろうか?たぶん受け入れざるを得ないだろう。運命だと気づいた時には、それがすでに起こってるはずだし、回避できるはずがない。

考えてもみなかったことが起こった時にどう動けるかは、それまで自分がどう生きてきたかが如実に現れると思う。

どうせ起こることは起こってしまうのだから、今を楽しく生きようではないか。でも僕は今を生きることが苦手でいつも先のことを考える。そういう時は、猫や柴犬を見て、かわいいかわいいということにしよう。それが何のためになるのか分からないけれど。

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