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第六十五景

鉛色の空に飽きた僕達は、隣の県に向かうための車の中にいた。相変わらずぼこぼこの道は、ハンドルを取られ運転することが難儀だ。無事にたどり着けるのか不安な気持ちになりながら、トロトロ走るトラックの後ろを30分は、追走している。途中で買ったブラックコーヒーを飲みながら、暖房で暑くなった車内の空気を入れ替えるため、ウインドウを下げた。外からは、湿った冷たい空気が入り込んできて、気持ちをしゃきっとさせる。トラックの前にも、車が繋がっているようで、早く青空を見たい僕たちの気持ちをより一層急かしている。車のオーディオから流れるフィッシュマンズの音楽を口ずさみながら運転していると、青空が見えてきて、目的地の近くに来たことに気づいた。すっきり晴れた青空を期待していた僕たちの予想とは裏腹に、どこかくすんだ青色の空が広がっていた。道路の混雑は解消されずに、進んだり止まったりを繰り返す。左折する車が多くなり、前方まで見渡せるようになった頃には、ブックカフェの近くに来ていた。大きい通りから、細い路地に入る。こちらも少し雪が降ったようで、道幅が狭くなっている。歩行者を轢かないように気をつけながら、カフェの駐車場に辿り着いたが、その駐車場は満車だった。車をバックさせ、来た道を戻り、商店街の立体駐車場に停めて、外に出ると同時に雪がチラつきだした。こんなところに2時間かけてきてまで、まだ雪を見なくてはいけないのかと思うとため息が出る。傘を差すほどの雪ではなく、そのままの格好で、カフェに向かう。カフェの中は大変混雑していて、席はほとんど埋まっている。僕たちは、一息つくよりも、本を見るために訪れることが多かった。それぞれ思い思いの時間を過ごす。適当に店内をふらついていると、松本大洋の「ナンバーファイブ吾」が目に入ってきた。1巻だけが読めるようになっていて、本の棚に寄りかかりながら、パラパラとめくり始めた。半分くらい読んだところで、物色に飽きた彼女の顔が目の前に現れた。僕はパタンと本を閉じ、店を出ることに決めた。外に出ると、先ほどから降っている雪は、ちょっと強まっているように感じた。町場から少し離れた日帰り入浴温泉施設に向かう。山の方に位置しているため、進むにつれて、水っぽいぼたぼたとした雪に変わった。積雪量も増えだし、少しだけ不安になる。温泉施設に着いた頃には、青空は消えていた。ワイパーを立てて、駆け足でどっしりとした木の入口へ向かう。中に入ると、暖かさで表情が緩んだ。施設内は迷路のようになっていて、お風呂があるのは、現在地より上の階で、渡り廊下の先にある別の建物だった。券売機で、大人2枚を買い、階段を登ると、地域の住民の絵画などが飾られた渡り廊下があった。前から走ってくる小さい子どもとすれ違いながら歩くと、広間のような空間が近づいてきた。その奥に受付があり、券を差し出した。ロッカーに貴重品を入れ、時計を見上げると、針は2時を指していた。1時間後に集合することを決め、各々が暖簾をくぐった。古めかしい床が時代を感じさせる脱衣場だった。身に付けている衣服を脱ぎ、浴場に入ると、湯気が漂っていて、他の人の顔はぼやけている。冷たい床から伝わる冷気が湯舟へと急がせる。お湯で体を流し、熱いくらいのお湯の中に全身を沈めると思わず声が出た。手でお湯をすくい、顔にばしゃりとかけると、温泉の匂いがほのかに鼻に残った。露天風呂に出ると雪混じりの風が、全身を刺激する。勢いよく温泉に飛び込むが、顔だけが冷たくなり、すぐさま中に戻ってしまった。温泉につかるのも飽き、服を着て脱衣場から出ると、広間のソファには、リンクの上を滑る男性が映っているテレビを見つめる彼女が老婆と並んで座っていた。隣の老婆の話に適当に相槌を打っていたようで、僕に気づくと立ち上がって近づいてきた。渡り廊下を渡り、階下に降り、靴を履いて外に出ると、数センチ新たに雪が積もっていた。完全に鉛色になっているだろう空を見る暇もなく車に乗り込む。だんだんと雪の降り方と風が強まっている。元来た道を戻り始めると、完全に渋滞にハマってしまった。じりじりと進むことに苛立ちを覚え始める。やっとのことで、渋滞から抜けると、そこはだだっ広い雪原だったが、暗いため何も見えない。遮るものがなく、積もった軽い雪が、風で横へ流されている。更に風が強くなり、1メートル先も見えなくなってしまった。見えるものはライトで照らした真っ白だった。前の車のバックランプも見えなくなり、僕たちは恐怖に慄き始める。ウインドウにぶつかる雪の音と、何かを言っている彼女の声が聞こえた。僕も次第にパニックになった。真っ白な雪に閉じ込められ、アクセルを踏んでいるのか、どこに進んでいるのかも分からなくなる。後ろに戻ろうとしても、後ろからは僕の車は見えないだろうし、停まったら、後ろから車がぶつかってくることは容易に想像できた。前に進むしか選択肢は無いと絶望し、悪あがきでハザードランプを点けたまま、このホワイトアウトから抜け出そうとカーナビを頼りに走行をのろのろ続けた。状況は改善せず、車を進めると左側が何かにぶつかり、つっかえる感触があった。アクセルを踏み込んでも、前に進まない。後ろから車が来る恐怖に怯え、助手席に座る彼女に、ウインドウを開け雪壁にぶつかっているか確かめてくれというようなことを大声で叫んだ。手を伸ばしても、雪壁が無かったことから、道に落ちている雪の塊に引っかかったのであろうと思い、ハンドルを少し右に切ると、前に進んだ気がした。対向車が来ないのが不思議だったと思う余裕もなかった。しばらくそんなことをしていると、信号機の緑の明かりが見えた。少し先が見えるようになり、助かったと思った。青空を見に出かけたことなどすっかり忘れていた。

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