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【凡人が自伝を書いたら 0.はじめに】

吾輩は『暇』である。

これはひどい。是非、『夏目漱石』先生にお詫び状を書く必要がありそうだが、もうそういうわけにはいかない。

ファンの方々におかれましては、リスペクトが裏目に出たということで、なんとかお許しいただきたい。(陳謝)

夏目漱石先生は、僕の読書人生の父である。

『坊ちゃん』

これは僕が人生初完読した本である。そのリスペクトを込めて、

もう一度言わせていただきたい。

吾輩は『暇』である。(もうやめとけ)

。。。

ここはひとつ、『自伝』を書いてみたい。(いきなり)

何故なら、吾輩は『暇』だからである。(気に入りすぎ)

。。。

ただ、、凡人はなかなかそういうわけにはいかない。

「あれ、、書くこと無くね?」

これである。

僕は、世間一般で言われる『すごい人』ではない。

会社経営などしていない。社会貢献活動よりまずは我が身。両親も喧嘩派は多いが、なんだかんだで仲良く健在。特別貧乏でもなく、特殊な家系でもない。

人にひけらかす程の大きなコンプレックスもなく、秀でた一芸もない。「好きすぎてヤバい」みたいなものもない。

いたって平凡。いたって凡人。

そういう人間である。


ただ、気のせいだった。

吾輩、実は「猫」だった。

というわけでは、もちろんない。(当たり前だ)

〜〜〜

僕は、18歳の時に他県の大学に進学しそのまま就職したため、実家をずっと空けていた。就職先が「飲食業」ということもあり、実家に帰ることもほとんどなかった。年に一回、それも一日いるかいないか、そんなレベルだった。

実家に帰った時は、家族で食事もしたが、話題は近況報告ばかりだった。


そんな僕が実家に帰ってきた。すると、昔話をよく聞くようになった。たまにお酒を飲みにいけば、両親や祖父母の昔話も聞いた。

意外なことに、それがどれも非常に面白かった。

自分のことだったのに、全く自分がやったこと、言ったことと信じられないエピソード。

「ああ、忘れていたけど、そんなことあったなぁ。」みたいなエピソード。

今まで全く知らなかった、両親のエピソード。

どれも非常に面白かった。

なんだか僕自身や両親に愛着が湧いて来る。

そんな感覚だった。


そうした中で気が付いたのだが、僕は全然『普通』ではなかった。

かといって特別というわけでもなかったが、ある種の『特別感』はあった。

両親もそうだ。至極平凡だと思っていたが、実はなかなかクセのある人間だった。

地元の友達に会う機会もあった。そんな時、自分が消し去っていた記憶が、ポンポンと蘇ってくる。とても楽しいエピソードばかりだった。

なんの面白みもない人生。

それは『気のせい』だった。

今が平凡だから、と思い込んで、過去の記憶を消し去っているだけだった

確かに、『数奇な人生』とまではいかなくても、決して『平ら』な人生ではなかった。

誰しも実は、そうではないだろうか。

なんの揺らぎもトラブルもない、真っ平らな人生。そんな人生を歩む方が逆に難しいのではないだろうか。そして「真っ平らな人生は逆に特別」なのではなかろうか。

そこに『気づき』があった。

昔話、特に幼少期の話を聞いていると、

「あぁ、僕は結構、余計なものを身につけてきたのだなあ。」

そんな思いに襲われた。

純粋で、個性に満ち溢れていた幼い僕は、成長する中で、周りからの抑圧であったり、「これをやったら嫌われるのだな。」とか、「こうでないといけないのだな。」など、自ら、『硬くて分厚い鎧』を身にまとってしまった。

結果、『鎧の中身=本来の自分』が見えなくなってしまっていた。

これである。

〜〜〜

凡人が自伝を書いたら、自分にどんな変化があるのか。

そんなことは、わからない。(え、)

まだ書いていないからである。

ただ、自伝を書くことで、身につけてきた鎧を脱ぎ捨てたい。本来の自分を見てみたい。

べつに大きな悩みがあるわけでもない。

やってみたい。興味本位。

何より、

吾輩は「暇」である。

今一つだけ言えるのは、おそらく、全くの無駄ということにはならない、ということである。


さあ、初めてみよう。

最後にもう一度確認しておこう。


吾輩は「暇」である。

(思いつきだったが、意外と気に入った)


それではまた。











お金はエネルギーである。(うさんくさい)