【凡人が自伝を書いたら 72.はじめの一歩(後編)】
さあて!
今日は何が見つけられるかな〜?
ひとつも見逃してたまるものか!(鼻息荒め)
スタッフたちに、できていることを「いつもこれ出来てるね。」と伝える。良いところを「それ良いね。」と伝える。出来るようになったところを、「出来るようになったね。」と伝える。
当然、「間違い」も見つかる。そんな時は「ははっ、それオモロ! それはこうやってやるんだよ?」と教える。
もちろん人によって「伝え方」は変わる。
スタッフたちに「自分ができることを自覚」してもらい、それをどんどんと増やしていく。
きちんと言葉にして、本人に伝えることで、それらが「事実」として、積み上がっていく。それが、「自信」へと繋がっていく。
そういうことは同じだった。
僕の中では、「これはできるよね。」と自覚することが、「自信」だったからだ。
「陰口の逆」
僕には、苦手なことがあった。
「褒めること」だ。
理由は、「照れくさい」からである。(普通!!)
ただ、言いたい。
スタッフが「特別に良い働き」をした時に、「すげえな!」とは割とすんなり言える。
ただ、「いつも真面目に頑張ってくれて、本当に感謝してる。」とか、「辛い時も、いつも笑顔で元気に働いてくれて、本当に素晴らしい人間だと思う。」みたいな、やや深めの人間性を褒める的なやつは、なかなか言えなかった。(ここでシャイ)
ただ、言いたい。(わがまま)
みんな、それぞれ素晴らしい人間だと思うから、それをそうだと伝えたい。
ただ、言えない。
でも、言いたい。
だから、よく本人がいない所で、その本人を褒めていた。
大学の暴君アルバイト時代にも、直接本人には、厳しく接していても、裏では、「あいつは大したやつだ。」と褒めていた。
酒なんかが入れば、それはさらに加速する。
もはや、「いかにあいつが素晴らしいか」について熱弁していた。
暴君であった僕が、それでも仲間や後輩から見放されなかった、むしろ割と慕われていたのは、結構これが大きかったように思う。
「陰褒め」なんていうらしい。(後付け)
第三者から聞くから、本人に言われる時と違って、否定ができない。受け入れるしかない。
どうやら、そんな効力があるようだ。
僕の場合は、そんな戦略的な狙いではなく、ただ「シャイ」なだけだった。
「あの子のこういうところが素晴らしい。」「あの子がいてくれたら、何も心配しなくていい。」「本当は、俺なんていなくても十分だ。」
そんなことを、本人がいない時に言い続けていた。
正直に言うと、褒める相手と特に仲の良いスタッフに、そのことを話す、と言う「若干の戦略」はとっていた。
ただ、動機のほとんどは、「僕が言いたいから」だった。
陰口は、直接言われるよりキツい。
つまり、効果が大きくなる(なりやすい)ということだ。
これの逆。
「陰で褒める」ことで、それも効果が大きくなりやすかった。
そうして、「はじめの一歩」を踏み出す時がやってきた。
「いざそう言われると寂しい感じ」
僕は、ある日気が付いた。
あれ?
今日のディナータイム、店に居て、事務仕事していたけど、何も音沙汰なかったぞ?
あれ?
思えば、どんどん「出る幕が減ってきていた感」はある。
むむ?
スタッフに聞いてみる。
「ぶっちゃけ、営業に俺要らないよね?」
スタッフは、いきなりどうしたんですか。的な表情で、「あ、ま、まあ。」と答える。
嫌がっているというより、店長に対して、「あなた不要です。」と言うことが、気まずい感じである。
だよねー。
これを狙っていたのに、いざこう言われるとなんだか寂しい感じ。
複雑な気持ちもあったが、「うん、これで良い」と心に言い聞かせ、次の週からは、お昼だけでなく夜の営業でも、アルバイトスタッフのみの日ができた。
学生だけで夜の営業を成し遂げたことで、店は盛り上がった。
お昼の主婦さんたちが、学生たちを褒め称えたのである。
いざ自分たちでやるとなると、いろいろ疑問も湧いてきたのだろう。それまではあまり無かった高度な内容の質問も増え、それがさらに能力の向上につながる。
そんな思わぬ効用もあった。
「突然の災禍」
さらにちょうど春も近くなったと言うことで、高校生や新大学生のアルバイト応募も増え、新人も入ってきた。
僕は「逆に暇になってしまった」ので、任せるところはスタッフに任せつつも、新人の教育に力を入れていった。
今となっては、もうお手のもの。
1ヶ月も経てば、休日の忙しい時でも、指示を仰ぎながら、仕事をこなせるようになった。
今までは、忙しい店だからこそ、なかなか教育にも時間を割けなかった。今は僕の身体が空いたことで、その時間が確保できる。
「店長マジックや!」
そんなことを言う学生や、
「あんた達、こんなにきちんと教えてくれる店長なんて他にいないからね?幸せもんよ?」
なんて、若干どの目線かわからないことを言う主婦さんもいた。
よしよし。
この調子だ。
これから、春、そして、その先の夏に向けて、どんどんと力をつけていこう。
そんなことを思っていた矢先。
「あいつ」がやってきた。
これが「昨年の今頃」と言えば、話は通じるだろう。
そう、「新型コロナ」だ。
どんなに盛り上がっている店でも、飲食店である限り、その波からは逃れざるを得なかった。
そんな話は次の機会に。
今日のところはこれにてお開き。
それではまた。
お金はエネルギーである。(うさんくさい)