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2413人/12417、沖縄慰霊の日、『PLAN 75』の反芻~808日目

 都内新規感染2413人/12417、都基準重症者1人、死亡1人
病床使用率13.0%(656人/5047床)、オミクロン株の特性を踏まえた重症者用病床使用率(9人/420床)

 沖縄慰霊の日。旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日から77年。激しい地上戦で、22万人以上、県民の4人にひとりが死亡。合掌。
 宮崎県延岡市、鳥取市で36.1℃
、今年の最高気温を記録。

『PLAN 75』の反芻、なぜ人は生きているか

 曇り空にあれこれ言い訳をしながら、ごろごろしてしまった。ああ、反省。
 昨日の映画『PLAN 75』を反芻してしまう。

 だれかのレビューに同じく、観客は中高年が多く、始まる前、女性同士やカップルでざわざわ話していたが、映画が終わると結構シーンとしていたように感じた。というか、「騒いではいけないのではないか」という、誰も強制していない、見えない同調圧力か。廊下に出れば「どこに食べに行く」でまた盛り上がってもいたが。
 
 余計な説明を極力省いた、「余白」の多い脚本。
 説明不足と批判する視点も大いにあろうが、人生だの老後だの介護だの、なんで生きているだの、を無駄に考えている暇人にはとっては、余計なものがなくて、ちょうど、胸にぐさっと来たんである。
 そう、「なんで人は生きているか」を改めて考えさせられて、いる。この曇り空の下で。

一部貧困老人の棄民策と見ることも可能だが

 観た人の一部レビューなどにあるように、一応、貧困老人の棄民策と見ることも可能な内容であった。75歳を過ぎてホテル清掃に従事する老女たち、全国各地を土木建設で点々とした老人。身寄りがいないか、身寄りがいてもあてにならなかったり(ちなみに、認知症や心身に障害を抱える老人は出てこず、あくまで「健康」だった)。
 一部の貧困老人の問題と見切ってしまえば、「資産があれば大丈夫」「あてになる身寄りがいるから大丈夫」と、自分を安全圏に置いて「安心」することもできるだろう。そうした視点の人からは「一部のかわいそうな人たち」を、離れたところから観る映画だったかもしれない。

長生きすれば、誰にでも訪れる可能性のある未来

 ただ、本当にそうだろうか。多少の資産があろうが、今目の前に家族がいようが、実のところ、長生きすれば、誰にでも訪れる可能性のある未来ではないだろうか。そう捉えた人がきっと多いのだろう。
 倍賞千恵子という「若い時から(こちらが一方的に)知っている人」が演じたことが、(実際には異なるだろうが)「倍賞さんですら陥る可能性のある未来」と心のどこかが受け止め、「なら自分もあり得るかも」と感じさせる“効果”を生んだとも言えそうだ。

貧しくはないが裕福でもない

 そして、日本人だと、「自分が貧しい」と思わないまでも、「自分が裕福」と思うに至る人はそんなにいまい。
 なにせ、日本は、貧富の差があるといっても、諸外国ほどに、階級差が明確なわけではない。「上級国民」と叩かれがちで、多くの人の想像が及ぶのも、せいぜい高給取りのサラリーマンまで。それらの人たちも多分ふだんは電車に乗って新宿や渋谷あたりで、みんなごっちゃだ。

 働かずとも不労所得で食べていける真の大金持ち、運転手つき、使用人つきの生活をしている人も間違いなく存在するのだろうが、そこを「階級」として意識し、頭の上に「階級差」を感じるまでの日常ではない。
 (……治安がいいので、「上級国民」どころか、「上流階級」も、その辺を公共交通機関やタクシーで移動しても、めったに強盗に襲われない、という事情もあろうが。)

「強制」ではない選択、簡単に壊れる「非貧乏」状況

 作品では主人公に、一応、「生活保護を受ければ」という策も提示される。そこで、主人公は「もう少し頑張れるんじゃないか」と断り、最終的にLAN75の選択を「自ら選ぶ」。自己責任の名のもとに。
 そう、「強制」ではない。そこが怖かった

 かつ、自分は思った。自分は現在、「貧乏でない」状況だが、年金制度が破綻すれば、簡単に貧しい状況に落ちるかもしれない(その場合は、おそらく「一億総貧乏」だが)。その程度の「非貧乏」である。だから、「PLAN 75」を将来自分が絶対に選ばないとは言い切れない。でなくとも、孤独死は覚悟しているが。。 

「健康で安全に長生きする国」の成功は失敗でもあり

 さらに、暇で、「世界の危ない、行ってはいけない場所」のまとめサイトみたいなところをネットサーフィンしてしまった。
 そう、世界はもっと治安が悪い。もっと経済や食糧事情が悪い。戦争や内戦が起きている国もある。寿命はそんなに長くない。目の前を生きていくだけで精いっぱいの区にもある。そもそも、健康で安全に長生きする国が多くないのだ
 そう、日本は、「健康で安全に長生きする国」を実現してしまった。成功したのだ。それは、同時に、失敗なのかもしれない。

 まあ、こう言って政治家に責任回避をさせるつもりはないが、全ての政策を同時に成功させ、その成功を継続させることができた国は、過去にも、どこにも存在しないだろう。さらに、他国に犠牲を負わせず。

少子化と、「女性が家族の面倒を見ていた」問題と

 その“失敗”を回避するには、少子化を食い止めるしかなかった。子どもが多く生まれ、労働人口が確保できれば、老人が増えてもなんとかなる。
 政府が躍起になって、出会い系の類まで推奨し始めていることを、簡単に笑うこともできない。

 ただ、老人問題は、古来「女性が家族の面倒を見る」問題でもあった。
 
栄養状況がよくなり医療が進歩して平均的に長生きになったが、それ以前でも、老人問題、老人介護の問題は存在したし、それは家庭の中の女性が抱え込み、外に意見を発信できない状況に置かれていた、だけ、とも言える。

 それが今、男女関わりなく、社会の課題として考えるようになった。そのこと自体は悪いことではないと思う。

 と、暇人の考え、今日はここまで。 

 皆さまのご健康を。

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