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『私のクイズ人生 クイズ経験ゼロから私が女帝と呼ばれるようになったワケ』第一章・無料全文公開

書籍『私のクイズ人生 クイズ経験ゼロから私が女帝と呼ばれるようになったワケ』より、第一章「クイズとの出会い」の無料全文公開!
下記リンクはAmazonストアでの商品ページになります。書籍の概要や目次もこちらでご覧になれます。

◆『アメリカ横断ウルトラクイズ』の再放送は、テラスの午後三時

流行語大賞はチャーリー浜「○○じゃあ~りませんか」。
ベストセラーは宮沢りえ写真集『Santa Fe』と、さくらももこの『もものかんづめ』。
ヒット新商品は、「カルピスウォーター」。
横綱千代の富士が現役引退し、小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』が大ヒットした1991(平成3)年。

そう、脇屋とクイズ・ストーリーとの出会いも突然だったのよ。

1991年10月12日。
東京都新宿区下落合は聖母病院近くのアパートのテラスの午後三時。
いえ、時間までは覚えていないし、テラスでもなかったけど、そんな雰囲気の午後だったわ。

何気なくテレビを点けていたら、今まで見たこともないクイズ番組が目に飛び込んで来たの。

それまで脇屋が見たことのあるクイズ番組は、国内テレビ局のスタジオでの生放送、または収録されたもの。

でも、そのクイズ番組の舞台はアメリカ大陸。
壮大なスケールのクイズ番組だったの。
こんな面白いクイズ番組があったの!?
目の前の白いレースのカーテンがサーッと開いて、眩しい陽の光を浴び、全身の細胞が生まれ変わったような気分だったわ!

その番組の名前は……。

『史上最大!!第14回アメリカ横断ウルトラクイズ総集編』!

脇屋、24歳。これから始まる長いクイズ人生のスタート地点に立ったとは、
この時はまだ知る由もなかった。

【メモ】当時、ウルトラクイズは、その年の本放送の前月に、前年の放送を『ビッグサタデー』(単発特別番組枠)でダイジェスト版として再放送していた。第14回の再放送は14:00~15:55。まさに、「テラスの午後三時」だったのである。

私のクイズ人生_1

生まれて初めて観たウルトラクイズの再放送(第14回総集編)。
その興奮も冷めやらぬうちに、翌月11月7日から第15回の本放送を4週間(4回)にも渡って観ることが出来ると知った時は、どれだけ脇屋は幸せ者なんだろうと胸が震えたわ。

この溢れるワクワク感!
クイズファンのあなたならわかってもらえるわね。

そして迎えた『第15回アメリカ横断ウルトラクイズ』(1991年11月7~28日)の放送日。
放送のたびに、こんなに次週が楽しみとなり、テレビの前に釘付けになった4週間は、それまでに経験のないことだったわ。
連続ドラマやアニメの「つづく」(←昭和チック)とはまた違った楽しみとの出会い。

「早く来い来い木曜日!」
スタジオでの司会役だった高島忠夫さんの有名なこのフレーズも、それまで、ぜんぜん知らなかったわ。
何しろ脇屋は、「ウルトラクイズ」の問読みが福留功男さんで、『全国高等学校クイズ選手権』通称「高校生クイズ」の問読みが福澤朗さん……と、分業なさっていると思っていたくらい何も知らなかったのよ。

それにしても……。
「ウルトラクイズ」ほどの壮大な番組ではないにせよ、後に脇屋自身が何週間にもわたり出場することになるクイズ番組が2つも現れることになろうとは、ノストラダムスでも予言出来なかったでしょうね。

【メモ】「ウルトラクイズ」……福留功男さんの司会は1977~1990年と1998年「今世紀最後」。福澤朗さんの司会は1991~1992年。「高校生クイズ」……福留さんの司会は1983~1990年。福澤朗さんの司会は1991~2000年。以降、「高校生クイズ」の司会で問読みは、3代目・ラルフ鈴木さん(2001~2010年)、4代目・桝太一さん(2011年~)。

また「高校生クイズ」と言えば、1990年代半ば、短い間だったけど、脇屋が問題作成やリサーチに関わらせていただいたのも良き思い出よ。

そうそう、問題のリサーチで堺屋太一さんの事務所に電話したこともあったのよ。
最初は事務所の女性が電話を取ってくださったのだけど、脇屋の質問が次から次へと繰り出され、そのたびに女性があたふたと堺屋さんに聞きに行って……。
最後は、とうとう埒が明かなくなって堺屋さんご本人がご登場。
とても丁寧にご対応いただいたのが印象に残っているわ。

「高校生クイズ」の当時の番組のエンドロールには、問題作成者として、一反木綿が下から上へヒラヒラ舞うように、「脇屋恵子」の名前が流れているわよ。

ジジジジ……(←時計のネジを巻く音)
「第15回ウルトラクイズ」出会った1991年に時を戻すわ。

その当時の脇屋は「第15回ウルトラクイズ」をカセットテープに録音して、来る日も来る日も聴いていたのよね。

「ID野球」「孟浩然!」「レジー・ベネット!」「720!」

解答者たちの声は、今も鮮明に耳に残っているわ。

でもまさか、この「第15回ウルトラクイズ」のチャンピオン、能勢一幸氏と24年後に、オープン大会QUIZ JAPAN主催「Man of the Year Senior 2015」
(司会:小倉淳さん)でペアとなり、結果、彼の優勝に貢献することになろうとは、人間、どんな運命が待っているかわからないもの。まさに「神のみぞ知る」だったと思うわ。

 ◆出場資格が1960年代生まれのオープン大会「マンオブシニア」

2015(平成27)年に開催された、出場資格が1960年代生まれという「Man of the Year Senior」通称「マンオブシニア」。

出場者95名、観客156名(公式サイト「大会の報告」より)。

筆記クイズと早押しクイズを勝抜き、第3ラウンドに進んだ32名を、
「ビジュアルクイズ」
「リレークイズ」
「通せんぼクイズ」
「イントロクイズ」
という4つのコースにそれぞれ8名を振り分けるというルールだったのだけど、この第3ラウンドが何と、ペアを組んでの戦いだったのよ。

脇屋は「通せんぼクイズ」を選択。
ペアのメンバーは「UNO」のカードを引いて決めたのだけど、ここでペアとなったのが能勢氏だったわけ。(以下敬省略)

能勢一幸×脇屋恵子
他のペアと言えば、お2人ともが『アタック25』優勝、その他輝かしいクイズ番組出場経歴・オープン大会成績を誇る、伊藤寿規×山本剛、中野亨×加藤裕之というペア。
そして、『クイズミリオネア』のミリオネアと、四国のクイズ王という、菊地晃史×岩田浩幸ペア。

UNO。脇屋が最初に引いたカードの色は赤で、能勢氏が受け取った最後に残っていたカードの色も赤だった。

もう、能勢さんごめんになさい、と言うしかなかったわ。

それまでそこそこクイズ番組出場歴があり、そこそこ名前は知られていた脇屋だったけど、同時に一般的なオープン大会の筆記クイズにはまず通らないという、弱小クイズプレイヤーであることも知る人ぞ知る事実。
会場にいたクイズ好きの皆さんも、たぶん「能勢さんお気の毒に……」と思ったことと思うわ。

でも、実は赤は脇屋のラッキーカラーなのよ。

この時の「マンオブシニア」の戦いの様子は、表紙が「乃木坂46」の高山一実さん『QUIZ JAPAN vol.6』(2017年)にて能勢さんが熱く語っているわ。

もちろん、QUIZ JAPANの公式サイトでも、大会報告がされているのでURLを紹介するわね。

フォトも豊富な「マンオブシニア」公式サイト
https://quizjapan.com/manofsenior2015/

ちなみに、この時の決勝進出者は長戸勇人氏、五十嵐実氏、瀬間康仁氏、能勢一幸氏。
クイズファンなら知らない人はいない、錚々(そうそう)たる顔ぶれよね。

この「マンオブシニア」開催の翌年。
「脇屋さん、『マンオブシニア』観てました、能勢さんとのペアでの活躍に本当に感動しました!」と若い女性から握手を求められたことがあったの。

サインはごくごくたま~に書くことはあるのだけど、握手は初めて。
自分の「クイズに解答する姿」が人の心に残るのは嬉しいことよね。
クイズをやっていて良かったと思えるシーンの一つだわ。

なお、「マンオブシニア」の元となっているオープン大会は、その年の「大学生クイズプレイヤーNo.1」を決める「Man of the Year」、通称「マンオブ」(1983~2005年)という大会。

「マンオブ」の優勝者とペーパークイズ1位の記録は、同じく『QUIZ JAPAN vol.6』にて確認出来るわ。
ここでも錚々たる方々のお名前がズラリよ。
読むだけで自分もクイズに強くなれそう(※なれません)。

1996年「マンオブ」第14代王者である安藤正信氏は、自身の著書『(QUIZ JAPAN全書01 )ウルトラクイズ・ロストジェネレーションの逆襲』(2015年)で当時の様子を語っていらっしゃるわ。

この安藤さんの本に登場するクイズプレイヤーの皆様は、脇屋が東京スカイツリーのソラマチ商店街2階の三省堂書店にいるとすると、地上450mの展望回廊が立ち位置のようなもの。
難問派と呼ばれる、スゴいクイズオープン大会における安藤さん自身を含むクイズ猛者たちの1990年代の活躍と、ご自身の子供時代含む数々のクイズ番組での活躍や苦労の様子が描かれていて、読むだけで自分もクイズに強くなれそう(※同時掲載されている「秘蔵クイズ」を読み込めば、本当に強くなれると思うわ。えっ? 脇屋? これから読み込むわよ)。

ジジジジ……(←時計のネジを巻く音)
時を1992年に戻すわ。

 ◆初めてのクイズ番組予選参加は物見遊山

1992(平成4)年。
アルベールビル(フランスのサヴォワ県にある町)五輪開幕の6日前となる2月2日。
私はクイズ好きの友人に連れられて、『第6回史上最強のクイズ王決定戦』(以下、「史上最強」)の予選会に参加したの。
クイズ番組の予選会に参加なんて初めてのことだったわ。

何せ3か月前に初めてウルトラクイズの世界観に触れて、クイズ番組に目覚めたばかり。
綿菓子に包まれたようなフワフワした感覚で、「偉大なクイズ王たちが出場する番組の予選を受ける」、という現実感はまるでなかったわね。

予選会場に行ってみると、大勢の人、人、人!
冬の冷たい空気が、ここだけは温められるかと思うほどの熱気。

でも、脇屋の辞書に「緊張」の文字はなかった。

だって、こちらはクイズ番組の予選に初参加なのだから、最初の筆記クイズに合格するはずもなし、物見遊山気分で気楽なものよ。

時事問題をチェックしておくとか、筆記クイズのための「対策」なんてものもまったくしていなかったし……。
そもそも、「予選対策」という概念すら、当時の脇屋には無かったわね。
「筆記テスト」と名のつくものは、「その時のあるがままの知識で勝負するもの」だと思っていたのよ。
カッコイイけど、まあ、それは常日頃から爪を研いでいる人のセリフよね。

脇屋は、小学生の頃は、特に勉強しなくてもテストは満点か、それに近い点を取っていたタイプだったけど、そのスタイルは中学以降、まったく通用しなくなったわ……。

あの日の予選は、今思えば、バズーカ砲を構えた敵を相手に丸腰で挑んでいくようなものだったわね。
『ドラゴンクエスト』シリーズに登場する敵キャラ、りゅうおう・シドー・ゾーマ・ピサロ・エスターク相手にスライムがニコニコしながら立ち向かうようなものよ。
そうね、「メラ」くらいの呪文は武器にしていたかもしれないけど、最低でも「ギガデイン」くらいは覚えていなければダメだったわね(わかる人だけついて来てね)。

そう、例えるなら、最強に怖いと評判のジェットコースターやお化け屋敷に、度胸試しに挑戦してみよう! みたいなノリだったわね。持ち合わせていたのは、知識ではなく度胸だけ。

そしてその気軽なノリが、脇屋の運命を変えたのよ。

もし、脇屋が諸葛孔明のような策士で、「クイズ番組の予選に参加するなら、しっかり対策を立て、準備万端な状態で臨まなければならない」なんて考えるタイプだったら、未来永劫、クイズ番組の予選会に行くことは無かったと思うわ。

えっ?
「諸葛孔明じゃなくても、普通は対策くらいしてから参加するものじゃないか?」ですって?
そりゃ、今みたいにオープン大会に参加すればクイズの問題集が購入出来る環境があれば、対策も可能というものよ。

でも、当時の脇屋には、「オープン大会に参加して問題集を購入して勉強する」なんていう文化がなかったのよ。そもそもオープン大会の開催自体が珍しい時代だったのだもの。問題集なんてどこで買えと言うの!

ましてや問題集の通販なんて、江戸時代の飛脚に佐川急便がライバルとして現れるくらい有り得ないこと。

そうね、日本テレビが出版していた「ウルトラクイズ」「高校生クイズ」の問題集のような、市販本はあったけど、後に情報センター出版局から出版されることになる、クイズ王の方々の手による問題集(『水津康夫のクイズ全書』『永田喜彰のクイズ全書』『RUQSのクイズ全書』『能勢一幸のクイズ全書Ⅰ・Ⅱ』など)は、その時、まだこの世に存在していなかったわ。

手に入れることが出来たのは、クイズファンなら誰もが持っていたであろう長戸勇人氏の『クイズは創造力』シリーズの<理論編>・<問題集編>・<応用編>くらいだったかしら。

また、ウルトラクイズ第2代チャンピオンの北川宣浩氏『TVクイズ○金必勝マニュアル』(1985年)や道蔦岳史氏の『TVクイズで10倍儲ける本』(1985年)はレア本で、当時の脇屋には入手する術もなく……。

そのようなわけで、対策しようにも、ライバルたちは同じ本を読んでいるわけだし、差がつく勉強方法なんて当時の脇屋には思いつきもしなかったわ。
とにかく、対策しなきゃ、とあせることがなかったわね。

そんなわけで、脇屋は怖いもの知らず。
でも、知り合いにいらっしゃるのよ、「準備不足の内は決してクイズ番組の予選やクイズオープン大会には参加しない」とおっしゃる方が……。

あのね、クイズ界で強豪として名を馳せているプレイヤーが、「準備不足で不甲斐ない成績を残すのは武士の恥」、とばかりにオープン大会をパスするというならわかるわよ。

だけど、「自分はクイズ初心者だから……」とか、「対策していないから……」とか、そんな理由でオープン大会やクイズ番組の予選に足を運ぶことに二の足を踏んでいる方がいらっしゃるのなら、もったいないわ。

たとえ、結果がどうであれ、クイズのシーンに参加すること自体がよい刺激・経験となるのよ。
一つのシーンが、また次のシーンにつながっていくの!

まあ、現在(2020年)は1992年当時と違い、何もクイズはクイズ番組やオープン大会だけがすべてではないけれどね。
ゲームセンター、ネットクイズ番組、スカイプ、スマホゲーム、長屋、Zoom、クイズ専門店(実力別に誰でもクイズが楽しめるお店)etc.と、クイズを楽しめる場は広がったもの。
今や家の中でも電車の中でも、どこででも、どなたでもがクイズに参加出来る時代。チャンスはいくらでもあるわ。

「自分は人前に出てクイズをするのはどうも……。スマホで遊ぶだけでいいや」と考えている方もいらっしゃるかもしれないわね。
それも良いわ。クイズを楽しめれば良いのだものね。
でも、一歩踏み出してみれば、今まで通っていた通勤・通学路の景色が変わるわよ!
「どう変わるか」ですって?
それはあなた自身で確かめてみて!
何事も経験よ。

あら。
脇屋が「史上最強」の予選(1992年2月2日)に参加した時のお話だったわね。
コキ!(←横を向いていた顔が真正面を向く音)
本題に戻るわ。

 ◆クイズ人生を変えた応援団

あなたがクイズに興味を持ったばかりの方なら、「7〇3×」という早押しクイズのルールはご存知かしら?
アニメ化もされた杉基イクラ先生の漫画『ナナマルサンバツ』(KADOKAWA『ヤングエース』2010年~2020年)の読者なら説明不要ね。
7〇3×。早押しクイズに7回正解したら勝ち抜け、3回不正解で失格というルール。

脇屋の足元を大きく揺るがす瞬間が訪れたのは、「史上最強」予選の7〇3×早押しクイズでのワンシーンよ。

28年経った今でも、目を開けていても閉じていても、あのシーンが甦るわ。
ステージ上での、あるクイズプレイヤー。

筆記クイズを突破したある1人のプレイヤーが、本選出場(番組収録)をかけてステージ上で7〇3×を戦っていたの。
そしたら何と! 観客席から、「頑張れーっ!」といくつもの声援が飛んでいたのよ!

ええええっ!
何なの、この応援団は!?

脇屋はね、それまで、クイズというものは自分1人だけの戦い、自分が勝ってなんぼのもの、他人の勝負のゆくえなど知ったことではない、という世界だと思っていたの。

ベルギーの画家、ジェームズ・アンソールの代表作の1つ、『陰謀』。
脇屋は幼稚園の年長組の時、両親にアンソール展を観に連れて行ってもらったことがあって、その時にこの作品に出会ったの。
薄っぺらい人間関係を仮面をかぶった人たちを通して描いたこの作品が、子供心に強烈に印象に残っているのよ。
ジェームズ・アンソールと脇屋は誕生日が同じなのだけど(と、さっき知ったどうでもよい情報を差し込んでみる)……。

クイズプレイヤーというものは、このアンソールの絵に描かれるような、他人には興味を示さない淡々とした人種だと勝手に思っていたのよ。

まあ、冷静に考えればライバルに声援を送るなんて、どんな世界にもあることなんだけど、当時(というか今も)浮世離れの権化である脇屋にはクイズ界に人間関係がある、なんて想像もしていなかったのよ。

だからもう、あの応援団には驚天動地!
天地が引っくり返るほど驚いたのよ。
まさにコペルニクス的転回!

後から知ったのだけど、あのクイズプレイヤーを応援していた方々はパソコン通信でクイズを楽しんでいたお仲間たちだったの。
「クイズに仲間がいる」というのもまたビックリだったわ。

ところで脇屋はね、他人に対して、うらやましいと思うことは無いのよ。
たとえば、すごい美人がいたとしても、うらやましいとは思わないわ。
これがもし、うらやましいと思ったら、自分もメイクを工夫するなり、髪型を工夫するなり、整形手術するなりして美人になるでしょうね。
整形サイボーグ・ヴァニラさん(美容整形手術に総額2000万円超の美女)ほどお金はかけられないけど……。

でも、脇屋は美人になる気は無いわ。だって、脇屋は脇屋なのだから。
万人の憧れの的になるような美人になるよりも、ただ1人にモテれば良いと思っているわ。

また、 「超能力者になる!」とか、「北斗神拳をマスターする!」とか、「東京ドームのオーナーになる!」とか、土台無理なことは、そもそも目標に掲げないから、「ああっ、自分にはスプーンを曲げることが出来ないんだ!」と、悔しがることもないの。
『美味しんぼ』の富井副部長のように、握ったこぶしを床にドンドンドンドン!と叩きつけるようなことはないのよ。

でも……、実はそんな脇屋も、願いごとがあって祈ったことがあるのよ。
東映魔女っ子シリーズのなかの一作品、『魔女っ子メグちゃん』(現・テレビ朝日1974~1975年)に憧れて、「私を魔女にしてください、お願いします」と無理難題を祈願していた子供時代があるの。
でも、魔女にはなれなかったわね。
どんなに努力してもダメことがあるんだと知ったわ。
努力と言ってもただ只管、仏壇に祈っていただけなんだけどね。
なぜ仏壇だったのかは、謎だけれどね……。

またまた、話が反れたわね。
コキ!(←横を向いていた顔が真正面を向く音)

あのステージ上で声援を浴びていたクイズプレイヤー……。
この、人のことをうらやましいと思わない人生を送って来た脇屋が、心の底からうらやましいと思ったのよ。
この脇屋がよ!

仲間っていいな…!

仲間っていいな……!!

仲間っていいな………!!!

脇屋のなかで忘れられていた何かが呼び起こされた…………!!!!

仲間を作ろう!!!!! クイズサークルを作ろう!!!!!

そう思った瞬間だったわ。

元々、脇屋はサークルを作ることは得意だったの。
高橋陽一先生の漫画を原作とするアニメ『キャプテン翼』(テレビ東京版)では、制作プロダクション直轄のファンクラブ会長を務めていたし……。

大学生を中心としたエキストラ仕事仲間で作った、テニスやボウリング、キャンプなど、イベントを企画する総合レジャーサークルでは副会長。
芝居修業時代には、庄司陽子先生原作の漫画『生徒諸君!』の主人公、ナッキー率いる仲間たちに憧れて「悪たれ団」を結成したものよ。

こう言うと、人と群れたがりの脇屋に聞こえるかもしれないけど、職場でのお昼休みは自分1人の世界に入って携帯でTVを観ながら読書している、完全な一匹狼なの。
ただ、一匹狼でも、慕ってくれる人はいるってことなのよ。念のため。

これは、一匹狼の女医……ではなく、女帝の話である。

話を元に戻して。

私が会場で見ていて、うらやましいと思ったクイズプレイヤー。
仲間たちから声援を受けていた、その人の名前は……。

五十嵐実!

【メモ】五十嵐実氏は、『第4回史上最強のクイズ王決定戦』準優勝(1991年)。『パネルクイズ アタック25』優勝(1994年)。『史上最強のクイズ王決定戦 ライブ』準優勝(1995年)。『鉄人クイズ』優勝(1995年)。
そして、最近では日本クイズ協会主催「第1回JQSグランプリシリーズ(全国総合クイズ大会)」(2019年)のファイナリスト。息の長いクイズプレイヤーの1人である。

あの日、五十嵐さんがステージ上で早押しクイズを戦わなかったら……。
戦っていた時にあの応援団がいなかったら……。
応援団の声援に脇屋が「いいな!」と思わなかったら……。
そして、そもそも脇屋を予選会場に連れて行ってくれた友人の存在が無かったら……。
現在、脇屋が運営するクイズサークル、「グランドスラム」は誕生していなかったかもしれない。

これってすごい確率の巡り合わせとタイミングなのよ。
このご縁に幸せを噛み締めて感謝しかないわ。

この世はご縁で成り立っている!

ここで、改めまして。
この時に脇屋が予選に行ったTBS『史上最強のクイズ王決定戦』(1989年~1993年 クイズ王決定戦ライブ1995年)は、水津康夫氏と西村顕治氏の二大クイズ王がしのぎを削った、言わずと知れた、クイズ王番組の金字塔よ。

私のクイズ人生_2

問題監修は道蔦岳史氏
(第2回目より第1回準優勝の大木一美氏も問題監修に加わる)

五十嵐実氏からいただいたクイズ★五十嵐実

【Q】その死去に際して、夏目漱石が「有る程の 菊投げ入れよ 棺(かん)の中(うち)」という手向けの句をよんだ、日露戦争下の女性の心情をうたった厭戦詩『お百度詣(もうで)』で知られる小説家・歌人は誰でしょう?

【A】大塚楠緒子(おおつか・くすおこ/なおこ)※大塚楠緒子は才色兼備で、あの夏目漱石が密かに恋した人だったとか。

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第一章はここまで!
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書籍『私のクイズ人生 クイズ経験ゼロから私が女帝と呼ばれるようになったワケ 』

著者プロフィール

脇屋 恵子

クイズサークル「グランドスラム」会長
28年前の1992年、クイズ経験ゼロにしてクイズサークル「グランドスラム」を立ち上げる。現在も会長を務め、いつしかクイズ界で「女帝」のニックネームを頂戴する。

「女帝」の所以は、本格的な知識を競う“クイズ王番組”ではなく、キャラクター重視の“お茶の間クイズ番組”にて、NHK・民放全て出場制覇。クイズ番組出場までの関門である面接で落とされたのは12番組中、1番組のみという驚異の突破率を誇ることにある。

クイズ番組の主な実績は、テレビ東京「決戦!クイズの帝王」で4週勝抜き、賞金400万円獲得。2002年、クイズサークル日本一を決めるTBSの深夜番組「天」でメンバーを日本一に導く。2018年、フジテレビの「99人の壁」の小説イントロジャンルで番組レギュラー化初の「グランドスラム」を達成。また、「99人の壁」がきっかけとなり日本テレビの「ヒルナンデス!」でカズレーザーさんとの“小説イントロクイズ対決”が実現し勝利を収める。

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