【ちょっと疲れてる人に伝えたい】価値という言葉に惑わされない。人は人。自分は自分。
他人からの評価や自分の価値というものに悩んでいる人がすごく多いと感じます。これって、すごくつらいことです。
このnoteを読む前提として知っていてほしいんですが、価値は他人の物差しでしかありません。客観的評価と言えば聞こえはいいですが、結局ある1点からの見え方でしかなく、あなた自身を見ているものではないんです。
そんなものに惑わされるのはすごくもったいないことだと思いませんか?
価値とは何か
「価値がある」「価値がない」ってどういうことなんだろうか、と思うことがあります。例えば、難関資格を持っている人は価値があって、そうでない人は価値がないのでしょうか。偏差値70の高校には価値があって、偏差値40の高校は価値がないのでしょうか。
そして、「価値」とはそもそも何を基準にあるなしを決めるのか。正直、曖昧過ぎて、よくわからない代物です。
なのに、世の中には「価値」という言葉があふれています。
あなたの価値を決めるのは誰?
私が特に違和感を感じるのが、人に対して「価値」という言葉を使うこと。これって、とても失礼で、とてももったいない言葉だと思います。
だって、人の価値なんて測るものではないし、価値のあるなしでお付き合いを考えるなんて、人生を損しています。
それでも、あなたに「価値」があるのかないのか、判断する人はいるんですよね。さてさて、今、あなたの価値を決めている人は誰ですか?
価値を決める人
あなたのか価値を決める人は、学校の先生かもしれません。職場の人かもしれません。
なんで価値を決めたがるのか、ちょっと考えてみましょう。価値を決めないといけない理由です。
それは、「評価」と「優先順位」を決めるためではないかと思います。例えば、学校であれば通知表の成績を決めなくてはいけません。職場でも業績評価をしなくてはいけません。
みんな自分の都合で、自分の見たい物差しで測ってるいる
ここで気づいてほしいのは、みんな自分勝手に他人の価値を決めているということです。そこに、あなたの本質は関係ありません。
例えば、学校の英語の先生はあなたの英語の点数と授業中の様子しか見ていません。帰国子女でぺらぺらに話せたとしても、日本式英語テストで点数が取れていなければ、相応の価値しか感じてもらえないんです。
職場の上司は部署の目標に関わる観点でしか、あなたの価値を測りません。例えば、あなたがどんな素晴らしい資格を持っていたとしても、そこは判断材料にはなりません。
どうでしょうか?あなたの価値は、本当に見えている評価で測られていますか?
「市場価値」に任せていいんですか?
「市場価値」という言葉があります。転職支援サービスでよく使われます。この「市場価値」という言葉もあまり信じてはいけません。だって、「市場価値」は「今」の市場価値でしかないからです。
はるか昔、大航海時代にはコショウは同じ重さの金と同じ価値を持っていました。これは当時の市場価値です。
30年前、大学新卒者は就職氷河期で仕事がなく、正直、価値は低かったです。いまは大学新卒の価値は当時と比べて高いです。
価値は変わります。不変なものではないんです。さて、あなたが自分の価値を考えるときに「市場価値」を基準にしていてよいですか?
「市場価値」は「今」の価値しか見ない。あなたの可能性を見れるのは誰ですか?
市場価値は正しくは、「今の市場価値」でしかありません。そこに、あなたの可能性は加味されないんです。それなのに、「市場価値」という言葉に惑わされて、「市場価値を高めるために」というような言葉に惑わされて、やりたくないこと、自分の価値観と違うことをしていませんか?
自分の幅を広げるためにやるのはいいんです。でも、単純に「価値」を上げるためだけにやっているとしたら、それって幸せにつながりますか?
評価や価値で惑わされない。自分の軸は自分が決める。
自分の価値は自分で決めればいいんです。じゃあ、軸にすることは何か。
それは、「自分が幸せだと感じられているか」ではないでしょうか。
自分の幸せがどこにあるのかを考えれば、自然と軸が決まっていきます。例えば、「成長している実感が持てる」ことが幸せなら、いろいろなことに挑戦すればいいんです。
「家族との時間がある」ことが幸せなら、仕事の時間をどうやれば減らせるかを考えればいいんです。
それぞれの軸に対して、目標を決めて、それが達成できたら、思いっきり自分をほめて、自分に価値があると自信をもてばいいんです。
大切なのは、他人に惑わされないこと。
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