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わたしと姉と

 ※8000字くらいの小説です。
 はじめて書きました。
感想・アドバイス書いてくださるとうれしいです。

 
 

 姉はとっても美人だった。
 わたしは姉がだいすきだった。     
 年の離れた姉はとてもやさしかった。


 わたしが5さいくらいのころ、父と母と姉と四人で、ショッピングモールに行って夕飯を食べた。そのショッピングモールは広々とした田舎にぽつんとひとつ立っていた。その夜は月が出ていたんだと思う。車の窓からのぞく、大きな建物からのびる不気味なほど長い影。月の光の明るさやあたりのひんやり澄んだ空気が、いっそうその影を黒々と車道に写していた、ような気がする。



 夕飯を食べたあと、家族はおのおのすこし買い物をした。母についていったわたしは、婦人服コーナーに来た。婦人服は茶色とかクリーム色の地味な色で、わたしにはまだ早かった。ちょっと退屈だったので、すぐとなりの子供用のおもちゃ売り場に行った。そこで小さなショーウィンドーの中にある、ハート型の宝石が埋め込まれた小さなピンクのバトンを夢中で眺めていた。それは当時放送していた美少女戦士もののおもちゃで、わたしは毎週テレビの前ではちゃめちゃにさわぎ立てながら、悪の帝王をやっつける美少女を気取っていた。わたしはそのおもちゃをふりまわして悪の帝王をこらしめる自分をなんどもなんども想像しながら、かなりの時間ショーウィンドーにへばりつていた。



 おかあさんにかってもらおう、と思って、ふたたび婦人服のところにもどると母はいなくなっていた。わたしは立ち止まってしばらくきょろきょろした。母は見つからなかった。おかあさんどこいちゃったんだろうと不安がわたしの足を動かした。母が婦人服を手にとってちらちら見ていたあたりに行ってみて、母がいないことがわかったとき、わたしはその場にすとんと尻もちついて、声を上げて泣いた。捨てられたんだと思った。わがままいうとうちにいられなくなるよと母はよく言っていたから。わたしはわがまま言ってごめんなさいと心の中でつぶやきながら泣きじゃくっていた。あたりで婦人服をながめていたおばさんたちがこっちをちらと見てはまた目をそらしていた。



 よくわからないうちに、いつのまにか青い服を着たおじさんがやさしい声でわたしをなぐさめてくれていた。今思うと、この人は警備員だったのだろう。わたしは、こわいおじさんがきたと思って、さらに大声を張り上げてわんわん泣いて、おねえちゃん、おねえちゃんと叫んだ。すると、わたしが座り込んでいる売り場の通路のむこうから、姉がわたしのなまえを呼びながら走ってきた。姉はわたしの前まで来てとまって、勢いよくしゃがみ込むと、いまにもくずれそうなものすごい形相で、ばかっ、とどなってわたしの涙を手の甲で拭いてくれた。姉の、涙を拭くまっしろな手。



 わたしは、姉と手をつないで父と母のところへもどった。途中、駄菓子コーナーであめ玉を二つ買ってくれて、二人でなめた。お父さんとお母さんにはないしょね、と姉は言って、わたしはなんだかうれしくって、姉の手をぎゅうっと握りしめた。握りしめて姉の顔を見上げると、姉もわたしにほほんでぎゅっと手を握り返してくれた。



 帰りの車の中で、わたしはまだ姉と手をつないでいた。うとうとしながら窓の外にぼんやり目をやると、夜のとばりが下りたあぜ道沿いにならぶ荻が、さやさやと風に吹かれて、車のライトの光るときだけくっきりと荻の白いのが見えた。わたしの家は田んぼの大海を細かく区分けするあぜ道のずっとさき、小さな山のふもとにあった。荻の列はいつまでもいつまでも続いていて、意識がもわあっと遠のいて、わたしは姉にもたれるかたちでいつのまにか眠っていた。姉の手のつめたいのとやわらかいのだけは眠っていてもわかった。







 わたしは、姉とけんかをしたことは一度もなかった。



 わがままをわめき散らしても、姉はいつも笑ってぺちっとわたしの頭を叩くくらいで、わたしが父や母に怒られて自分の部屋で一人しくしく泣いていると、姉は何も言わずに入ってきて、やさしく微笑んでからいろいろなおもしろい話を聞かせてくれた。姉の話はどこか遠い外国のおとぎ話、日本のむかし話や言い伝えなど様々だった。姉の温かい声で語られるお話に、悲しい顔をしていたわたしも思わずくすくす笑った。そして姉は必ず最後に、あしたお父さんとお母さんに謝りに行こうね、と言ってわたしをうなずかせて一緒の布団に入って寝た。

 
 布団の中でわたしは姉のむねに顔をうずめたり、姉の手のひらを自分の頬にあてたり、姉のほそくながい指と指のあいだの皮を舌先でぺろっとなめたりした。なめると、姉の手がびくっとなって、ふふふと笑うのがとても楽しかった。ちかくで見る姉の髪の毛はとてもなめらかでふんわりと良いにおいがした。姉のやさしいにおいにつつまれながら、わたしはぐっすり眠った。


 わたしは姉にあこがれていたのだと思う。新しい服を買うより、姉のおさがりをもらったほうが嬉しかった。姉のすきな食べ物をわたしも好きになった。姉の髪形をわたしも毎日まねた。ときどき、鏡にうつる自分の姿を見ていやになることもあった。わたしの髪はくせっ毛だった。姉は父に似ていたけれど、わたしは母に似ていた。姉は運動神経がよかったけれど、わたしは少し動くだけで息がすぐあがったし、動き方もおかしかった。たまに、わたし自身で、どうしてこんなに姉にあこがれるのだろう、と奇妙に思うこともあった。姉がいる友達で、わたし以上に自分の姉にあこがれている人はいなかった。おそらく年がはなれすぎていることが関係しているのだろうとその時は思った。姉はすらりとした体形で足はながく顔はちいさかった。色白で顔の部位も整っていた。わたしはとくに手と目とくちびるが好きだった。姉の手はまっしろで指はほそく手首のうごきにも独特のものがあって、腰まわりがくねくね動くみたいな趣があった。父に似た濃いまゆがかぶさったぱっちり二重と、通常でも、うすら紅をさしたような線の細いくちびるは、姉が笑ったときに、すぼまってくしゃくしゃになるのがとてもかわいかった。姉はわたしにはないものをたくさん持っていて、うらやましくて、わたしは何も持っていない自分を悲しく思うこともあった。



 

 姉は東京の大学に入学して、田舎の家を離れた。家を離れる二年くらい前から、姉は変わった。夜中、家の人たちが寝静まったころに家に帰ってきたり、二日三日、家に帰らないこともあった。ときどき、父や母に向かって怒鳴っているのが聞こえて、そういうとき、わたしはびくびくしながら自分の部屋のベットの上にうずくまって布団をかぶり、耳をふさいで聞こえないふりをした。姉がしてくれたようにわたしが姉を慰めることはなかった。初めの頃は父や母に怒鳴っても、わたしにだけは、やさしく微笑んでいつものように接してくれた。でも、日がたつにつれて、わたしと姉にも少しずつ距離ができた。



 姉はどうして変わってしまったのだろう。ある日を境にとつぜん変わったのか、徐々に変わっていったのかは今となってはわからない。だけど、姉に対するわたしの心はある日を境にとつぜん変わってしまった。わたしはあの日、自分のしたことをとても後悔している。一方で、どうして姉がわたしに対してあんなことをしたのかわからない気持ちもあった。わたしはあの出来事の後、姉が怖くなって自分から姉に話しかけることもしなくなった。姉の方でも、わたしを露骨に避けたいようなそぶりを見せるようになった。父と母は、変わってしまった姉にあきれていた。夜、父がお酒を飲みながら母に向かって、期待外れだ、信じていたのに、とかぼやいていたのをこっそり聞いたことがあった。



 ある日、両親の話が気になって、夜更けにトイレに行くふりをし、襖に耳を当てて盗み聞きすると、姉のことを悪く言うとともにわたしの名前も頻繁に出していた。どんな話だったのかはもうわからないけれど、姉と比べられていることだけはわかった。どうせわたしなんか、とみじめな気持ちになって布団の中で涙を流した。その夜、姉は帰ってこなかった。わたしは自分の手のひらを頬にあてて眠った。わたしの手のひらは姉と違って、なまあたたかくて、べとべとしていた。






 東京の大学を卒業してから姉は一度だけ家に帰ってきた。帰ってきたといっても、夜中にこっそり必要なものを取りに来ただけで、朝起きると姉はもういなかった。姉に会ったのはわたしだけだった。



 その夜はひんやりと肌寒く、まん丸の月があたりを照らしていて、青く透き通ったように明るかった。庭や家の後ろの山からは、じじっ、じじっと虫の声が聞こえた。わたしはなんだか落ち着かなくって、夜中なのにいつもより目が冴えていた。そわそわしていたわたしは寝床から出て、広い庭が見える縁側に座ってぼんやり満月を眺めていた。そこに姉が帰ってきた。姉は玄関からではなく、庭を囲う垣根をよじ登って家に入ってきたから、庭に出ていたわたしとはち合わせするかたちになった。わたしは一目で姉だとわかって思わず、おねえちゃん、と叫びそうになった。わたしの叫びたがってるようすを見た姉は二重の目を大きく開け、くちびるにほそい指をあてて、しー、しー、と合図を送って、にっこり笑った。むかしの姉だった。姉はゆっくりわたしのところまで来て縁側に腰を掛けると、ひさしぶりだね、とわたしに言った。そのときの姉の顔は月明かりを受けて青白く、とてもきれいだった。お化粧はしていなかった。



 そのままわたしと姉はちいさな声でとりとめもない話をして、二人だけのお月見を楽しんだ。たいていは姉の方から、中学校生活はどうとか、好きな子できたとかわたしに質問するだけで、好きな子を聞かれて耳まで赤くしたわたしを見て姉は再び顔をくしゃくしゃにして笑った。わたしはむかしの姉が戻ってきたと思ってとてもうれしかった。そして、あの日のこと、しっかり謝らなきゃ、と決心した。すると姉の方から切り出してきた。とりとめもない話が切れて、姉もわたしも黙ってしずかに月を見ていた。



 すこし肌寒い風が吹いて姉の長い髪をゆらした。姉の髪は、さらさら流れていいにおいで、ああおねえちゃんだ、と思った。そしたら姉がわたしの名前を呼んで、なに、と答えると、わたしの顔を見てしばらくして、ごめんね、と一言だけ。わたしは、わたしもごめんね、おねえちゃん、と答えた。今思いなおすと、姉のごめんね、の声は妙にふるえていて、顔もどこか悲しそうで、ごめんね以上の哀愁がこもっていたような気がする。姉は庭に向きなおって、しばらくぼおっとしていた。ふと涼しい風が吹いて、庭に写っていた細いゆみなりの影がさあっとゆれた。荻がゆれていたのだった。姉は庭の隅に生えていた荻の群を見て、大きく目を見開き、深く息を吐くと、じゃあもう支度して行くね、と言って中に必要なものをとりに行った。荻を見た姉の目には涙がたまっていた。なんで泣いているのだろうとその時は思った。



 ちょっとして、姉は縁側に戻ってきた。途中、まん丸いお餅がたくさんのった神棚のある、広い客座敷を通った。姉は神棚には目もくれなかった。客座敷を歩く姉の足の音が、ぎしぎし、ぎしぎし、と妙にはっきり聞こえていた。こうして姉は再び垣根をよじ登って帰っていった。





 よじ登る前、姉はふりかえりすたすたわたしの方へ戻ってきた。そしてわたしの頬に右の手のひらをあて、くしゃくしゃな顔をして、震える声で、じゃあね、と言った。姉の手はとてもしろくきれいで、ひんやり冷たかった。










 姉が高校三年の頃だった。



 その一年くらい前から、姉は変わった。家に帰ることも少なくなった。わたしの家の最寄り駅から電車で二十分ほど南に下ると、すこしにぎやかな街に出る。もちろん田舎には違いないけれど、その駅には路線が二つあったし、駅を出てすぐのところにアーケード商店街もあった。わたしはその商店街にあるちいさな学習塾に通っていた。午後七時半に授業を終えて、わたしは塾を出た。商店街を左に行けばすぐ駅に出る。右にはずっと先まで商店街がのびている。いつものように左に曲がって家に帰ろうとしていると、姉に似た人が、左から右にわたしの目のまえを通った。その姉に似た人は、知らないおとこの人と腕を組みながら歩いていた。そのころ、姉は三日四日家に帰ってこなかったから、わたしは、おねえちゃんだ、と思ってうれしくなって、後をついていった。ただ姉の顔を見たいだけだった。わたしを見つけると姉も喜ぶに違いない。そのころはまだ、わたしに対してだけはやさしく接してくれていたから。



 わたしはうきうきしながら二人の後についていった。商店街の奥は、青や緑のネオンの灯りがあちこちから飛び交っていて、大人の男の人の大きな声や、女の人の甲高い笑い声が、とにかくわちゃわちゃうるさかった。



 ついていってちょっとして、この人はほんとに姉なのか、と思い始めた。姉にしては露出の多い派手な服を着ていて、歩くたんびに腰がくねくね動いていた。赤く高いヒールを履いていた。普段の姉ならそんな靴は履かなかった。となりのおとこの人が何か言うと、姉は変に高い声を出してけらけら笑っていた。ねっとりした声だった。なにかおかしいぞ、違う人だったらわたしはすとーかーになってしまう、と思って、わたしは急ぎ足に二人を追い抜き、ばっと振り向いた。それはやっぱり姉だった。だけど、一目見ただけではわからなかった。姉の目の上のまつげは変にながく、普段は色白だった頬にはすこし赤みがさしていて、細いくちびるにべっとりと紅が引いてあった。姉のお化粧をしたすがたは初めてだった。わたしは戸惑いながらも、姉とわかってうれしくなって、おねえちゃん久しぶり、と笑顔を振りまいた。



 すると、いつもなら微笑み返してくれる姉は、わたしだとわかった瞬間、顔をゆがめて、ちっ、と舌打ちをし、無言でわたしのところまで来て、左手でぐっとわたしの胸倉をつかんで、バチンっ、と、思いっきり左の頬にビンタした。姉の手は真っ赤だった。わたしは反動で、すとんと尻もちついた。何が起きたのかわからなくて呆然としていると、姉は今にも泣きそうなものすごい形相で、わたしをきっとにらんで、なんであんたたちはいつもそうなの、と怒鳴った。息が上がり、頬が紅潮していた姉は、しばらくして、キエロ、と言うと、そのまま男の手を引いて行ってしまった。男はなにがなんだかわからないまま、姉についって行った。



 姉が行ってしまうと、わたしは頬を抑えながら立ち上がって、とぼとぼ駅の方へ向かった。駅へ向かう途中、涙が止まらなくって、腕で拭いながらあるいた。周りから、女の人の甲高い声がする、妙に耳に響いて頭が痛い、商店街の喧騒、なまあたたかい空気、月はどんよりとした雲に覆われていた。





 家に帰ったときには涙もおさまった。玄関から上がって、母のおかえりというのにも答えず、自分の部屋に入ると布団をかぶり、声を押し殺して、また泣いた。姉に急にあんなことをされてとても怖かった。わけもわからず姉に嫌われた。なによりくやしかった。姉は、あんな下品なお化粧なんかしなくたってかわいいのに、あんな色気のある声を出さなくたって姉の声はあたたかくて、やさしいのに、あんな高いヒール履かなくたってすらりとして背が高いのに。そう思おうと、姉と腕を組んでいたあの男が、憎たらしくなった。あの男が姉を変えた。ぶっころしてやる、と思った。



 くやしくてくやしくて、爪が食い込むくらいこぶしをぎゅっと握りしめた。くやしさをぎゅっと握りしめて、手のひらを開くと、そこに残ったのは後悔とさみしさだけだった。どうしてむやみに姉を追いかけたのだろう、あの男は姉の彼氏だったのだ、もし自分が好きな人と一緒にいるところを見られたら、わたしだって怒るかもしれない。わたしが無神経だったのだ。いや、それだけではないのかもしれない。あんなにやさしかった姉だ、わたしにいきなりビンタをするわけがない、あの時の姉は、溜まりにたまったものがあふれて爆発した感じだった。どちらにしても、姉に嫌われたことは確かだ。姉にぶたれた頬がひりひりする。わたしは頬を両手で抑えて、姉がビンタしたときの顔と、きえろ、の声が何度も何度も頭の中でくりかえされて、布団をぐっしょり涙で濡らした。その日も姉は帰らなかった。





 あの満月の夜、二人きりのお月見をした後、姉は二度と家に帰ってこなかった。どこで何をしているのかもわからない。父も母も、そのことについてもう何も言わなくなって、まるで姉など最初から存在しなかったみたいにふるまっていた。だけど一度だけ、わたしが塾から帰ってくると、なにやら客座敷の方から音がする。襖を少し開けてのぞくと、客座敷の神棚の前で母がうずくまって、声を押し殺して泣いていた。母の手には姉の七五三の写真の入った写真立てが握りしめられていた。聞こえていた音は母の涙の畳にぽたぽた落ちる音だった。それを見て、自分の布団の中でわたしも泣いた。





 時間がたつにつれて、わたしが姉を恋しく思うことも少なくなった。それでも、夜に空を見上げて月を眺めると、姉の最後の、じゃあね、の時の顔が思い出される。そこから、ビンタしたときの泣き出しそうな姉の顔、いっしょの布団にもぐって、間近からのぞくかわいい姉の顔、いろいろな姉が浮かんで、胸がきゅうっと苦しくなる。

 わたしは最近、どうして姉が家を出ていったのかを考えて、うまくは言えないけれど、姉の今までの行動に対してどこか納得する気持ちもあることに気づいた。そして姉はどこかでしっかりと、生きているんだと確信した。姉のことを考えるとき、わたしはどうしても、姉があの満月の夜、風に吹かれる荻を見て、涙を流していたことを思い浮かべてしまう。姉が泣いているところなど見たことがなかったから、余計に印象に残ったのかもしれない。なぜ、姉は泣いていたのか、もう一度会って聞いてみたかった。姉が泣いたとき、姉がしてくれたみたいに、わたしもなぐさめてあげていたら何か変わったかもしれない。姉に、会いたい。










 いつのことだったかはもうわからない。




 その夜は十三夜だった。月がとっても明るくて、光の行き届かないところなどないというくらい、あたりは一面青く、透明な夜だった。不思議なことに、いつも合唱しているようにうるさい虫の声が、どこからも聞こえなった。家の人がみんな寝た夜更け、閑々とした縁側にわたしと姉だけが座っていた。横から見た姉の顔は、月の光を吸収したみたいに美しく照り映えていて、耳にかけた流れる髪の毛がくびれの方にすこしもつれていて、変に色っぽかった。わたしと姉は手をつないでいた。姉はそらをつくづくと眺めて、



「ああ、どこか知らないところに飛んでいってしまって、消えたいなあ、ねえ、どう思う?」



と言った。そのときの姉のようすは神妙で、なにかおそろしい気配がしたのを覚えている。わたしはこわくって、姉のことばに対する返答をごまかして、違う話をし始めた。庭の隅には、白い荻たちが月影を受けて、青く、じっとうごかない。風は吹いていなかった。



 すると、垣根のむこうで、荷車をひくような、かたかた、かたかた、という音がどこからともなくはっきり聞こえて、


「荻の葉、おぎのは」

と、男の子とも女の子とも言えない、しかし子供の声が、かなしいほど透き通った声で、誰かをさがし求めているように、月の光に乗じてあたり一面に響いた。声が聞こえたかと思うと、次は笛の音が、とてもうつくしく高いのが、鳴った。

 ぴーひょろぴーひょろ

 笛の音が吹かれると、庭の荻がさあさあと揺れて、庭にうつっていた荻のほそい影も、二人の足元で揺れた。風は吹いていなかった。




 気づいたら、もう荷車の音も笛の音も聞こえなくなっていた。わたしと姉はしばらく口を開けて呆然としていた。そして二人で顔を見合わせて、おたがいがあまりに間抜けな顔をしていたので、思わずぶっと噴き出して笑った。足元の細い影は、じっと動かなくなっていた。




 あれは何だったのだろう。だれが、なぜ、あの時間に荷車をひいて、荻の葉と言って、笛を吹いたのだろう。月の光も、庭の景色も、荻の葉も、子供のような声も、姉も、全部がおそろしくて、夢うつつだった。でも、姉が荻を見て涙を流した時、この不思議な夜のことを思い出していたことは明らかだった。そうにちがいない。






 お互いの顔を笑ったあと、姉はふうと落ち着いて息を吐いて、このことはお父さんとお母さんにはないしょね、とにっこり笑った。わたしはつないだままだった姉の手をぎゅうっと握りしめた。姉の手はつめたい。ふふふとほほえんだ姉は、わたしの手をつよくぎゅっと握り返した。






 

 姉はとっても美人だった。  
 わたしは姉がだいすきだった。
 年の離れた姉はとてもやさしかった。



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