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【第一章】18歩のある日



まずはじめに書いておきたいことがあります。




私がうつ病の経験をnoteにするのは、自慢でもなく、同情を求めている訳でもないです。成功体験でもありません。




言語化して、自分がこの経験を乗り越えられたことに自信を持ちたい。こうやって生きてきたんだと記録を残して、死ななかった自分を褒めたい。


楽しいはずの20代前半を、うつ病に悩まされた悔しい気持ちを忘れないためです。


悔しい気持ちをバネに強くなろうとしている自分を鼓舞するためでもあります。




そして、この記録が今苦しんでいる人にとって心が軽くなるきっかけになれば、と思うからです。




私がうつ病になった経緯を紹介します。




幼い頃から大学まで、人間関係に悩んだことはほとんどなくて、そこそこ友達もいたし、習い事や、部活、アルバイトも活発にやっていました。暇なことが苦手だったのでとにかく動いてすごしていました。



大学卒業後は大手航空会社に新卒入社しました。幼い頃から憧れだった職業、期待と希望を持って入社しました。華やかな一面、厳しい世界なのは知っていましたが、想像以上でした。



常にタイムプレッシャーのかかる仕事で、緊張が1秒も解けないピリついた空気、上司の心無い言葉、キャパオーバーの勉強量…



入社して半年間、休みの日も勉強をしなきゃ追いつけない。失敗は許されない。でも心配事を先輩に聞いたら怒られる。と毎日考えて過ごしていました。




早朝、夜遅くまでの勤務もあり、不眠が始まり毎日が体調不良という感じでした。そしていつの間にか涙の止まらない日々が続くようになりました。




なんでこんなに仕事ができないんだろう、向いてなかったと辞めたい気持ちでいっぱいでした。


そんな毎日の中で私にとって決定的な日がありました。




飛行機の搭乗口の業務をしていた時のことです。搭乗時間になり、お客様を整列させてパスポートの確認をします。



お客様を飛行機に乗せる直前の大事な最終確認です。



集中しなくては!と思うものの、どんどん遠くなっていく意識、先輩の声……




目の前が真っ白で気づいたらうずくまっていました。




限界でした。



「もう辞めよう」と思いました。




それから私は仕事に行くのがとにかく怖くなり、「行きたくない」ではなく「行けない」に変わりました。出勤前から動悸が止まらないほどでした。





しかし、明らかな体調とメンタルの不調で自覚症状はありましたが、病気を認めたくないとか、この程度で病院に行っていいのかとか、自分の考えが甘いだけ、自分が弱いだけ…



そうやって悩んでいる時に自分を追い込んでしまい、さらに悪化させてしまいました。



同じような症状の多くの人が思うかもしれませんが、本当に、心療内科や精神科に行くことって、ハードルが高いですよね…




でも、ある意味そのハードルを越えられるくらいに追い込まれて、精神科に行く勇気が出てきました。




その時の診断結果は、



・パニック障害
・適応障害




診断書をもらい、仕事をとりあえず1ヶ月休むことになりました。この時は、薬は服用しませんでした。(当時は抵抗がありました)





「よかった、これで休める」



と安心したものの、この休養期間は私にとって、人生で経験したことのない地獄の時間になりました。





私の見る世界、感じるもの、価値観はみるみる変わってしまいました。当事者でないと正直分からないことも多いと思います。


・全く眠れないか、ものすごく寝る
・身体が動かない
・家の中もほぼ歩かない
・外に出るのはもってのほか
・朝起きてすぐ、夜が来いと思う
・外が暗くなるまで地獄、明るいうちは鬱
・死にたい以外何も考えられない
・テレビも映画も頭に入ってこない
・文章に関しては全く読めない
・何も食べたくないけど、たまに暴飲暴食
・意味もなく涙が止まらない、泣き叫ぶ
・全員が敵に見えるくらい孤独
・助けてもらいたいけど、助けを求められない
・孤独の中の孤独、ひとりだと思い込む


その時の記憶はこんな感じです。




そんな真っ暗な日々の中、忘れもしない1日があります。



2019年10月19日のことです。




日中をどう過ごしたかは記憶にありません。

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