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自分なんて雑魚だと思って今日も、生きる

1年前の僕は、ドイツ生活7か月を迎えた頃。

それだけ異国の地で生活していると、”自分ができること”と”できないこと”が明確になってくる。そして「できないことの多さ=自分の非力さ」に定期的に絶望する日常。

言いたいことはあるのに言語の壁によって伝わらないもどかしさ。

やりたいことはあるのにそのスタート地点にも立っていない実力。

まるで、遠くにジャンプしたいのにしゃがむことができないようなやるせなさを感じた。

住民登録に行ったのにダメな理由も理解できず帰らされたことも、ロンドン旅行で財布を盗まれデビットカードの引き落とし通知が止まらなかったことも、スタジアムツアーに参加しても3割しか内容理解できなかったことも、小麦粉だと思って買ったやつが片栗粉だったことも。

おれはこの国ではこんなこともできないのかと思わされる毎日は、楽ではない。でも、できないことが分かるからその中でできることはないかと探して、そして実行するのを躊躇しない良さもある。

できるとできないの間にある、「頑張ればできそう」とか「もう少し時間をかければできそう」にどれだけ挑戦することができるか。これを「もがく」と言うのかもしれない。そしてこれこそまさに自分にとっての「成長」なのだと身をもって知った。

今「できない」とか「知らない」状態でいることを恥じる必要はない。ただ、そのままで居続けることを何とも思わないのは恥ずべきだ。やろう、知ろう、学ぼう、動こう、、、この意思を持った行動に価値を感じる。

だからこそ自ら進んで困難に飛び込んでみる。そしてその時に、『あぁ、できないな』って絶望して、『できるようになりたい』とか『そんな今日も雑魚な自分にできることは何?』って考えれば、いや、考えるより先に身体が動いてくる。


今日も雑魚な自分にできることは何だろうか?


Shingo

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