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いまここから目をそらさせてくれるなら
金はいくらでも払う
それだけのことだ

探しているにもかかわらず
金を出して追い払うんだから
笑える


さて、先日のシェア会で
こんな話をした

みんな、いまここになんかいたくない
退屈すぎて、いたくない
それだけのことだ、と

ACIM的に言えば
この自我の働きかけが手に取るようにわかる、と思う

「いまここ」なんて
退屈なんだよ
それを知っているオマエは
これじゃないものを探しに行くんだ
それこそが「いまここ」以上のすばらしいものだ
それを誰よりも早く
オマエが見つけろ
人生を退屈に過ごしてはいけない
人生は短い
さぁ、行け!探しに行け!


マスターの話を聞きに行く
それは「いまここを探す」という名目なのだけれど
実は、「いまここ」から目を逸らすのに好都合な案件だ
退屈から目が逸らせるなら
退屈からどれだけ目を逸らさせてあげられるかで
金なんていくらでも動く

金が悪いとかでもなく
そういうものだ、というだけだ

「いまここ」なんて
それこそ神秘的に装飾すればいい
そうしたら、それは非常に魅力的な
そんじょそこらにはないものになる
それで退屈が凌げる
神秘的で希少価値があるものは値が張る
十分に時間はかけられる
いくらだしても


さて実際は
こんなくだらない
退屈なものを探していたのか、と
嫌になる人もいるかもしれないw

いや、それでは「まだまだ」と言いたくはなる

なぜなら
その「退屈なもの」は
とんでもなく豊富なメッセージを詰め込んでいる
醍醐味はそこなのだけれど
退屈のが勝るのだ

ここまで来ると
「退屈」なのか「熱中」しているのか
よくわからんな
まぁ、いいや


「いまここに連れて行く」なんてことはできない
いくら金をつまれても
実はできない話なのだ

なぜなら
すでにもういるからだ
すでにいるのを
どう連れて行くのか



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