【21話】あなたはパンなのお菓子なの


「ねっ、今日のお菓子……」
「今日のお菓子は、シナモンロールだよ」

少女は食べたいお菓子をねだろうとし、もう一人の少女はそれを言わせないために、素早く今日のお菓子の名前を答える。
二人の少女が、朝食後にやるいつもの問答だ。

「シナモンロール……ってなに」
「さあね。知りたいと思うなら、本を探してきたらどうだい?」
「もしかして……また変なお菓子だったりして……」
「失礼だなあ。変なお菓子なんか、ひとつもないよ。今日は作るのに少し時間がかかるから、お昼ごはんは一人で食べてくれないかな。電子レンジの使い方は知ってるよね?」
「知ってるわよ。それで温めて、ひとりで勝手に食べるから」

少女は、シナモンロールがどんなものなのかを全く説明しようとしないもう一人の少女に、不信感を抱いていた。こういうときはだいたい、もう一人の少女は予想を裏切って、おいしくて甘いお菓子を作ってくれるとわかってはいる。だが、最近全くと言っていいほど、自分のリクエストを聞いてくれない彼女に対して、少女はたいへん不満だった。

「それじゃあ、今から暫くは書斎の方にいるから。何かあったら呼んでね」
「えっ、本!シナモンロールの本は……?」
「たまには事前に情報を調べないで、お茶会のときに初めて顔を合わせてみるのも、いいんじゃないかなぁ」

そう言いながら、もう一人の少女は書斎の方へと歩いて行った。
遠回しに「シナモンロールがどんなものかはお楽しみに」と言われたようで、少女はなんだか胸が少し苛立ってしまう。

「なによ、私が本読むとうれしそうな顔してたクセに……」

もう一人の少女は、少女が本に興味をもち始めたとき、表情からは分かりにくかったが、喜んでいそうな色を纏っていた。それはきっと、もう一人の少女は読書が「すき」だから、自分のすきなものに、自分以外の誰かが手を出したことが嬉しかったのだろう。
ドーナツのときのように、どんどん「すき」を共有し合う。それで幸せな気持ちにならない人など、おそらくいないだろう。少女はそう考えていた。

だが、今日は違った。もう一人の少女は、少女が本を読むことを止めたのだ。それは少女にとって少し衝撃的で、胸からは悲しいような音がした。
少女は見た目こそ十六歳くらいの大人になりかけの少女だが、中身はまだまだからっぽで幼い。反対に、同じくらいの歳の見た目をしているもう一人の少女は物知りで、何を言っても怒らなくて、大人っぽい。
少女はもう一人の少女が何を考えているのかは、さっぱり分からないのだ。

それで少女は、自分だけ彼女に置いてかれているような気がした。いつも二人でいるはずなのに、気分はひとりぼっちのようで、少女の胸の中はどんどん寂しくなっていった。


ソファの上に座り、毛布を羽織りながら少女は壁時計を見上げる。もう少しで昼食の時間だ。
もう一人の少女は、まだ書斎にいるのだろうか。少女はそれがつい気になってしまい、起き上がってゆっくりと、足音を立てずに書斎の方へと歩き出した。
扉の前まで来ても、中からは何も聞こえてこなかった。でもあれから、もう一人の少女の姿は一回も見ていないし、ここにいるのは間違いない。そう思った少女は、思いきってドアノブに手を掛けた。

ガチャ、ガチャ、と何回やっても開かない。中で鍵がかかっているのだ。入って来るな、ということだろうか。
少女は、この動作を続けても何にもならない、と悟った。ドアノブから手を外して、先ほど歩いてきた廊下をまた歩き始めた。

居間に戻ってきた少女は、辺りを見回す。誰もいない、自分ひとりだ。
もう一人の少女が用意してくれていたお昼ごはんを、レンジに入れて温める。それをひとりで机の上まで持っていき、誰もいない空間に向かって「いただきます……」と小さな声で呟いた。
ごはんは温かくて美味しい。だが、少女の胸の中は冷たく、寂しさの色に染まりきっていた。何を食べても、胸の中が暖まることはない。

「ごちそうさまでした……」

小さく食後の挨拶をした後、少女は食器を机の上に置いたままにして、いつものようにソファに寝転がった。寂しさに支配されてしまった体では、何をする気も起こらず、ただただ寝ることしかできなかった。
毛布に包まり、ゆっくりと目を閉じる。少女はそうやって、自分の胸を落ち着かせようとしていた。何も考えず、何も見ず、何も感じない。その状態になるだけで、少女は安心してゆく。

うとうと、と本当に眠たくなってくる。少女は、もう寝てしまおう、と意識を瓶の底へと沈めて行った。
すると、誰かがこちらへとやってくる足音が聞こえてきた。少女はそれに反応して、意識を一気に現実へと引き戻す。
もう一人の少女が、居間へと向かってきたのだ。

「……どうやら、眠ってしまったみたいだね」

もう一人の少女の声が聞こえてくる。もしかして、いつも自分が寝ているかどうかを確認していたのだろうか、と少女は何故か分からないが、恥ずかしくなった。

「うーん、そろそろ作ろうかな」

扉の開閉音と共に、もう一人の少女の声は聞こえなくなった。少女は少しだけ目を開けて、扉の音が聞こえた方を見る。いつもお茶会をする部屋だ。
前に杏仁豆腐を作ったときも思ったが、いつもこんなに早くからもう一人の少女は、お菓子を作り始めているのか、と少女は感心した。

「もう、眠れなくなっちゃったじゃない……」

体勢はそのままの状態で、少女は目をパチパチとさせながら、天井を見つめ出した。眠って今のこの気持ちを変えようと思っていたのに、もう一人の少女の声を聞いた途端、眠れなくなってしまった。

いま、書斎よりも近くにもう一人の少女がいることに安心しつつも、少女の胸の寂しさは埋まらなかった。
自分がからっぽでなかったら、少しでも人の気持ちを、理解できるほどの力をもっていたら、こんな想いにならずに済んだのかもしれない。でも、今の少女にはもう一人の少女に「きらわれている」ようにしか考えられなかった。

前に、彼女は自分のことを「すき」と言ってくれた。けれど、気持ちは変わりやすいものだ。自分だって、よくお菓子に文句を言っては、食べた後においしい、と笑顔を見せている。
今日半日、もう一人の少女とは全然話せていない。もしかして彼女は、本当に自分のことを「きらい」になったのではないだろうか。

(やだ……きらわれたくない……。もうひとりぼっちになるのは、もういやなの……)

少女の胸の中は不安でいっぱいになり、毛布を被って、寒さとは関係なく震えていた。


「やあ。起きてるかい?」
「……うん」

ソファから起き上がった少女を見て、彼女を呼びに来たもう一人の少女は、驚いた顔をしていた。少女は何故彼女がその表情をしているのかが分からず、きょとんとしている。

「どうしたの?」
「どうしたのって……君の方こそ、どうしたんだい?」
「え、なんのこと……?」

もう一人の少女は顔を近づけて、少女の瞳に溜まった涙を指で拭った。
そこで初めて、少女は自分が涙を流していることに気づいたのだ。

「え、なんで、私、泣いて……?」
「…………もしかして、寂しかったのかい?今日は、あんまり構ってあげられなかったから……」
「さびしい……。そうよ、ねえ、きらいになったの?」
「え?」

困惑した顔をしているもう一人の少女をよそに、少女は胸の中に溜めていたことを、一気に彼女へと吐き出す。

「今日、お菓子の名前しか教えてくれなくて、本読んじゃダメって、書斎も鍵かかってて、お昼ごはんもひとりで食べて、全然、はなしかけてくれなくて……。私のこと、きらいになったから、そういうことしたの……?」

もう一人の少女は、子どものように言葉を綴る少女を見て、ひどく悲しい顔をした。確かに今日は朝から調べもので忙しかったし、作るお菓子も時間のかかるものだった。
彼女を見守ると誓ったのに、少女の気持ちを放ったらかしにしてしまった自分が憎い。もう一人の少女は、泣きじゃくっている少女を目の当たりにして、罪悪感で胸がいっぱいになった。
誤解をとくべく、もう一人の少女も自分の想いを口にし出し始めた。

「違うよ、嫌いになんてなってないさ。今日はちょっと忙しくて、君と一緒にいられなかったんだ」
「ほんとに……?じゃあ全部、きらいじゃないけどやったことなの?」
「うん。お菓子の名前しか教えなかったのも、本で調べちゃいけないっていったのも、君にどんなお菓子か想像してほしかったからなんだ。書斎に鍵をかけていたのは、集中して調べものをしたかったからだよ。全部、君のせいじゃないんだ」

全てを伝えても、少女は疑うように、不安そうな顔をし続ける。それほど不安な気持ちを与えてしまっていたのか、ともう一人の少女は後悔し、どうすれば彼女に正しい自分の考えを伝えられるのか、と悩んだ。

「きらいにならないで……」

ずっと「嫌いになってほしくない」と泣きながら訴える彼女を見て、もう一人の少女は、記憶を失う前の少女を思い出す。
その途端、もう一人の少女は、少女のことを優しく抱きしめた。

「……これで、僕が君のことを『きらい』じゃないって……わかるかい?」

少女はいきなり抱きしめられたことに困惑しつつ、もう一人の少女の暖かさを感じた。
体温だけではない。彼女の胸の暖かさまで伝わってくる。それは、とても嘘をついている人のぬくもりではなかった。
そしてそのぬくもりは、寂しさで冷えきった少女の胸の中をも暖かくしていき、少女の胸はぽかぽかと、幸せな気持ちになっていった。

「じゃあ……私のこと、すき?」
「うん。ずっと変わっていないよ。僕は君のことが、すきだよ」

お互いに「すき」であることを再確認した少女はやっと泣きやみ、嬉しそうな笑みを見せる。
もう一人の少女は、少女の心が暖まったのを感じたあと、ゆっくりと体を離していった。

「……それで、もうお茶会の時間なんだけど……」
「……もちろん、食べるわよ!早く行きましょ!」
「すっかり、いつもの君に戻ったみたいだね」
「うん。だって、あなたが本当に私のことが『すき』だって、ちゃんとわかったんだもの」

そう笑顔で言う少女を見ながら、もう一人の少女は照れくさくなってしまった。本当に純粋なんだなあ、と思いつつ、いつものように少女と手を繋ぎ、お茶会の部屋の方へと入って行った。


机の上に置いてあるお菓子を見て、少女は目をパチパチとさせた。見間違いだろうか。どう見てもパンにしか見えない。

「ね……ねえっ!もしかしてシナモンロールって、パン……」
「……パンをお菓子として食べる人もいるからね。それにこの間、フルーツサンドを食べたじゃないか」
「あれは見た目がケーキみたいだったもん!」
「まあ、とりあえず……ひと口食べてみて、君がシナモンロールをお菓子かパンか、決めるといいよ。パンだと思ったら、明日の朝ごはんにでもするから」

もう一人の少女にそう言われ、少女は椅子に座り、シナモンロールをひとつ持ってみる。
確かにいつものトーストと比べると、甘そうな匂いが鼻をくすぐる。シナモンの匂いも混ざって、とても良い香りだ。上にかかっている白い砂糖のようなものも、この甘さの匂いに一役買っているのだろうか。

匂いに唆された少女は、パンなのかお菓子なのか決めるために、思いきってシナモンロールを齧った。
齧った瞬間、机の上にポロポロ、と生地が落ちていく。唇についた生地を舐め取りながら、少女は口の中でシナモンロールを味わっていった。
パン生地と白い砂糖の甘さが合わさり始める中、シナモンのスパイシーな味が入り込んできて、不思議な甘さが作られている。きちんと甘いのに、甘いだけじゃない。甘い香りでスパイシーなシナモンの魅力が、これでもかと言うほど舌に伝わってくる。

シナモンはひと足先に少女の胸の中へと入り込んできた。甘いだけではない、独特なスパイスが少女の胸の中を埋め始め、少しぴりっとしたものが、少女の瓶の中に溜まってゆく。
あとから遅れてやってきた甘さ達も、シナモンに負けないくらい、少女の胸の中に砂糖を降らせていく。それでもシナモンとは喧嘩せず、お互い手を取るように合わさって、少女の胸の中でシナモンロールの世界を作り出した。

「……おいしいわ……!」
「よかった。で、これはパン?それともお菓子?」

いつの間にか、もう一人の少女は二人分の飲み物を用意して、目の前に座り始めた。少女はいったいどう答えるのだろう。もう一人の少女はそれが楽しみで、ニコニコしながら少女のことを見ていた。

「うーん……。味は甘くて、でもスパイシーで、お菓子……?でも食感はパンそのものだったし……」

少女はもうひと口、シナモンロールを齧って、胸の中に入れてみた。
それでも、これはどちらだろう、と悩んでしまう。この際パンでもいいし、お菓子でもいいかとも思ったが、今ここで決めないと今日のお茶会のお菓子はなくなるし、甘いシナモンロールが朝ごはんになってしまう。
舌や香り、胸の中の感覚でしっかりと味わいながら、少女は時間をかけて、どちらにすべきか真剣に考えた。
何分経っただろうか。少女はシナモンロールをひとつ食べ終え、やっとこれがパンとお菓子、どちらなのかを決めた。

「………………これは……お菓子ね!!」
「理由は?」
「やっぱり、私の中で甘いものはお菓子なの。見た目も匂いもお菓子みたいだし、ごはんとして食べたいとは思わないもの」
「なるほどね。ちなみに僕もお菓子だと思ってるよ、シナモンロールは」
「それなら最初から、そう言ってくれればいいじゃない」

そう言いながらも、少女はふたつ目のシナモンロールを手に取った。本当に気持ちの良い香りがする。甘くてスパイシーな、素敵なものたっぷりの香りを、少女は楽しんでいた。

するともう一人の少女は、少女に飲み物を差し出してきた。中には、できたてのホットミルクが入っている。少女の好物だ。
ホットミルクなんて、滅多に飲ませてくれないのに。そんな想いを視線で伝えると、もう一人の少女は口を開いた。

「今日は、君に寂しい想いをさせてしまったからね……そのお詫びさ。だから特別に、飲んでもいいよ」
「本当!?」
「でも、ゆっくりと少しずつ飲むんだよ」
「はぁい」

突然目の前に現れた好物に、少女は胸を踊らせながら口に入れようとする。と、同時に、あることに気づいて、飲むのを一旦やめた。

「そういえばあなた、自分のこと『僕』って言うのね」
「うん。言われてみれば、君の前では言ったことはなかったかもしれないね」
「私も今日、はじめて聞いたわ。ふふっ」
「なんだい、笑ったりして」
「私の知らないあなたのことを、ちょっとだけでも知れたのがうれしいの」

もう一人の少女に向けて、少女は穏やかに微笑む。それを見てもう一人の少女は、何故だか胸が暖かくなってくるのを感じた。そして、あることが頭に浮かぶ。

(もしかして、彼女は僕のことを知りたいんじゃ……?)

はっ、と気づいたもう一人の少女は、感情だけではなく、どうやって「自分」のことを教えていけばいいのかを、ホットミルクを飲みながら考えるのだった。

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