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(連載70)演歌を作って自分のファッションショーで熱唱!!:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2011年


〜やっちゃいました〜


ファッションショーで、

オリジナルの演歌を歌っちゃったYO!

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なんせ自分で企画したイベントなんで、誰からも何も言われませんでした。

終わってから、クレームも苦情もなかったです。

が、

誰からも褒めてももらえませんでしたー。苦笑


理由はわかってます。

歌が、ド下手っぴー!


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これために、ボイトレやったり、歌を習ったりしたのですが、そんなインスタントにスキルが上がるわけではありません。

それは承知でやりました。

でへへーー

しかし。

人生、やったもん勝ち!

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これが、ワタクシの究極のポリシーでもありますし。


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ご理解有難うございます!


さて、前回、ファッションショーの準備中、気がついたら自分は紙人形に没頭してたというお話をいたしましたが。。。。まだ、今回も同じショーの話。連載68からなんで、これで3回目になりますが。(どんだけ、詳しいんか?)

ただ、今回は音楽についてです。

私は、以前にも書いたのですが、2005年あたりから、元ディーヴォのドラマーのアラン・メイヤーズ、ギターのシン・カワサキさん、そして、当時、仕事のアシスタントもやってもらってた、もえちゃん、あやこちゃんと、ジャンポール・ヤマモトというバンドをやっておりました。

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しばらくして、ダンサー兼コーラスのあやこちゃんが、男に走って、、、というと、聞こえはいいが、実は仕事が多忙でできなくなっんだと、本人が言ってましたー。苦笑 また、ドラマーだったアランの体調もすぐれなくなり、活動は続けていたものの、かなりスローな活動状況となってしまっておりました。

それで、2009年のヘッドドレスのショーと、そして、この時のファッションショーは、ニューヨーク在住の日本人、つぐみちゃん(Tsugumi Takashi)に手伝ってもらうようになってたんです。

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彼女は昔、日本で、ネオ渋谷系とよばれていたPINE*AM=パインナムという女子三人のピコピコバンドをやっていて、ドイツにツアーに行ったりしてたのですが、2008年からアメリカに引っ越してきて、無事にアメリカ・デビューを果たしたのでした。

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そのレーベルが私のジャンポールの前のバンド、セックスロバ(テルミンのエレクトロ・ポップ)と同じレーベルだったので、知り合ったのです。


彼女は、ともかく、なんでも全部できる。笑

完成度が高い!センスもいい!仕事が早い!

なので、何でもまかせて安心!!! 

この3つ揃っている人はめずらしい!笑

だいだい、こんな音楽がやりたい、と、アイデアを彼女に投げたら、すぐに打ち込みで、あっという間にオシャレな曲ができる。

むっちゃ、助かる!

この時のショーのテーマは「スケールやサイズ」だったので、イメージを話して、インストの曲はもとより、サイズに関した歌を、私が英語で書き、彼女が作曲、そしてアレンジもやってくれた。

その中でも一番の目玉は、やはり、このショーの時に熱唱した

エレクトロ演歌「汚れの首輪」でありましょう。

もともと、私は過去、白いメンズシャツの襟についた「汚れの首輪」のテーマでいろいろなことをやってきました。今までもお見せしましたが、襟をつないで服を作りファッションショーをやったり、汚れた白シャツのウェディングドレスの作品、また首輪の絵を描いたりなどなど、かれこれ20年くらい、ありとあらゆることやっておりました。

なもんで、やってないのは、歌くらいでしたね。


それで、ここぞとばかり、汚れの首輪の曲を作って、自分のファッションショーで歌ってしまったという次第。


で、なんで、演歌なのか???

以前にも、連載48で、ジャンポールの初期の頃、昭和のやさぐれ風の曲を作って、ミュージックビデオを撮影した話を書きましたが、この頃から、セックスロバの相棒、ケビンの影響で、日本の演歌がイケてる!と思うようになっていました。

異国に長いこと住んで、距離をおいて、日本のカルチャーを眺めて見ますと、日本にしかないものが、たくさんあります。

日本にいた頃は、それがどのくらい特殊なのかというのには、気が付きませんでした。自分は若かったし、何事も、あまり深く考えてもないチャラい若者だったのですが、この当時には、すでに50代!!さすがの私も大人になり、知恵もついてきて、森羅万象が冷静に広い見識で、見れるようになっていました。

そんな大人になった自分と、お陰様のテクノロジーが、出会いましたよ。

ネットというものが急速に発達し、昔のテレビやラジオ番組が、ザクザク!とくにこの2010年前後は著作権の問題もゆるかったのか、かなりいろいろなものが流出してました。

そのうちの一つに、大瀧詠一さんの昔のラジオの再放送がありました。(タイトルはもう忘れましたが)日本の流行歌の歴史のようなものを、シリーズで放送されているものがありました。

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もちろん、リアルタイムで、はっぴいえんどや、ナイアガラは知ってましたが、昔は大瀧さん個人を深く掘り下げたり、彼のラジオ番組は(聞いてたかもしれませんが)内容などはすっかり忘れてしまってました。

それが2011年には、この流行歌の歴史シリーズを全部聞く事ができて、毎回とても興味深く、ほとんど追っかけのようにメモしながら、何度も聴き直して、学習させてもらいました。

(この2年後に大瀧さんは亡くなられ、本当に残念でした。)



で、演歌にもどりますが、この番組で演歌の歴史は、川上音二郎という人の「オッペケぺ節」からはじまった事を知ったんです。

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日本のラップ!

「オッペケぺ」は、なんとなく聞いたことあったけど、音二郎については、まったく知りませんでした。

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彼は明治時代の人で、最初は反体制な政治ストリート・パフォーマーを取り締まる警察官だったらしいのですが、そのうち、警察官より、パフォーマーの方が楽しそうだと、反体制側に寝返った人。笑

彼の人生は超絶面白いのですが、もうここに書き出すと、とんでもなく長くなるので、省略しますが、「歌舞伎もどき」みたいな演劇を、カツラを抱えて日本からアメリカに渡り、ヨーロッパツアーもやった人です。

妻の貞奴もツアーに同行し、パリ万博で公演。当時の日本ブームに火をつけました。

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別に本物の伝統的な歌舞伎じゃなくても、今風に言えば、「外人にウケそうな、ビジュアルメインの何でもアリで、いいんじゃネ?」ってな具合いだったんでしょう。笑笑

そして

彼はヨーロッパの新しい文化に触れ、日本に戻ってきてから、「もう歌舞伎なんか古い」って事で、浅草で「探偵モノ」演劇をぶちかました。

そのタイトルは

「意外」!!

今までになかった照明スタイルやドラマチックな演出がウケて、大入り満員!!!

これに気をよくして、すぐにその続編! タイトルは、なんと。

「又、意外」!


これが、また、続いて大ヒット!!笑

もちろん、すぐ続々編。その次のタイトルは?  

はい。もう皆様おわかりでしょう?笑

「又、又、意外!」

です。

演者の技巧とかそういうのではなく、その場の臨場感や観客の盛り上がりに重点をおいた彼のスタイルは新しく、当時、話題をさらって、大人気になる!

この軽さとスピード感!それまで、こんなものは、なかった!

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もう、音二郎に関しては、キリがないので、この辺でやめときます。。。。彼の人生はもう他人事とは思えません。。。。。

川上演劇日清戦争(川上音二郎) 三枚続 C



話、もどして、大滝さんのラジオの再放送で、私は演歌の歴史、そして、それに続く流行歌、昭和の歌謡曲につながっていく日本の大衆音楽の流れを、あらためて知り、懐かしさやノスタルジーではなく、そのバラエティに富んだ「なんでもありの音楽」にとても魅了されました。

時代によって、スタイルがミックスされ、演歌自体の定義もいろいろと変わってゆくのですが、演歌というもは、もともとは、「演じる歌」ということから始まったらしいです。

つまり、何かの役柄になって、そして歌う。その状況の中に自分を置いて、演じて、歌う。 なんか、フランスのシャンソンに似てる?

当時はCDの黄金時代で、復刻版がたくさん出ていたので、日本に行くたびに、主にそういう「演歌」の特徴が際立っている楽曲のCDをあさりました。

たとえば、「岸壁の母」や「花街の母」のように、セリフ入りの楽曲。また、男が女になって歌ったりするジェンダーレスな楽曲、たとえば、畠山みどりや水前寺清子なども日本独特のユニークなスタイルです。また、昭和のムード歌謡もジェンダーレスが多いです。

大瀧さんのおかげで、自分の中に、特別なの音楽ジャンルができてました。

そして日本から持ってきたたくさんの楽曲で、DJをやったりしました。

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クラブやバーだとリズミカルな「お座敷小唄」系とか。笑

それで思い出しましたが、「ゲイシャ・ワルツ」という曲を歌ってた神楽坂はん子という歌手がいたのですが、

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この「神楽坂」っていう苗字にならって、自分はファミリーが目黒だったので、

権之助坂ルン子 というお座敷名を作りました。

ただ、この名前は人からは不評で、あまり流通しませんでしたけど、自分は気に入ってて、今でもたまに使ったりします。笑

そんな、こんなで、人からみると、随分とふざけた日常に見えますが、自分はいつも真剣で一生懸命です。

で、ここまで、入り込んだからには、やはり自分のオリジナル演歌を作って、歌いたくなったという訳であります。

歌いたい=すぐ歌う!!

権之助坂ルン子、川上音二郎のスピード感を受け継ぐ!


さっそく、「汚れの首輪」の歌詞を書き、曲をつぐみちゃんに作ってもらい、このショーで熱唱したというわけです。

最高、気持ちよかったっス!

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日本人でよかったあ〜。と思いました。

で、のちにこの曲のソノシートを作りましたよ。

これは、三味線もいれてもらって、ぐっと和風な仕上がりになりました。

いつか本物のレコードにして発売したいです。

そして、目指すのは紅白歌合戦しかありません!!!


意外! 又、意外!! 又又、、、意外!となって

いつか、夢が叶うといいなあ〜。


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ほら、ルン子が、歌っとるよ!


今回は以上です。

お読みくださって、有難うございました。

L*


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