自助会を作るということ
始まり
発達障害者の為の自助会を作ろうと誘われた。
一度きりの人生だと思ってチャレンジした結果は挫折であった。
わかっていた。
勿論初めての試み。
運営することが決して簡単ではないことは頭では感じていた。
オレは物凄く覚悟と決意をして様々な 計画を立てた。
何をしたいか、誰の為にやるのか。
しかしながら、それが最終的に裏目に出た結末となった。
齟齬
発達障害者の自助会にはオレは何個か参加していて、詳細はここでは喋れないが主催することって滅茶苦茶難しいんだろうなって感じていた。
自助会というのは色々な人が来る。
オレもそのうちの1人でもある。
自分が喋った内容に対して思ったようなフィードバックを頂けるとは限らないことも経験してきたし、感情的になって代表の方に話を聞いてもらったこともあった。
今回お誘い頂いて顔合わせしたお相手のことについてはその方を守るために詳細はここでは言わないが、まずは互いに発達障害者だからこそ色々言い合える関係性を目指すことからオレは始めようとした。
そして想定していること(どんなことをやりたいか、方向性はどちらを向いているか)の認識の擦り合わせや意思確認をさせてもらった。
それが結果として裏目に出たのは、厳しい言い方をするとシンプルにお互いに完璧な人間ではないゆえに、障害特性ゆえに、コミュニケーションの齟齬が生まれてしまったということになると言っても過言では無かった。
オレはお笑いをやっていたが、漫才の相方探ししてた頃を思い出した。
そのときも価値観の擦り合わせから始めていたのを覚えている。
バンドのグループでも何でも、何かを一緒に作っていくことには、そういった擦り合わせが必要なのだと再認識した。
想い
オレは相手の方に色々聞いた。
「発達障害の当事者の方々のために何をしようとしているのか」、「どんな会にしたいか」、それがシンプルに良くなかったのかなと感じている。
自助会を主催しようとしているくらいだから、色々強い思いがあるのかなと思っていた。
オレ自身もそうだからたくさん聞いてしまった。
そしてこれも詳細は伏せるが実際に一度プチ企画的な形で試しにやってみた結果、うまくいかなかった。
ここでオレは思った、そもそもが互いに価値観と特性があまりにも違う。
多分これは相当認識の擦り合わせをしないと継続は無理かも?と考えて反省会をした。
その反省会の中で「難しいので自助会はやめましょう」という結論が出たのだ。
互いに傷をつけあう結果となった。
オレは日頃から想定する習慣をつけているからかすり傷程度で済んでいるが、相手の方がそうかどうかはわからないし、オレと同じくらい自分で様々なことを想定する力があるとは限らない。
そういう習性がもし無かった場合、オレが色々指摘させてもらった内容は恐らく精神的ダメージは本人にとって物凄く大きかったかもしれない。
正論
今回の件がオレにとって良い経験になったか、悪い経験になったかどうかについては特にどちらとも敢えて言わない。
ただこれだけは強く言えるようになったのは改めて、自助会を主催することは絶対に簡単なことではないんだろうな、ということだ。
オレは可能であればもっともっと人の役に立ちたいし、人のためになれる人間を目指したいとは思う。
人のためになれること、それは決して簡単ではない。
だがそのきっかけにいつかは巡り会えるために、オレ自身まだまだ人間として成長しなければならないことを感じさせてくれたこと、それは本人に感謝している。
オレが正論を振りかざすことでオレのことが嫌いになってもらって勿論構わない。
というより、オレから正論を言われた人の多くはオレのことを嫌いになるだろう。
でも、そんな中でも1個でも2個でも何か得るものがあってくれれば、オレはその人の為に尽くした甲斐があると思っている。
まだまだ成長の途上
自助会か。
いつかはやってみたい。
だが、そのためにはオレもまだまだ成長しなければならない。
そう強く思った。
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