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ファッションにおける贅沢~クリストバル・バレンシアガ


クリストバル・バレンシアガ(1895~1972)とは今ではケリング傘下のラグジュアリーブランドBALENCIAGAの創設者。この世から去っても彼の服作りの礎は消えることなく継承されている。今一度、過去を知ることで今のバレンシアガをもう一度深く理解できるのではないだろうか。

独学で服を始める

スペインの小さな村で生まれた彼は、母親のクチュリエの仕事に魅力を感じそのまま若くして仕立て屋になる。(当時はプレタポルテの概念がなく、すべてオートクチュール。顧客が毎回店に来てその人に合わせた一着をつくる。それ故に貴族と呼ばれる上流階級の服を仕立てることができれば、つまり顧客ができれば、自然と富と名声を得て多くの貴族が注文してくれるシステムになっている。)そしてバレンシアガはカーサ・トーレス伯爵夫人を顧客に着け、その資金でマドリードで勉強することができた。(当時ファッションの学校がなく教会がその役割を担っていたため主要都市の有名アトリエに学びにいくほかなかった)

スペインで内戦が続きパリに店を移動。

1年後にクリスチャンディオールのニュールック発表。多くの貴族がディオールの顧客になるが、バレンシアガの姿勢は全く変わらず彼の顧客は引退するまでずっと彼の服を着つづけた。

その後60年代スペインの国自体の政治が不安定になり贅沢品が売れなくなってしまい経営破綻。

完璧主義者

バレンシアガの最も重要とするものは『贅沢』という言葉。と捉え方。バレンシアガが理解していたのは唯一無二であること。高級であること。自分自身を表現すること。この三つだった。贅沢とは快適さや実用性を損なうことなくエレガンス、自尊心、美しいスタイルを得ることでありそれを実現させるためには完璧の素材と裁断とフィッティングが欠かせなかった。

まず特定の色(黒、灰色の濃淡、アースカラー、鮮やかな赤、フクシア、紫)特定の装飾(濃い刺繍と三つ編み)そして最も重要な特定の布地(フランスの重いウールや特別な合成繊維のレース)を使用。
さらにスペインで学んだ美学と1500年から1900年までのカーテンと衣装を徹底的に研究していた。
それを踏まえて完成したのが、それまでの派手なドレスや体のラインがはっきりしてる服ではなく、体型を気にせずゆったりとした服で、且つ体にフィットした美しいシルエットの服だ。(矛盾してると感じるがここでのフィットは適するという意味で捉えてほしい)

様々なデザイナーの師匠と言われているバレンシアガだがクチュールの建築家とも呼ばれ、服作りの構造はまさに建築に通じていたという。度々ファッションは建築と結びつけられることが往々にしてある。有名どころだとラフシモンズなども挙げられる。それはなぜなのだろう。また追々建築とファッションについても書かせていただきたい。

現在と私的考察

現在デムナがバレンシアガを後任してるわけだが、ラグジュアリーストリートの位置出身の彼が一見相反してみえるかもしれない、だが全くそんなことはなく、デムナ自身も最新のITを駆使して過去のクリストバルバレンシアガを解析し自らのバレンシアガに対してのマインドを掛け合わせて最新コレクションで魅せている。

バレンシアガは最も美しいファッションは正しく贅沢を理解しあくまでも実用性を欠かさず常にエレガンスであることとしている。
実用性は理解できるが、ここでのエレガンスはおそらく彼が多くの時間学んできたスペインの彫刻や絵画から得た美学だろう。やはり、なにか美しいと感じれる感性を通して自らのファッションに結びつける行為は服を纏う上で大きく関係しているようだ。今日私たちが肌で感じている芸術はどのような形でファッションとなり得るのか。。
感じ方は人それぞれ違う。それがまた面白いところですね。

ごめんあそばせ


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