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フェアリーアンクルの鈴村さん【1】

小さいおじさん、みつけた

目が覚めたらそこにいた。小さいおじさんが。

それとも目が覚めたと思っているだけで実はまだ夢の中だったりするのだろうか。いや、夢ではない(反語のつもり)。

時計を見ると夜中の3時を過ぎていた。確か草木も眠る丑三つ時は午前2時くらいだった気がする。未知との遭遇が発生しそうなイベントの時間はやや過ぎているのではないだろうか。

小さいおじさんはテーブルの上で食べかけのホールケーキの山を、ご丁寧にわたしの反対側から切り崩すように食べていた。いや、食べ続けている(現在進行形)。

確かにこのケーキを買ったのは夜10時過ぎだし、この時間に一人で食べるのはいろいろキツイと思っていた。だけど食べきれなかったら明日また食べようと思って、だからこそ生クリームじゃないヤツを選んだ。

だけど、すぐお腹いっぱいになってちょっと横になってみたら眠くなってきて。ちょっとのつもりで目を閉じて、いま目を覚ましたら。……何故かこんなことに。

それにしてもこの小さいおじさん、わたしがこれだけギンギラギンと見つめているのに、全く動じる様子がない。逃げ出す気配はおろか、こっちに気づいている気配すらない。

さて、どうする。

わたしは実家を出るのが遅かった。今日(と言うかもう昨日か)、40の誕生日を迎えるまでのおよそ35年、一度も家を出ることなく生きてきた。

わりとなかなかそこそこの田舎で、子どもの頃は近所に養鶏場があった。たまに牛や豚を乗せたトラックが走っていて、暑い夏に窓を全開にしていると肥料の芳しいニオイがあっという間に部屋を満たした。だけど夜には蛍が見られる。

モグラもいた。ムカデもいた。朝、何かの気配を感じて目を覚ますと、顔の横で大きなクモが添い寝をしていた(しかも生きてた)。

そんな環境でのびのび育ったおかげでわりとなかなかそこそこ、虫への耐性と免疫と経験値は備わっているつもりだ。何度ヤツらとの死闘をくぐり抜けてきたことか。

……と、ここまで前置きが長くなったが。

こんなわたしでも、さすがに小さいおじさんに遭遇するのは初めてだった。

スマホで小さいおじさんについて調べてみると、「妖精おじさん、小さいおじさん」と出てきた。え、これ、妖精なんですか?

わたしは小さいおじさんを見た。小さいおじさんはまだケーキを食べている。タルトの歯応えがお気に召したのか、まるで家の壁をぶち壊すような勢いでケーキからクッキー生地のタルトをはがし、食べ続けている。わりと獰猛な光景なんだけど。これ、妖精なんですか?

続けて読むと、「日本の都市伝説の一つ。中年男性風の姿の小人。妖精の一種」とあった。そうか、都市伝説。どうやらわたしもいよいよシティボーイならぬシティガール、シティウーマンの仲間入りを果たしたとみえる。てか、やっぱり妖精なんですか?

コロポックル?あぁ、なんか聞いたことがあるけど。それ、コロボックルじゃないの?じゃがポックルは北海道のお土産でもらったことがあるけど。

え、でも待って。目撃情報こんなにたくさんある。芸能人も。しかも聖地とかあるんですか。すごくないですか。いや、すごいで、小さいおじさん。

と、わりと真剣に小さいおじさん情報をネットで漁っていると、こんな言葉に行き着いた。

「……"未確認生物の可能性はあるが、実際には肉体および精神的な疲労などを原因とする幻覚と指摘されている"。」

あ、やっぱりそうなんですね。

「"その根拠として目撃談の大半が就寝中または夜中であること"。」

そこまで読んでわたしはスマホの画面から目を上げた。じっと天井を見る。

まさに今、わたしの状況のことなのでは?

期末は経理にとって毎度のことながら修羅場だ。しかも今回、月半ばで派遣社員が一人辞めた。後任は入ったものの即戦力になるわけがなく、辞めていった人の仕事はわたしたち他の派遣社員にふってきた。ただでさえ、いつもギリギリで仕事をしているのに、だ。

けれど最優先すべきは伝票処理。しかも年度末。期をまたぐこのタイミングで伝票を落とすわけにはいかない。落ち込むヒマがあったら伝票を切れ。文句があるならベルサイユにいらっしゃい、とはまさにこのこと。

……からの、誕生日。誰に祝ってもらえるわけでもないけど誕生日。激戦を潜り抜けた自分へのご褒美にケーキを買った。

すでにお店が開いている時間ではなかった。コンビニのケーキはこんな時にかぎって売り切れで、食べたいと思えるスイーツはなかった。

諦めて家路についたところで道の向こう側からケーキをのせたリヤカーがどんぶらこどんぶらこ……いや、流れてきたわけではないけれど。だってアスファルトだし(問題はそこではない)。

だけど、道を照らすランタンの明かりが揺れる様はまるで、オペラ座の怪人がゴンドラにクリスティーヌを乗せて進むシーンのように幻想的だった。

で、うっかりケーキを買ってしまったという。

だってしょうがないじゃないか。思考回路はショート寸前どころかショートしていたのは明らか。決断力だって落ちてた。地元の駅前ではアイスクリームやわらび餅を売る人はたくさんいたけど、都会の焼き芋は高いし小さいし(それも問題ではない)。

しかも人生で初めてのホールケーキ。誰のためでもない。なんて贅沢なお誕生日。40にして初めてホールケーキを自分のために買った(ホールケーキしか売ってなかった問題)。

と、ここまで今日の出来事をプレイバックしている間にも、小さいおじさんはケーキを食べ続けていた。よく食べるな、いやマジで。わたしも最初は美味しくて感動して食べてたけど、やっぱり途中で苦しくなってつらくなる前にやめたのに。ほら、やっぱり良い思い出は良い思い出のままでいたいから。

この小さいおじさん、わたしのこと気づいてないのかな。

『気づいているとも』

ん?

その時、初めて小さいおじさんがケーキから目を移した。わたしの方に向けられた目は月のない夜空のように真っ黒だった。

『あんた、さっき願い事をしただろう』

「え、願い事?」

と同時に小さいおじさんに「あんた」呼ばわりされたことに地味に傷つく。

「え、いつですか?」

『ワシはそれを叶えてやっているだけだ』

「え、いやいやだから、いつ?わたし、願い事なんてしてませんけど」

てか、普通に会話が成立してることに驚いてますけど。

『いいや、した。だからワシはここにいる』

「いやいやだから、小さいおじさんを呼び出すようなこと、わたしは…」

ハッ………!!

よもやこれは、階段から一緒に転がり落ちた男女の魂が入れ替わったり、30歳過ぎても童貞だと魔法使いになれるらしいとか、そういうよくあるパターンの40歳版?!

『違う』

「あ、ですよね」

そうだった。魔女は三百路になってからだった。てか、よくわたしの考えてることわかったな、この小さいおじさん。

『あんたはさっき、一人でケーキを食べるのは寂しいと思った』

「え……」

小さいおじさんは小さい顔にベッタリとカスタードクリームをつけて、その髪には細かいクッキーのカケラをのせていた。さっきまで真っ暗だと思っていた黒い目は、星空のような光を宿しているようにも見える。

「わたし、そんなこと……」

一人じゃ食べきれないな、と思っただけだ。別に寂しいなんて思ってない。だって、家を出てからずっと一人でやってきた。

自分のためだけに作る味気ない料理も、美味しくなくても自分が食べるしかないってわかってるし。帰って自炊する時間がないからってテレビで見て憧れていたデパ地下のお惣菜も、毎日食べ続ければ飽きてくるし。周りが楽しそうにお喋りしながら食事をしている場で、一人で食べていても気にならないし。部屋で一人でいるよりは全然……全然……。

『だから、ワシがこうして食べてやってる』

小さいおじさんは片方の口端を持ち上げてそう言った。ニヤリ、としか形容のできない顔を作った。その姿はケーキの食べかすに囲まれていた。

だからさ、ほんとにこれ、妖精なんですか?

「いやいや、わたしが寝てる間に食べてましたよね」

『今は起きとるだろう』

「いやまぁ、そうなんですけど。てか、食べ過ぎですよね、明らかに。どこにそんなに入るんですか?」

『ゴチャゴチャうるさいのぅ。とっとと食べんか』

「食べれませんよ。何時だと思ってるんですか。こっちは明日も仕事なんですよ」

指を伸ばすと小さいおじさんは抱えていたフルーツを取られまいと、まるでバスケットボールのようにふんふんと振り回した。その姿に思わず笑ってしまう。

あ、なんかもう、夢でも幻覚でも何でもいいや。

これがわたしの願い事で、叶えるためにやってきたのだと言うなら、叶えた後できっとこの小さいおじさんは見えなくなるはず。

四十にして惑わず。

小さいことに惑わされる年頃はもう過ぎたのだから。

「なんかすっかり目が覚めたな。風呂でも入るか」

わたしが風呂から出てきた時にはもう、小さいおじさんはいなくなっていた。そして、テーブルの上にあったバースデーケーキも。キレイに食べ終わっていた。ただひと粒の苺を残して。


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