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私は私が私を思うより

私が考えるより、私はずっと醜い。私が信じるものよりも、私が疑うものの方がずっと正しい。この2つの文章を並列にすることはおかしいけど、突然、新宿御苑前の十字路で座り込んで出てきた言葉だった。

先ほど、数分前だろうか、私は人生をつまらなく完結させるであろう、ひとつの将来像と決別した。大層に言っているが、女友達と喧嘩したのだ。彼女と、この世界を笑い、嘲って死んでいくつもりだった。それがいつの間にか、「やっぱり幸せが欲しい」などと向こうが言い出して、いつの間にか、いつの間にか、私は彼女に泣きながら飛びかかって、死んでやる死んでやると言いながら。

すごい、首の体温ってこんなに高いんだ。
それが彼女を殺そうとした時の、1番最初に出てきた感想だった。

彼女も泣きながら私を突き飛ばし、呪ってやる、一生幸せになんかなれないお前は、自分の尺度でしか幸せを測れないお前になんか、いい未来はこないんだよ死ね!って言われた。
もうその時点で、私はラーメン屋の片付けをしているおっさんのほうに気を取られて、あぁラーメンもいいな、でもカロリー高いから明日は蕎麦だなとか。

私が考えるより、私はずっと醜い。
私の醜さを日々証明してくれる、男だったり女友達だったり同僚だったり上司だったりパパだったり。
むしろ、ありがたい存在かもしれない。私は感情的なやり取りをする時ほど理性的になり、理性で割り切るべき時ほど感情が表出する。
私が考えるより、私が信じるものより、私に対して必要だと思うもの全てより、
私を度外視した現象の方が、世の中には必要なのだ。

トボトボ歩いて、中央線快速に乗った。
帰りながら、会社の同期の男子に連絡をとった。男子は、待ってましたと言わんばかりに食いついてきて、私と電話した。
内容は仕事の話だった。何々営業所の、何々さんが左遷されて四国に行くらしいとか、四国なら坂本龍馬とか、坂本龍馬って大して何もしてなかったらしいよとか、ばーと喋って満足して私から電話を切った。

それだけだ。それだけの夜だ。
私が、結婚、とまではいかないけど、人生を一緒にダメにしようと誓い合った女。彼女は私から去っていく。
私が考えるより、私はずっと醜い。
醜い私が追い求め、信じている理想ほど壊れやすく、私が疑った彼女との破局の可能性ほど、やけに現実化しやすかったという4/26の夜のお話。

幸せになりたい。

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