【短編】父さん、プレゼント
12月が香る。冷気にも、灯りにも、冬服にも、12月から1月にかけての、あの香り。本当に素敵よ、父さん。
12月は血の臭いがする。大した傷もついていない死体から、サスペンスドラマの演出程度の血飛沫。気持ち悪い、俺の「父」とされた男。
謙介をぶたないで、そんなこと言うの、2か月で飽きた。蹴るのも、殴るのも酷いことだ。しかしそれは、実感を伴っていなかった。そういうルールらしいから。だから2か月、試しに言ってみた。返事は来なかった。
姉ちゃんをぶたないで欲しかった。姉さんの綺麗な顔が、細い体が、黒い髪が、汚れ乱れ折れ曲がって、やめてやめてやめてと言った。叫んだ。父さんは止まらなかった。やめてと言うほど、父さんは姉さんをぶった。
ぶって、ぶって、もっと蹴って、殴って。そう言ってみた。そう言った時、父さんは謙介を殴らなかった。ただゆっくり、私の方を見ていた。初めてだった。父さんはいつも顔を真っ赤にして、変に皺を寄せて、目を見開いて私たちを殴っていた。その時の父さんは、ただ青い顔で、目をぱちくり。
姉さんはもっと殴られるようになった。俺に見向きもしなくなった。冬用に買った服がすっかり破れて、姉さんの肌がところどころから見える。そのままベランダに出された姉さんは、ぼんやりと空を眺めている。
私は既に学校へ行けていなかった。黒板、というものがあったのを覚えている。あんなものを高いお金を払って購入する、学校側の頭の悪さ。私は、夜に顔を上げれば、大きな黒板が広がっているのを知っていた。
部屋は暗い。父さんは帰ってこない。こんな日が多くなった。父さんはこの部屋に帰ってくること自体を嫌がっているようだった。学校に行かせず、俺たちを、飽きもせず、殴っていた父親。今はゴーと音が鳴る部屋。空っぽの部屋。外にある室外機の上に、姉さんは座っていた。
私は星に興味を持った。興味を持ったと言っても、星座に詳しくなったわけではない。神話や歴史に興味はない。私は自ら星を見て、それらをつなげることに夢中になった。点があり、それをつなげば線がひける。当たり前のようだけど、これって素晴らしいことじゃないか。夢中で大きな黒板を見つめ、点と点を線でつないでいく。やがてそれは、私だけの物語になる。
おかしい、姉さんは絶対におかしかった。もう父さんはいない。この部屋で好きに過ごせる。一緒に力をあわせて、2人の生活を作っていく。そうするべきだ。何度も声をかけた。
姉さん、部屋に入りなよ。
姉さん、風邪ひくってば。
姉さん、聞いてる、死んじゃうよ。
姉さん、お願い、聞いて、話、聞いて。
姉さん、お願い、頼むって。
おい、なぁ。
姉さんは、空を見るのをやめない。
謙介が寝てから、私は1度、部屋に戻った。元々父さんが使っていた部屋へ向かう。父さんはいなくなった。しばらく帰ってこない、とかじゃない。消えてしまった。そ
それなら彼の部屋も好きに使おう。彼の私物も貰おう。父さんは読書家だったらしい。大きな本棚があり、その中からいくつか本を手に取った。
それをベランダに持ち出した。
忌々しかった。本なんて読んでいる。
違う、なんで分かってくれないんだ。なんで話を聞いてくれない。
せっかく父さんはいなくなったのに。
父さんが俺たちを殴るようになったのはここ数年。その前は仕事から帰るなり、すぐ自室で読書。
読書の時間と、俺たちを殴る時間。綺麗に置き換わっていた。
殴られる時間も嫌だった。だが本ばかり読む父さんのことも嫌いだった。
本を見ると、父さんを思い出す。1度も俺たちと向き合ったことのない父さんを。
素晴らしい。本って素晴らしい。私はもう空を見なくなっていた。
空に広がる星と、それをつなげる線、そして、そこから広がる私の想像。
本は、その想像をぐんと奥深くしてくれた。言葉が浮かんでは積もり、弾け、私の中に星空を形成していく。
謙介のこと等、偶にしか思い出さなくなってきた。稀に窓に何かぶつかる音が聞こえる。謙介が何かを投げて、ぶつけているのだ。
謙介が寝静まった後、私は星空を眺め、星をつなげて、物を投げる少年の姿を描く。
もう部屋に戻る気がしなかった。
仕方がない、仕方がない。
姉さんはおかしくなってしまった。
あの男は、本を読んで、俺たちを殴った。
父さん、とされる、あの男。
姉さんをおかしくしたのは、あの男だ。
アスファルトは冷たい。サンダルで歩くには、あまりにも。
冬になってから1度も外に出ていないと、
ハウスダストのような雪を見て思い出す。
部屋の端から見つけ出した白い鞄に、思いつくだけのものを詰めた。
仕方がない。他にどうしようもない。
俺にできること、これしかない。
寒さのあまり、足は指先まで真っ赤だ。
仕方がない。
私が殴られたのは何故か。今になっては分からない。
でも、彼が私たちの「父さん」であったこと。
それが悲しいことだと、今では思う。
でも彼が「父さん」じゃなかったら、
私はとっくに飽きていた、すべてに。
仕方がない。殴りたくもなる。
いっそのこと私をぱっくり切り裂いて、中をまじまじと見てくれたらよかったのにと思う。
暗い部屋の中、血は黒い。空に貼り付けられた黒板と同じ。
これは美樹と謙介の話です。どちらも、僕の友達です。
美樹はこれを「プレゼントをもらった話」だと言います。
謙介はこれを「プレゼントを贈ろうとした話」だと言っていました。
僕は情けない顔をしていたと思います。
どうか元気で、とか頓珍漢なことを彼女らに言った。
ずっと忘れられない12月25日です。
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