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嘘・解釈・ストーリー 

1.はじめに

(1)嘘


本noteは嘘を語る事を推奨するものではない。特に資格や学歴等で嘘をつくことは言語道断だ。ただ一つ考えて欲しいのは、嘘とは一体なんなんだろうか?

世の辞書やネットで「嘘」について調べると、つまるところ本当ではないことを嘘というらしい。

冒頭の例で言えばTOEICの試験を受けた時に実際は300点だったのに700点と申告することは明確に嘘と言えるだろう。また僅差とはいえ、690点のものを700点と申告することも嘘だろう。点数にどれだけ差があろうとなかろうと、事実として数値が出たものについて違う数値を申告することは明確に嘘であり詐欺行為である。

世の中には嘘ではあるが嘘ではないものがある。

例えばあなたがたまたま風邪を言い訳にバイトをサボったとしよう。あなたはとても演技力が高く、電話ではとても上手く咳き込む真似をして、店長はそれを信じた。そして、次の出勤日に風邪が治ったことを報告する。

この一連の流れで、「風邪をひいた」という事象は、文章を読んでいる「あなた」の視点では「嘘」である。しかし、「店長」の視点に立てば「嘘」ではない。なぜなら「嘘」である事を認識していないからである。

TOEICの例は嘘として確定しているが、風邪の例はあなたが記憶の彼方に忘れさればもはや嘘ではない。なぜなら検証をする事が不可能だからである。



一連の文章を見て馬鹿らしいと思った人は多くいるだろう。実際自分でも馬鹿らしいと思っている。

しかし、社会では嘘は嘘として認識されない事象は往々にして存在する。

例えばフェイクニュースは一瞬で広がるが、それを訂正する記事は中々広がらない。次第にフェイクニュースは事実として定着し、「それ」を信じる人にとっては「嘘」ではなくなる。

(2)解釈とストーリーについて

「解釈」について、皆さんが興味のある就職活動を例に挙げながら考えてみよう。

就職活動では学生時代に力を入れたことについて質問がされる。

例えばある学生は部活でキャプテンを務めて何をしたとか、そういったことを説明する。

さて、彼がキャプテンを務める部は全国大会で準優勝という好成績を納めた。

ここに事実として「全国大会で準優勝した」という事柄が存在することを覚えておこう。

次に、彼は語りたがらないが、実際には副キャプテンが練習メニューの管理やコートの確保、外部コーチとの打ち合わせを主にしていて、さらに優勝に繋がった試合も副キャプテンのプレイングがとても上手かったからである。

上記は今この文章を見ているあなたしか知らない事実として定義する。実際の面接ではキャプテンは事細かに副キャプテンのことは語らないか、もしくは自分もそれ以上の働きをしたと語るだろう。

例えば自分が副キャプテンに対してこのようにアドバイスをしたとか、練習メニューも交代で考えたとか、「新規施策で〜をした」とか。

この場合、面接官にとっては「準優勝」とキャプテンの動きだけを事実として聞かざるを得ない。

そして、重要なのは、キャプテンの動きを完全な嘘とは誰も言い切れないということだ。解釈の仕方によっては、普段の何らかの発言が副キャプテンの考えに影響を及ぼした「かもしれない」し、キャプテンがキャプテンとして成した何らかの行動があったからこそ、副キャプテンは余裕を持ってチームのマネジメントをできた「かもしれない」のだ。

いずれも検証不可能である。

検証不可能であるからこそ、もはやキャプテンが何をしたかは彼の解釈次第であり、彼が語るストーリーの信憑性で面接官は判断を決めざるを得ない。

世間一般的に見て、これを嘘と言い切るのは無理があるだろう。

このnoteで説明する「解釈」と「ストーリー」は上記のように決して法律には抵触せず、また検証の可能性も極めて低いものとして定義する。

解釈が点であれば、ストーリーは点を繋げた線と言えるだろう。

さて、なぜここまで上記のような例に文字を割いて説明したかというと保身のためである。
これから説明する方法はただただグロテスクな方法で、なおかつ法律上も問題は無いが倫理的に精神的に決して好ましいとは言えないような内容だからである。

本来ただ就職活動をそれなりに終わらせたいだけであれば、このような方法に頼らなくてもきっと上手くいく。断言する。

しかし、普通の方法では満足ができないから、あなたはここまで文章を読み進めているのであろう。

解釈やストーリーを駆使することのメリットは、自分の実際の実力以上の信頼を得られるということである。

つまり、グルーミーで無気力な学生であったとしてもストーリーを駆使して陽気で万能な学生を演じ切れば、陽気で万能な学生が得られるであろう待遇を享受する。

解釈やストーリーのデメリットは、食い違いが生じ、それが決定的になった時に、駆使して得たもの以上の信用を失うということだ。

例えば陽気である雰囲気を出していたのに、いざ呑み会に誘っても全く来ない、仕事でもボソボソ喋るとなると、なんだあいつは面接で聞いていたのと全く違うじゃないかという評判になる。

しかし、持たざる者からすればだから何だという話だろう。TOEICなど数値化されたものに関する決定的な嘘でもない限り、陽気ではなかったから雇い止めにするという事は極めて現実的ではない。そして、そもそも素の性格を出していたらあなたは一流企業には雇われていなかったかもしれないのだから、周りからの暗いと思われるくらいでは済まずに、一流企業で得られる社会的ステータスや金銭も得られなかったかもしれない。

また、元からの性格や立ち回りが良くない人でも、話したとおりに行動できるように努力すればやがて自分で解釈したとおりの人間になるかもしれない。

ここで言いたいことは解釈やストーリーを使わない選択肢をするよりも、使う選択肢を選んだ方が遥かに得られるものが大きいということだ。

それではより具体的な説明を次の章からはじめる。

2.なぜ見破られるのか

(1)凡人が見破られるのは当たり前


Twitterだけではなく、リアルの世界でも人事担当者はよく「盛ったところで分かる」と話している。

社会人になってから腹落ちしたが、この発言に全く異存はない。

何故なら大抵の人はそもそも解釈を使いこなせず、どう考えても飛躍した話を述べるか、もしくは雰囲気が話と明らかにマッチしていないからだ。

おそらく自分で自分が話していることに自信が無いのだろう。少し突くとすぐボロが出たり、顔が笑っていたり、話上手であるけど「なんか違う」という感触を持ってしまう。

特に「なんか違う」という感想はかなり厄介だ。
表現は難しいが、例えば「バイトで活躍された話をされても、そもそもうちの社風的に大学4年間ずっと清掃のバイトをしてた人はいないんだよね笑。うちの同期だとスタバとディズニーのバイトを頑張った人とかいたけど、君的にそういうのは大丈夫そう?笑」みたいな。

これは清掃というバイト自体がダメなのではない。語るあなたがダメなのである。

清掃に関するエピソードを強面のヤンキー上がりが、真剣に話したとしよう。こうなると面接官の評価はまた違ったものになる。

「自分の住んでいる地域って凄くトイレの使い方が良くなくて、だからこそトイレを本気で綺麗にしたいと思ったんですよね。」

典型的な「何を語るかより、誰が語るか」問題である。

しかし、「誰が語るか」という点についてはある方法でハックすることが可能だ。その方法こそがこのnoteの真髄ともいえる。

(2)セルフイメージについて


セルフイメージとは要するに自分が自分に対して抱いている評価である。このセルフイメージを正しく持つことが解釈を自在に操ることに繋がり、就活無双に繋がる。

こう書くと自己分析をすればいいんだろと思う読者もいるだろう。

しかし、大抵の人が行う自己分析は甘ったれたセルフプレジャーであり、だいたい認知が歪んでいるか、そもそも自分に対して関心がないのに無理に解釈しようとしてぼやけたイメージをあたかも本物かのように捉えているかのどれかに当てはまる。

本当に確固たるセルフイメージを持つという事は、つまり自分の汚い側面に向き合うということだ。

ほとんどの人は必ず生きる過程で誰かを蹴落としているし、汚い妄想を抱いているし、人には言えない側面や行いを一つや二つはしている。

Twitterではイケメンや美女のアイコンを使おうとも、真実は醜い肉の体を持っている。いつか老いて必ず死ぬ。

そうした事を客観視しなければいけない。

かといって悲劇のヒロイン気取りも良くない。汚い側面ばかり見ていて逆にそれが気持ち良くなる事は悪影響を与える。

事実として、どの程度自分には実力があるか、どの程度人から好かれているかも客観視する。

事実を事実として認識できて、はじめて解釈を操ることができる。

逆にセルフイメージが曖昧な人が使う解釈は相手に対しても曖昧なイメージを持たせて、結果的に信じ込ませることはできやしない。

(3)狂気について


さてセルフイメージをしっかり確立させたのならば、次は狂気について説明しよう。

無いものをあるように信じさせる事ができる人々は皆、狂気を自在に操ることができる。

例えば宗教団体の教祖はどうだろう。彼らは巧みに言葉を操り、高額な献金を得ることに度々成功している。そんなことを普通の精神構造を持った人間が成し遂げられるのだろうか?

あるいは小説家も狂気を持っているだろう。普通の人間は頭の中に自分の世界を作らない。そして、もし作れたとしても、その世界は非常に曖昧で人に伝えたところでうまく言葉にまとまらないことがほとんどだ。極めて分かりやすく魅力的に自分の世界を伝えることができる小説家はおよそ人間の範疇に止まらない精神構造を持っていると言わざるを得ない。

しかし、狂気は取り扱いが非常に難しい。頭が良い人間だったとしても狂気に取り憑かれて財を失うこともある。親しみやすかった人が狂気のあまり殺人を犯すことだってある。

正しいセルフイメージを持って狂気をコントロールする。これこそが自分の語る世界をコントロールして、相手に信じ込ませ、なおかつデメリットを受けにくくする秘訣である。

3.良きストーリーテラーになるための実践

(1)知識習得

①物語を摂取する


良き物語を語るためには、まず自分の中の世界観を広げる必要がある。

世界観を広げるための簡単な方法は物語を摂取して、自分の常識を拡張していくことだ。

これは漫画でもいいしドラマでいいし映画でもいい。ただ時間効率的には漫画が一番早いと思う。ネカフェに篭れば漫画なんていくらでも置いてあるだろう。

一つ気をつけて欲しいのは好きなものばかり見ていてはいつまでも同じ場所に留まり続けているのと同じということだ。

例えばアクション映画が好きなら静かな日常を題材にした映画を見た方がいい。恋愛漫画が好きな人は思いっきり悪趣味なギャンブル漫画を見た方がいい。自分の中の常識を壊すのだ。

②現実世界を摂取する


物語だけを楽しんでいては単なるメルヘンな人で終わってしまう。次に現実世界の新聞記事、官公庁が出しているニュース、インスタグラムやtiktokに出てくる刺激的な動画や風景、ありとあらゆる現実に関するものを頭の中に入れていく。

決して深く理解しようとしなくていい。最初はとりあえず数を稼いで見まくる。見ると嫌でも体系だった自分の中の世界観や、一つの物事だけ追いかけていたのでは決して知り得ないものが頭の中に蓄積されていく。


(2)あなたは俳優になる


①髪について


これからあなたが相手に見せようとしている自分は、今までの自分とは全く違う自分である。

当たり前の話ではあるが、解釈を操るためには視覚からもアプローチを行う必要がある。

例えば髪について1000円カットで済ませている人なら美容院に行く必要がある。

社会人として長髪はふさわしく無いと良く言われるが、逆に短髪すぎたり、また適当に切ってしまうとうまく髪がまとまらない。例え髪が長くてもセットしてしまえばいい。セットをする為の髪型を作る為に美容室に行く必要がある。

そして、ヘアアイロンを使って髪で遊んでみる。ダメージなんて気にしなくていい。髪で遊んで、自分にしっくりくる髪型を探そう。

②顔について

この項目に関して女性は特に読む必要は無いと思うが、男性でメイクをしたことが無い人は読まなければいけない。

例えオンラインであっても、目の見せ方や顔の明るさを調節するためにもメイクは必要不可欠だ。

また、普段から自分の顔がどのような動きをしているのか動画に撮ったり、鏡でよく研究する必要がある。

狼狽えた時に顔がひくつかないか、自信が無い時に目が下を向かないか、自分の顔のありとあらゆる癖を正確に把握し、できればコントロールをする必要がある。

狼狽えた時にこそあえてニヤッとしたり、自信がない時こそ相手のことをじっと見つめられるように訓練を行う。そうすると、意表を突かられるのは相手の方になる。

③舞台について

もし相手に自分が言うことを本気で信じ込ませたいのであれば環境を整える必要がある。

例えば顔がはっきりと見えない暗い環境は論外だ。光を浴びせて自分の顔をしっかりと見えるようにする。

またオンラインの背景も極力使わない方がいい。背景が微妙に自分と融合したり、自分の一部が消えている時に、見る側は無意識に不快感を覚える。そうは思わないと反論する人はいるかもしれないが、人間というのは本質的に見えているものが理解できないと無意識に不快感を覚えるのだ。

例えばあなたの目の前に扇風機があって風がながれてくる。しかし扇風機の音は聞こえない。こんな環境だとなんだか無性に恐ろしくはなってこないだろうか。

認知の話をしているため、無理に理解をしようとしなくてもいい。なんとなくそういうものなんだと考えていただければ幸いだ。


(3)物語を作る

①物語のルール

話すことを目的に物語を作る場合はルールを守らなければいけない。ルールから逸脱すればするほど相手にとって理解が難しくなり信憑性が低下する。

ルールについてはノックスの十戒、あるいはヴァン・ダインの二十則を参考にする。


一つ、キーパーソンは必ず冒頭に登場しなければいけない。
二つ、自分が理解できていない解決方法を用いてはいけない。
三つ、物語に関係のない描写を喋ってはいけない。
四つ、偶然や勘によって解決してはいけない。
五つ、動機は個人的なものが望ましい。社会課題について語るほど胡散臭さが増す。
六つ、何が事実で何が解釈か見失う物語を作ってはいけない。
七つ、全ての言葉に戦略的な意味を持たせる

②検証に耐えうるものを作る


作った物語はなるべく多くの観客に見てもらう必要がある。

それも実際に話す段階と文章の段階両方で検証を行う。

とにかく数が稼いで色々な人に見てもらったら後はフィードバックから自分がしっくりくるものを取り入れ、逆にしっくりこないものはよほどの価値を感じない限り捨てる。

気をつけなければいけないのは一人に見せて満足してしまうことだ。

もちろん万人に受けるものを作る必要はないし、むしろ尖らせた方が都合がいい時もある。しかし、就職活動として使う分にはESを見る人から数人の面接官を経て内定という形になり、最大公約数的な正しさは必要となる。


③自由な解釈を取り入れる


例えば筋肉をつける事を目的とした時に筋トレをした方がいいという事は当たり前である。

じゃあ筋トレをするために必要なものといえばジムだったりダンベルだったり、物や施設が必要となるだろう。

では逆にジムやダンベルがあれば筋トレはできるだろうか?

筋トレをするためのモチベーションや、経済的時間的余裕、食生活が必要となり、モチベーションは大会で優勝するため、彼女を作るためといったよくあるものから、自分で自分を好きになるため、仲間内でのコミュニケーションツール、あるいは肉体美に見惚れるため等、解釈の幅はいくらでも広げられる。

面接ではついつい社会的に受け入れられやすい言葉を喋りがちであるが、あえて普通は言わないであろう「ハズシ」を入れながら社会から逸脱しない回答をして相手の興味を惹かせるというテクニックを使うことができる。

(4)狂気を操る


もしここまで書いたことを本当に実践できているのであればここから書くことはあまりにも容易く、拍子抜けするだろう。

最後に必要なのは、物語と自分を同一化させる事である。常に頭の中で物語を動かし続ける、妄想し続ける、言葉にして喋り続ける。

面接官でもOB訪問でも、なんなら友達や家族でもいいから物語を喋り続ける。

これは自分がやった事だと思い続ける。

さて、自分の頭に物語が馴染んできたら頃合いを見て、これは事実ではないと強く実感させる。事実ではないが、あなたは雄弁に喋ることができるのだ。

これを二重思考という。

二重思考とは、「1984」という小説に出てくる用語の一つである。

小説にはこのような言葉が出てくる。

「戦争は平和なり、無知は力なり」

小説に出てくる人物の中でも高位に出てくる人物はこの解釈を操ることができる。
戦争は平和だと認識すると同時に、戦争は戦争と認識することができる。

自分で語る物語を真実だと思っていない人間が語る言葉を誰が信じるだろうか。
物語を本当だと思い込んで、しかもあらゆる方向から検証された物語を喋る人間について、それが虚実だと見抜く事ができる強者はそういない。

逆に本当だと思い込んでいなかったり、都合が良い方向にしか検証されていない場合は狂気が足りないからバレやすい。

さてここまで何を言っているかよく分からない人のために簡単な実験を用意した。

「1+1=3」について常日頃考えてみてほしい。正しい答え等存在せず、ただひたすら「1+1=3」について考えるのだ。

いつしか、1と1を足して3になってもいいのではないかと思う瞬間が訪れる。そしてそれを友達に喋ってみたら面白がられるか、しらけるか、いずれにせよ人に喋れば喋るほど相手が解釈を楽しむことができる人間かによって反応がわかれるだろう。

そして、1+1=3について勝手に論理的な説明で正当化するような人が現れる。

これがペテンでありストーリーであり、解釈の恐ろしさだ。


4.答え合わせ


さてここまで書いた事が実際に行われている場所がある。

それはTwitterであり、noteであり、tipsである。

もしもこのnoteについて理解したのなら、容易に分かるだろう、

5.おわりに


本noteは学生時代の頃から構想自体はあった。しかし、社会を経験するまで本当にそうなのか検証する必要があった。

このnoteが世に出ているという事はつまり、社会はストーリーによって支配されているという事の答え合わせが完了したということだ。

ストーリーを操れば就職活動で大手に受かる事はそう難しくないだろう。

実際にここに書いている内容を見て何も思わない人も、信じない人も相当数いるだろう。読んで理解したフリをして翌日に忘れている人もいるだろう。

しかし、本当に実践できたのであれば、ストーリーに流されやすいマジョリティ達が集まる大企業には入れない訳がない。

だが、もしかしたら中小企業だったり、はたまた外資系投資銀行だったり、人間を見ることに長けている賢く逞しい人によって見破られるかもしれない。

そうなった時にその人達の恨むのではなく、むしろその慧眼を称えて欲しい。彼らがいなければきっとこの社会は回っていないのだから。

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