見出し画像

「可哀想だから付き合う」は正しいのか

中学生の頃、近所の夏祭りで告白された。

明確に言えば、告白されかけた。

相手は同い年で小学生の頃からよく一緒に遊んでいた人。

何となく好意には気がついていたが、自分は友達以上には見れないため知らないフリをしていた。

そんな中呼び出されて告白されそうになり、居たたまれずそれを遮って振ってしまった。

次の日からその人は筆者を避けるようになった。

あたりまえだ、気まずいに決まっている。

しかしそんな当たり前の変化以外にも、意外な変化があった。

それは周りからの視線だ。

どうやら相手は筆者のことが好きなことや、その日告白することを周りに言っていたらしい。

勿論そこまで話したのだから皆結果が気になるはずだ。

聞いたのか相手が自発的に言ったのかがわからないが、筆者が降ったと言うことも知れ渡っていた。

筆者が向けられた言葉はこうだ。

「振ったの?可哀想」

「なんでふったの?付き合ってあげなよ」

筆者はこれらの言葉をずっと引き摺っている。

よふかしのうたの主人公、夜守コウが学校へ行かなくなったきっかけもこんなだったため、最近あの漫画を読んだ際に少し感情移入した。

閑話休題。話を戻すが、外野からそんなことを言われた時「可哀想だから付き合う?そんなの振るよりも何倍も失礼なんじゃないか」と心の中で思った。

そもそも自由恋愛が可能な現代において、筆者の意志と関係なくお情けで付き合わなきゃいけないなんてごめんだ。

ただし学校という狭い社会では、可哀想だから付き合えという意見が多数派であった。

自分が間違っているのか、でも可哀想だからなんて理由で付き合うなんて到底できない。あれからそんな事をぐるぐると、ずっと考えるようになってしまったのだ。

あの告白から10年は経った。あの頃のエンタメなんて他人の恋愛話しか無かったため、面白がって言った野次だとはわかっている。

自分的にも付き合わなくて正解だったとは思うが、もしも筆者が「可哀想だから付き合う」という選択をしていたらどうなっていたのだろうか。

こちらも気まずいためもう合わないが、少しそんなもしもの話を件の相手にしてみたかった。


ちなみに先日筆者の従兄弟が相手と会ったようで、その件についても少し話したようだ。

相手は10年経ってなお筆者に未練が会ったようで、従兄弟が筆者に交際者がいることを伝えると「やっと解放される、でもしばらく恋人はいらない」と言ったようだ。

筆者にはなぜここまで想われるのかはわからないが、もしかしたら告白を遮ってしまったことが原因なのかもしれない。

さらに筆者には中学後半〜大学までも今の交際者とは別に交際していた人はいたので、相手の青春時代を無駄にさせない為にもそれをもっと早くそれを伝えるべきだったと反省した。

話が逸れたが、皆さんは好きな人から可哀想だからという理由で付き合われたらどう感じるだろうか。

嬉しい、複雑、最悪…色々な感情があると思うが、もしよろしければ教えて貰いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?