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写真は自己認知からはじまるのかもしれない

こんばんは。
神戸でフォトグラファー兼学生をしているGo Mitarai @otearai0312 です。

去年の末にX100Vを手に入れてからは毎日のように持ち歩いて写真を撮っていたのですが、実は今年に入ってから写真を撮る気が全く起こらなかったり写真を撮ることが苦しいと思う日が続いていました。
4年半前に写真を初めてからは一度たりとも写真から離れたことはなく、こんなにも熱中できるものに出会えたのは初めてだったので、余計に撮る気が起こらない自分に不安と焦りを感じていました。
原因はなんとなく分かっていて、それは自分の撮り続けている神戸の街を撮り尽くしたなあという感覚でした。

緊急事態宣言や自分のやるべきことの影響もありここ1ヶ月弱は家に引きこもっていたのですが、そんな中絶賛流行中のClubhouseでフォトグラファーの大先輩であるYujiさん @yuji87 にポロッと相談してみました。

私「ここ最近撮る気になれなくて。正直神戸を撮り尽くしたなあと思ってます。」
Yujiさん「何をもって撮り尽くしたと思うの?」
私「うーん、だいたいの場所に行って撮ったからですかね...」
Yujiさん「それだけで撮り尽くしたって言えるのかな?」

この後の会話は正確には覚えていませんが、自分の発する言葉にあまりしっくりこないというかそういう言い訳をしている自分が嫌だなあと思っていたのは確かでした。
Yujiさんは毎週のように大阪の街を撮り歩いているので、そういう方の背中を見ているとなおさら自分の不甲斐なさを感じていました。

考え抜いた末に思考が固まったらシャワーを浴びて寝るというのが自分なりの最適解なのでこの日は一旦寝ることにしました笑


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翌朝かなりリフレッシュした状態で昨日のことを考えてみました。
なぜYujiさんは毎週のように同じ街を撮り歩けるのだろう?何が突き動かしてるんだろう?
そんなことを考えているうちに、それを自分に当てはめて考えればいいことに気づきました。

困った時は目的(=Why)に立ち返るというのは基本中の基本ですが、こういう悩みにハマっている時ほど視野が狭くなっていて忘れてしまいますね...。

「なぜ自分は写真を撮りたいんだろう?」

写真を通したコミュニケーションのため?
決定的瞬間を残したいから?
SNSでいいねが欲しいから?
思い出を形にしたいから?
カメラというガジェットに魅力を感じるから?

それらは写真の楽しさを構成する要素ではあるかもしれませんがどれも自分にとっての本質ではありませんでした。
ではなぜ撮るのか?それは、

「カメラを持って撮り歩いている時の街を泳いでいるような感覚が好きだから」

というのがいちばんしっくりくる自分なりの答えになりました。つまり写真いうアウトプットやカメラという道具などよりも、撮影している際の自分の状態が気持ちいいというのが一番自分にとって大切なことでした。どこかマインドフルネスや禅に通じるような無心になれる感覚があるんですよね。
だから撮り尽くしたとかは本来問題に思う必要はなくて、いつしか自分の写真を見てもらうことや仕事に繋げることが目的にすり替わりつつあったからそういう邪念が生まれていたということを認識できました。

そういうわけで悩んでいたことが本来悩む必要がなかったと気づいてからは、すごくピュアな気持ちで写真に取り組めるようになりました。取り組むというよりかは、生活の中に写真があって撮ること自体が日常になっているという方が正しいかもしれません。
また、神戸の街に対する向き合い方も変わってきて、当初はほとんどの場所へ行って撮り尽くしたと思っていましたが、最近は季節や時間帯などによって街の魅せる表情も変わっていくことに気づき、まだまだ撮り尽くしたなんて言えるわけがないなと前向きに思うようになりました。


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今回は自分の心境の変化を書いてみましたが、まとめると自分なりの目的が明確になれば悩む必要のないことに悩まないで済んだり、取り組むべきことがクリアになるということがここ最近の気づきということです(こうやって言うとすごく当たり前ですが...笑。実感値を持って気づけたのは率直に大事なことだと思います)。
同じように不必要に写真で悩んでいる方や立ち止まっている方にとって、私の経験が少しでも糧というか踏み台になればという思いでnoteを書いてみました。

では、皆さんもよき写真ライフを!


Twitter:@otearai0312
Instagram:@go_mitarai

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