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情報を疑うこと

毎日生活していると、日々膨大な量の情報が頭にインプットされます。目で見る情報(視界に飛び込んでくる情報)、文字で読む情報、耳に入る情報(聞こえてくる情報)、話を聞く情報など、私たちが無意識だとしても、インプットされていない時間はないぐらい、常に情報に晒されています。

これだけの情報が溢れていますが、この情報のほとんどが人から発信されたものです。ネットの情報や記事、写真や動画、目にする雑誌のコピー、ペットボトルのラベル、流行りのスイーツも、人から発信される以上は発信者の意思が乗っかります。
買ってほしいとか、目立ちたい、トレンドを作りたい、流行を捉えてイケてると思われたい。など各々の無意識での意思が乗って情報は流れてきます。

その流れてきた情報も色んな人を介して伝わってくるので、さらにその色んな人の無意識での意思が乗って情報のニュアンスが変わることもあります。
なので私たち自身にインプットされる情報は、その時点で色んな人の意思が乗っていると言えると思います。
その情報は、客観性のある正確な事実というよりも、偏りがあることを知ってインプットしておくことが大切だと思っています。

流れてきた情報を疑い、発信元の意思を汲んで、自分なりに情報を咀嚼し、十分理解した上で自分にインプットすることが習慣になった結果、以前より俯瞰できるようになり、物事を大局的に感じれるようになったと思います。

そしてもう一つ、流れてくる情報を意識的に疑うことをしていて、自分だったらどういう意思が乗っかるか? などを考えながら、自分なりに咀嚼することで、以前よりも強くインプットされているような気がします。
日々膨大な量の情報を受けても、ほとんどが記憶に残らず、流れていってたのですが、意識的に疑うことで特定の情報に引っかかりを感じたら、それを咀嚼してみることで印象に残り、より強くインプットされている感覚です。

そのあとは、咀嚼した情報を自分なりに加工してアウトプットする。
自分自身の整理にもなり、結果的に自分の目的地にも早く到達できるんだろうと密かに目論んでいます。

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