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【論文紹介】選択的夫婦別姓反対論にみる性差別/ミソジニー:制度導入“不要”論に着目して(著:鈴木彩加)

今日は気になった論文を紹介します。

牟田和恵 編 フェミニズム・ジェンダー研究の挑戦:オルタナティブな社会の構想より第 2 章。
下記から全文PDFにアクセスできます。

著者は筑波大学人文社会系の鈴木彩加准教授でした。

はじめに

 日本における夫婦同氏制度は、ジェンダー平等の観点から是正するように、2000年以降4度にわたり国連女性差別撤回委員会から求められている。1990年代以降、選択的夫婦別性制度の導入が検討されており、ここ数年においては制度導入を求める市民運動や世論は年々高まっている。一方で、司法や行政、また政治家たちの動きは制度の導入の検討を後退させる要因にもなっている。
 1990年代以降に導入が検討されていたのは「選択的」夫婦別性であり、夫婦別性を希望しない者は同姓を選ぶことが出来るにもかかわらず、そもそもなぜ反対論が存在するのか。朝日新聞社が公開する「夫婦別性ウェブアンケート」という二次データを用いて、反対派の論理を明らかにする。

1. 誰が・なぜ反対しているのか

1.1 制度導入に対する態度と地域性

 1990年代の調査では、都市の規模が大きくなるほど選択的夫婦別性への賛成割合が高くなる傾向が見られる。また夫婦別性に対する態度とはやや異なるが、妻氏を選ぶ割合は東北で高く、西日本では低い傾向があった。特に女性が自立している地域、LGBTや多様性への理解がある地域は賛成が多く、反対派が多かった地域では40~50代の男性中心の考え方が根強いと考えられた。
 ただし、地域差はあれど、地域性が個人の態度形成を十分に説明することは出来ない

1.2 制度導入に対する態度とイデオロギー

 先行研究において、選択的夫婦別性反対派は「伝統的な家族の価値」を軸とした主張を展開している。具体的には、下記。

「家族の一体感がなくなる」「日本の良き伝統が崩れる」「女性の社会進出が家族崩壊の原因であり、別姓の容認はさらに拍車を掛けることになる」「国家解体運動の一環」「子供がかわいそう」「別姓を認めれば、同性婚も認めるようになる、気持ち悪い」といった右派や保守派の意見で、ほとんどパターン化している

北原零未,2016,「夫婦別姓は何故『嫌われる』のか?」

 各種新聞記事において、1996年頃から反対の記事や「『伝統的』な家族の価値」といった記述が目立つようになっている。ただし、「選択的」であるのになぜ反対するのかといった疑問に対しては、「女性を自己決定の主体として認めない徹底した女性差別の視点」という仮説があるものの、反対派の論理の中でどのように女性の自己決定権が無効化されるのか、明らかにされていない。

2. データの概要

2.1 「夫婦別性ウェブアンケート」

 朝日新聞DIGITALの「フォーラム」ページにて、「夫婦の姓、どう考えますか?」というテーマで 2020 年 12 月 24 日から 2021 年 1 月 7 日 19 時まで意見が募集されていたものである。意見募集中に「第5次男女共同参画基本計画」が閣議決定されたことや、大規模なネット右翼アカウントによって協力が呼びかけられたこともあり、本フォーラムにおける平常時のウェブアンケートの約10倍の1万9000件余りの意見が集まった。本分析ではこの意見をテキスト分析する。

2.2 データの傾向と特徴

 アンケート全体の概観を行う。居住地は大都市圏居住者が多く、性別は女性が60%近くなっている。選択的夫婦別性への賛成と反対は、いずれも50%近かったがやや反対派の方が過半数を越し多数派であった。直近の世論と比較すると、インターネットによるアンケートでは反対と回答する割合が高いと考えられる。

3. 選択的夫婦別性”不要”論

3.1 ”必要ない”という言説

 特徴語抽出の結果、反対派の特徴語の中で「戸籍」に関連して「必要」という単語が上位に出た。「必要」を更に関連語で分析した結果、「必要ない」という文脈で使われていることが分かった。実際のデータを見ると、選択的夫婦別性は①国、②法/社会、③個人という3つのレベルで「必要ではない」とする不要論が展開されていることが分かった。

3.2 日本にとっての不要論

 選択的夫婦背別性は「日本にとって必要ない」とする立場である。日本の伝統などと絡めて、他国と比較した際の日本の独自性が重視されているようである。また、中国や韓国への嫌悪感だけでなく両国を女性蔑視の国とする排外主義的言説も見られた。

3.3 法/社会にとっての不要論

 選択的夫婦背別性は「法/社会にとって必要ない」とする立場である。この立場においては2つの論理が展開されている。
 1つ目は、自分の周囲には望んでいる人がいないこと。そして、夫婦同姓を望む人を「普通」、夫婦別性を望む人は少数派で「普通」の人ではないとラベリングしている。そういった少数派のために「わざわざ」法制度を変更することへ疑問が呈される。
 2つ目は、新たな制度を導入せずとも現行制度や慣習(事実婚や旧姓使用等)で対応可能とするものである。苗字を変えたくないなら子供を産まなければ良いという言説も含めて、個人が現行制度に生き方を合わせるべきだという主張がみられた。

3.4 個人にとっての不要論

 選択的夫婦別姓が「必要ない」ことを個人レベルで論じる立場である。回答者個人の経験談や体験談が書かれている。女性の体験談としては、自分は困らなかった、幼少期から苗字を変える遊びをしていた等があった。男性の体験談としては、婿養子になったが困らなかった、周囲の他人が困っているように見えないという意見があった。

4. ジェンダー化されたニーズを否定する論理

4,1 不要論の特殊性

 3節の通り、不要論の中には自身の経験に基づく論理が多く、「異なる他者」の視点が欠けており、むしろ積極的に排除されている。現行制度に対する改善のニーズを退けるのは、どういうことだろうか。

4.2 性差別とミソジニー

 選択的夫婦別姓を希求することは、ジェンダー化されたニーズだといえるが、これを退ける論拠として、回答者の回答から現状維持の志向は読み取れるが、どのような国あるいは社会を望ましいのかを伺い知ることが出来ない。

 ここでは、アメリカのフェミニスト哲学者であるケイト・マンによる性差別主義とミソジニーの議論が有益である。マンによる性差別主義とミソジニーの定義に倣うと、選択的夫婦別姓“不要”論がもとづいているのは、性差別ではなくミソジニーである。

ミソジニーは、家父長制の遵守を監視しパトロールすることによって、その社会規範を下支えする。他方、性差別主義はそうした規範を正当化することに仕える

 選択的夫婦別姓“不要”論では、「選択的」であるか否かは重要ではない。夫婦同姓という家父長制度を揺るがそうとする「女性」たちのニーズは、「わざわざ」法律を変えてまで聴く「必要のない」ニーズだと考えているがゆえに、 「選択的」夫婦別姓に反対しているのである。

おわりに

 夫婦別姓と いうジェンダー化されたニーズはそもそも聞かれておらず、ニーズ自体が過小評価されていることが分かった。フェミニズム運動や研究において近年、女性の声が社会や政治において、なぜ・どのようにして「聴かれない」のかという国際的関心が高まっている。本稿では、分析ツールとしてのミソジニーの有効性と、言説レベルでのミソジニーの作用の一例を示した。

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