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サマリーに対する違和感を考える

言語を介して、つまりは書いたり、対話したりして頭の中に散らかっているものたちを写像してあげることで、自分の世界を構築していきたいと思っている今日この頃です。書くことにおいてはXやBlueskyに代表されるようなツールにメモのようなものを残し、自分と他者に共有しつつ、noteやブログで長めに書く、をしてみるのが一つの方法として有用でしょう。ここで、他者に共有する必要があるのかという問いに対しては、あると言いたい。わたしたちには自己表現が必要だと思っています。言葉という形に残し、自分の世界を表現することで、生きる活力になるのです。こうして少しでもエネルギーに変換してあげたほうが、孤独に考え続けるよりもずっと良い。もちろん、ネット上にシェアせずとも、自分を表現し合える友やパートナーがいればそれも素敵なことです。

導入はこの辺にして、ここからはずっと感じていた違和感とその正体をこの場を借りて考えたい。

今日、社会は、大衆は大きな勘違いをしている。それはあたかもマジョリティを正しいとする風潮であり、また、マイノリティ、多様性という言葉を使って要約し、平然と、大勢側の正を押し付けることだ。無数の見えない力が大きな権力となって、知らないうちに振りかざされている。大衆はそのような権力構造を知らず知らずのうちに肯定していることになる。

例えば、発達障害を考えてみる。この言葉がアメリカから日本に流入した時期は1970年ごろである。それまでは、「少し変わった子」「エネルギーが有り余る子」「1つの物事対して集中しすぎる子」などと捉えられていたようだ。しかし今では「発達障害」という病気を示唆する単語で分類されてしまったことにより、当人達は幼少期からそういったフィルターをかけられて周囲に見られるのである。小学生の頃の友人のひとりも、当時、周りと比べて確かにヤンチャであった。教師や親たちの間で「ADHD」という単語を使われ、子どもたちにそれが伝わることによって、ずっと色眼鏡で見られる少年時代を過ごしていた。近くで接していたからわかる。彼は日々成長していたのだ。自制する手段を身につけていたのだ。このようなバイアスを環境によって植え付けられていなければ、小学校6年生にもなる頃には、彼はただの「明るくて面白い子」として多くの人が認識していたはずだ。

ここで言いたいのは、一括りにマイノリティとして特定の言葉で表現し、捉えることの危険性である。例にも挙げた、発達生涯などという言葉で多くの個人たちを要約し、表現することは犯罪的だ。個々人によって症状や程度は全く違う。社会の主権側を握っているマジョリティ的考え方はこれを良かれと思ってやっているのだ。このようなことに対して、彼らは、これは多様性であり、必要な施しだ、と主張する。つまり、社会のメインはこちら側だ、私たちが正しい、ケアをしてあげている側だ、といっている。とんだ勘違い野郎だ。インターネット上の言論空間でも同じことが言えるのではないだろうか。ある事象が、社会的に正だとみるやいなや、詳細なリサーチもせず、ある側面からだけで物事を言う。その段階で、彼らの頭の中から、マイノリティなどどうでも良くなってしまっているように感じる。極端な話だと思う人が多いかもしれないが、これは現実で起こっている。同様に、個人を尊重せず、サマリーとして捉え、マジョリティが有利、マイノリティが不利と位置付けた構造が他にも多く見受けられるはずだ。

多様性を謳って、しかしそれをノイズとして排除するような秩序づけが確かに存在する。多様性を謳って、より一層個人を見ないというジレンマが。このような構造を一つ一つ分解し、見抜き、社会に対する解像度をあげていくことで、正しい、正しくないの二項対立ではなく、他者の特性や固有性、異質性と向き合い、尊重するという自然な態度が生まれるのだ。



あとがき

今回、昔から感じていた違和感の正体に気づけたのは、実体験を踏まえ、フーコーの社会や権力に対する、いわゆる「脱構築」の考え方を参考に照らし合わせることができたからです。また、大きく影響を与えられた書物に、千葉雅也先生の「現代思想入門」があります。
 極端だという批判や、それでは社会が無秩序になる、という意見があるかもしれませんが、私が言っているのは、そのような構造自体を全て悪とするのではありません。かといってマジョリティを正しいとするのではなく、ある枠組みがあるのは仕方のないことであるとある程度割り切り、サマリーに惑わされず、個人を尊重して、見てほしいということです。
 かく言う私も、多様な視点で考え、この論を述べるには全くもって浅すぎることは理解しています。ただ、完璧に全てを学び、理解し、検証して、考えを述べることは、生涯をかけても終わりないものだと思っています。したがって、こうして半端な状態であっても、恐れずに自分の考えを出していきたいのです。


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