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私は幕末から明治の時代が好きなのですが、
その理由のひとつに、
当時の優秀な人たちは、
自分たちの優秀さを自分たちのために使わずに、
日本人全体の知的水準を押し上げるために、
生活水準を押し上げるために、
諸外国からこの国を守るために、
公のために使った…という点があります。

西郷、大久保、木戸の幕末三傑は、
質素倹約な生活をしており、
最も長生きした大久保は
暗殺された時に資産がないどころか、
借金があったそうですし、
それに続く福沢諭吉、夏目漱石、森鴎外、中江兆民などは、
外国を見聞し、外国語をマスターし、
そのスキルを個人的な栄達の為に使えば、
相当の資産を築けたでしょうが、
彼らはむしろそれを戒め、
学問のススメに代表されるように、
国民に対して知識やノウハウを提供し、
学び、国家の発展に寄与するように諭し、教えた訳です。

もし彼らがスキルを自分の為にだけ使っていたら
我が国の発展は100年遅れたかもしれません。

彼らが国を救わねばならないという
使命感を果たしてくれたからこそ、
我々は坂の上の雲を見る事ができたのでしょう。

本来スキルというのは、
このような使い方をすべきなのだと思います。

つまり、できる人が
できない人に尽くすという事ですね。

例えば英語ができる人は
できない人のために翻訳し、通訳する。

医学を修めた方は
医学を知らない人の為に治療し正しい医学を広める。

テクノロジーに詳しい人は
疎い人の為に新製品を開発する。

まさに餅は餅屋であり、
様々な分野の餅屋が自分の得意領域で
世の為、人の為に貢献する事で国は発展し、
パイが広がり、
1人1人の取り分も増えるのですよね。

ところがいつからでしょうか?
自分のスキルを自分の為だけに使うようになったのは…。

自分のスキルを自己利益の増大の為だけに使うようになり、
圧倒的なスキルを持つ人だけが栄えて、
そうでない人は貧困に陥る。

いわゆる格差社会が広がったのは
ここに要因があるのではないでしょうか?

誰にだって得意なものはありますよね。

料理が得意とか、
人を笑わせるのが得意とか、
運転が得意とか、
文章を書くのが得意とか、
研究が得意とか、
物作りが得意とか、
音楽が得意とか、
お金儲けが得意とか、
事務が得意とか、
営業が得意とか、
人助けが好きとか、
困っている人を見ると
思わず手を差し伸べてしまうとか、
こうしたみんなの得意が回り回って、
みんなの発展に結び付くのですよね。

しかし得意を自分の為だけに使うようになると、
排他的になり、
功利主義が進み、
資源配分を少しでも有利にする事に
せっかくのスキルやパワーを使うようになり、
結果的に全体のパイは小さくなり、
1人1人の取り分は減る一方になりますね。

これが現代社会か…。

私たちの祖先が
明治期に行っていた事から考えると
恥ずかしくなりますね。

でもこれが現実…。

この現実の中で
自分に何ができるか?

自分という小さな存在、
大したスキルもなく、
1人では生きられない自分。

そんな私でもちょっとした得意なものがあり、
あまり他の人は好きではないけど
なぜか自分は好きなものがあり、
他の人は面倒くさがってやらないけど
なぜか自分は結構好きで続けられるものがあります。

せめてそういったもので、
人様のお役に立ち、
それを長く続ける事で、
社会の中の
小さな「正」のサイクルを回して行こう。

できる事を世の為、人の為に、
しっかり続けよう。

そんな事を考えたりしています。


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