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残りの30分

頭が真っ白になる。

ってこんな感じなんだな。

と、僕は頭で考えているから厳密には「真っ白」ではない。
「真っ白じゃないじゃん」とも考えているから、さらに「真っ白」からは遠ざかる。

なんて言ってる場合ではない。


一浪の末、二回目のセンター試験。

国語の試験の制限時間は80分で、机に置いた腕時計が無情にも知らせる残り時間は40分。

40分しかない、と言う考えはこの際捨てよう。
よくこの段階で気付いたと、自分を誉めよう。

偉いぞ、オレ。

そうそう、自分を誉めると言えば、英単語が致命的に覚えられない宮本君は、単語ひとつ覚えられる度に、自分へのご褒美で禁煙を一時間中断すると言っていた。

それだともう実質禁煙じゃないじゃんと言うと、暗い顔をした宮本君は「それがな、もう実質半日吸ってない」と言う。


駄目じゃん。自分を誉めても駄目じゃん。


繰り返す。

そんなことを考えてる場合じゃない。



僕ら浪人生の学年は、受験制度で言う「旧課程」というものの最後の年で、この試験会場にもいる制服を着た現役の高校生とは若干違う試験問題を解いている。

ただややこしいのは、問題用紙は浪人も現役も同じ一冊で、上半分が高校生が受ける「新課程」で半分から下が僕ら花の浪人生用の「旧課程」の問題。

しかも若干違うだけで教科は同じなのに、「旧課程」の予備校生が「新課程」の問題を解いちゃったら受験出来ない大学がうようよあった。


なので予備校の講師は年末くらいから「間違うなよ」と1000回くらい言ってたはずで。


「君らはただでさえ焦ってる。二浪したらシャレにならんからな。成人式も出られなくなる。だから試験管が『始め』と言えばペラっと一枚表紙をめくってすぐさま問題を解こうとするだろう。わかる。その気持ちはよーくわかる。だけどそこで一回深呼吸をして欲しい。君らが解くべき問題は真ん中から後ろにある。ペラっと一枚捲ったそこにはない。いいか。落ち着け。センター試験二回目以上の経験値と、そこから来る余裕だけが君らの武器だ。青臭い現役生のようにガツガツするな。落ち着いて真ん中を開け。いいか、何度も言うがもう一回言うぞ。真ん中だぞ、絶対に、間違うなよ。」



何回言うんだよ、しつけーよ。


とおもっていた僕は、『始め』の合図でペラっと一枚表紙をめくってガツガツと青臭く問題を解き、見直しまでじっくりと余念なく済ませ、「完璧…」と心で呟いて時計を見たらなんだまだ半分くらい時間余ってんじゃん。


の、「半分くらい」のとこで全てに気付いた次第でして、ここまで回想して残り38分。


以上の過程で「頭が真っ白」は比喩的表現であることが証明されたと思うけど、現実のフィジカルとしては、指はぶるぶると震えるし心臓は何故か喉の辺りでどんどん鳴ってるし頭のうしろはきんきん冷たいしで。


要するに緊急事態ですと、体がエラー音を出してるのに今更気付いて残り36分。


答案用紙のマークシートをやっと見る。
見直しまで完璧に済ませた甲斐があって、解答欄を塗り潰した鉛筆の黒には自信が満ち溢れている。

頼もしい。

ただ、これを今から綺麗に全部消してしまわなければと気付いたら、とんでもなく忌々しい。


まだ震えている手で消ゴムを掴む。
指に力が入らず、ちょっとむず痒い。
消ゴムを握っている実感がない。




突然で悪いけど、僕には父がいない35分。


かれこれ九年前、そりゃないだろうと言うくらい若くして死んじゃって、以来僕と弟は母の手ひとつで育てられた。


実際には祖父母とか親戚とか色々何だかんだあるんだけど、今時間ないし「母の手ひとつで」ってのがドラマチックだから、いいじゃないですかここはそれで。


で、まあ家庭で唯一母側の味方だった優しいお祖父ちゃんが去年死んじゃって、昭和のドラマのような「嫁姑イバラの日々」みたいな毎日に耐える母の希望の光は僕の大学合格。


何だかこうやって状況を説明していると、凄まじく親不孝な気がしてくるな。すでに一浪だし34分。


私立高校に通う弟の事も考えれば、まさか二浪はさせられず、さりとて私立大学という選択肢は去年の失敗で自らなくしてしまって、いや実はオレも私立高校出身なんだけどね。



ああもう、無理だよ間に合わないよ33分。
僕は消ゴムからそっと指を離した。


転がった消ゴムが、机の上で腕時計に当たって止まる。



僕はね。

比較的、ドライな子供だったと思うんだ。

父が亡くなってから今日まで、寂しいとか悲しいとかって特に感じたことはない。


ないと、思う。



だから片親であることに引け目を感じたり、それで父親を恨んだりしたこともない。


「お父さんがいたら良かったな」とか「お父さんがいないからこうなんだ」と思ったこともない。


だから。



だから、父さん。



時間を戻してくれとか、三倍速で問題を解ける能力を一時的にくれとか、そう言う無茶は言わない。


僕は腕時計を握り締める。

ちなみに腕時計は父の形見でも何でもない。



それでも。


父さん、あのさ。


手が震えるのだけ、何とかしてくれませんか。


目を閉じて、深呼吸をして、目を開けた。


手はまだ震えてる。

ま、そりゃそうか。


腕時計を机に置く。

残り30分。


今度は本当に「真っ白」になった頭で、ほとんどやけくそにマークシートに乗せた消ゴムには、不思議と何故だか少しだけ、指に力が入るような気がした。




何て事は、まったくなくて。


やっぱりそうかよ、このクソ親父。


と。


溜め息をつく自分の口元がちょっとだけ笑ってる形に緩んでいる事に、たった今気付いた。





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