毎年夏の記憶がリセットされている
7/24
弾丸帰省から日常に戻るも、疲労を繰り越しての暑い日は生きのびるのがやっとで、ふだんの生活リズムには戻らなかった。
涼しい部屋の中で『本の読める場所を求めて/阿久津隆』を読み終える。本が"ある"場所はたくさん存在するけれど、本が"読める"場所は案外ないことに気づく。その空間を探求し、来てくれる人に敬意を示す姿に感銘を受ける。
来てもらいたい人に敬意を全振りすることで、ミスマッチしうる人にアウェー感を演出する、攻撃は最大の防御のような精神を、わたしも模索していきたい。
7/25
昼飯で入った老舗レストランに、15年くらい前の松たか子のサインが飾ってあった。ギャルめな風貌に時代を感じた。(年齢ではなく流行の格好に)
夜、銭湯帰りの家路にて、『1個お菓子を買ったら、来週別のお菓子が無料』みたいなコンビニのレシートの存在を思い出し、家で保管したまんま交換期間ギリギリだったはずと、気持ち高ぶらせて帰宅する。しかし、見事に見つからなかった。この手のキャンペーンで引き換えできた試しがない。やり場のないむなしさをかかえて寝る。
7/26
早朝、パートナーとラジオ体操に行く(5日ぶり2回目)。前回はできなかった、8カウント目で腰を上げる動作を今日はできて、みんなと同じ景色を見ることに成功した。
帰り道、セミの鳴く音を聞いて、ようやく鳴き始めたなあとふたりで話す。厳密には先週くらいに聞いた気もしたが、ことばにしてはじめて始まった感じがした。蝉開き。今年は遅い気がする。蝉も暑すぎてちょっと自粛していたのだろうか。しかし毎年夏の記憶がリセットされているので実態は謎に包まれたままだ。今年はこうして記したので、呼び起せることを祈る。
帰ってきて、ふあふあした気分で、朝日を浴びながら、読書と水やりをするのがだいぶ多幸感がある。しかし数時間後は眠くて仕方がなくなる。生活リズムが不規則なのか、寝不足なのか・・・。
「季節が切り替わるとき習慣が消える」というのを最近うすうす感じていて、脳内学会で提唱している。
季節が変わり環境が変わると、われわれは自然と行動変容して、せっかく定着しかけた習慣を手放してしまうことが往々にしてある。北風と太陽のあの逸話のようだ。3か月続ければ習慣になるというのは半分合っていて、半分間違っている。
その対策としては、習慣のルールを見直して、無理なく、軽すぎない程度に調整することだ鍵なのではと思う。といっておきながら、わたしもぼろぼろと落としている気しかないので、取りに行かなねば。
わたしにとってはストレッチがそのひとつだ。年始から日常に取り入れるようになって、毎日かかさずやっていたけど、最近は週2、3気づいたときに軽くしかやってない。ラジオ体操に行くと、ストレッチを昨晩やってたか否かで、だいぶ可動域に違いがあったので、やっぱりやろうと思い立った。書いてたこの瞬間に。
ケイン・コスギの動画を見返す。幼少期からのヒーローに鼓舞されるのは、心強い。英語音声、日本語字幕というのもinstruct感があって教えを乞うというか、自分から吸収せねば!という気持ちになる。
日中、ブルーピリオドの新刊を買いに行く。特典を求めて遠出したかった気もあったが、しばらく歩いて、足どりが重くなり、近所の本屋で手打ちにした。その分早く家に帰ってゆっくり読むことができた。無自覚な発言を、後から失言だと自覚して、反省する八虎に見事に移入してしまって、こころがずっしりする。
夕飯前に仮眠していたのに12時すぎにもう眠くて寝る。ラジオ体操の力は偉大だ。すばらしい朝が来るには、すばらしい入眠でいかねば。
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