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私の中の苦しさの正体


裁いちゃう癖ってしんどい。
私は何でもかんでも裁いちゃうマンだった。


正しいとか、正しくないとか、
善いと悪いとかずっとジャッジしてると
どんどん自分の首が締まっていく。

無意識に私が正しいんだって相手に認めてもらおうとしてしまう。こういう理由があって、みんなもこう言っているから私の意見のほうが正しいでしょ、って。


以前の私は、自分が正しいんだって思いたくて、何とかして(無意識的に)相手の優位に立とうとしていた。


それは、自分自身の気持ちや考え方に自信がなかったから。色んな物事の判断基準の軸が他人にあったから。

ネットや周りの人の反応、正しいかどうか、多数決の多い方、みんなに認められるかどうかが、基準だった。

そういう風に捉えていた時は、自分自身がすごくしんどかった。誰かにネガティブなことを言われようものなら、「え?私が間違ってるの?違うよね?」ってもやもや。ぐるぐる。

そしてたまらず愚痴を言っては、相手の方が間違ってるって誰かに共感して欲しかった。
こんな風に考えるのは自分だけじゃないんだって安心したかった。

そして、周りの人を裁くと同時に、基準からはみ出た自分自身のことも無意識に裁きまくっていた。

「こんなことで、こんな風に思ってしまう私は間違ってる。」
「みんなと同じようにできない私はだめだ。」
いつもジャッジしていたから、居心地が悪くて神経質だった。自分の考えに自信が持てなくて、軸がグラグラしていた。


自分自身が、自分の考え方を認めてあげられなかったから、誰かに認められたくて、必死だった。

周りの人に認めてもらうことで、自分の意見には、考え方には価値がある、正しいんだって思いたかった。

『善い人でありたい』、『普通でありたい』、『嫌われたくない』っていつも気を張っていたから、使う言葉こそ、話し方こそ相手を不快にさせないように気を遣っていたが、私からは「認められたい!認めて!安心させてほしい」って気持ちが言葉の端々や態度に滲み出ていたと思う。(当時は、それにも気付いてなかった。)

でも、気が弱い私は相手を言い負かすなんてことはできないから、意見の合わない相手との会話はとても疲れることだった。

心の中で反発しながらも、相手に合わせて、自分の意見はなるべく飲み込んでいた。


ある時、何でこんなに人と話すのが疲れるんだろう、どうしてうまく話せないんだろうって考えて、もうずっと自分の意見を抑えつけてきた自分に気付いた。


『どうせ認めてもらえない』


そんな拗ねがあった。
繊細さゆえに他の人と感じ方が違うというのもあったかもしれない。

子どもの頃からこんなことを言ったら怒られる、嫌われると思って、言葉を飲み込む癖ができた気がする。


私の伝えたいことがうまく伝わらなくて、相手を嫌な気分にさせてしまったこともあった。
「そんなことが、言いたかったんじゃないの。」 「誰かを傷つけたかったわけじゃない。」
「怒らせたかったわけじゃない。」
そう感じることがよくあった。

うまく伝えられない怖さも相まって、
自分の意見は言わないほうがいいかもしれないってそんな風に思うようになっていった。

私の思うこと、言いたいことってそんなに重要なことじゃないし、価値があることでもない。

そう言い聞かせて、飲み込んで、
自分の意見は出さないように。



でも、SNSなどを通じて同じように繊細に感じている人たちを知った。

そして、その人たちが自分の感じ方や意見に愛を持って大切にしている姿勢に衝撃を受けた。

「私が思うこと、感じることは、間違ってなかったんだ。この気持ちは、大切にしていいものだったんだ。」
ってやっと自分自身で認めてあげられた。

私の存在そのものをまるごと受け入れることができて、自分の中心にピントが合った初めての感覚だった。

その時の気付いてもらえたって内側からの喜びと心からの安堵感。

この日のことは一生忘れないと思う。



考え方が違うだけ。

感じ方が違うだけ。

そこに優劣はない。

生きてきた環境が違うから、
そして全く別の人間だから、
私の世界になかった考え方をする人がいる。

私も正解。あなたも正解。


湧き上がる喜びも、苦しみも、
どんなささやかな願いでも
それがみんなと違っていても、
私にとってはそれが正解。

誰かにわかってもらえなくても
これは私だけの、大切な気持ち。

私だけが、わかってあげていればいい。

もう戦わなくて大丈夫。
無理に誰かに認めてもらおうと躍起にならなくていい。

私の思いは、
私が、ちゃんと受け止めて認めてあげる。


私には、私の嬉しい、悲しい。

あなたには、あなたの嬉しい、悲しい。

100人いれば、100通りの感じ方がある。


誰かに認めてもらえたら、
共感してもらえたら
それはとっても素敵なことだけど、
もし認めてもらえなくても、
私は、もう大丈夫。


みんな一生懸命生きてきた中で、たくさんの思いを抱えている。みんな違って当たり前なんだって気付けた。


人も自分も裁かなくてよくなって、

私の心に平和が戻ってきた。






最後まで読んでいただいてありがとうございます。



みなさんの毎日が、優しさに溢れますように。




Ao(あお)

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