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く日常のぼやき 37 ウクライナ侵略から、歴史の教科書の出来事には、沢山の人々の想い(怒りとか悲しみとか)が込められてることがわかる

 世界で、まだまだ新型コロナウイルスであたふたしている最中に、ロシア(というか、プーチン)が、ウクライナ侵攻という、なんか、きっと、今後の歴史の教科書の一ページに加わりそうで、そんな大きな出来事が、どうして起こったのか?と、色々推測するのも、歴史好きな人には、少し興味がそそうることも?もちろん、直にその混乱の中に放り込まれてる人たちにとっては、自分が生きる死ぬか、じぶんの国が残るのか残らないのかの瀬戸際なので、それどころではないと、だろうと。
 でも、こういうことの繰り返しで、歴史は、作られてきたわけで。
ただ年号覚えて、◎●が起こりました、出来ました、戦いがありましたを、丸覚えすれば良いものでは、ないのが歴史の面白さなのでしょう。
(歴史嫌いな方がはまる罠)

 プーチンに訊いてみたい。何故このことが起こしたかと。
色々な推測があり、タイミングもあるのかも?
しかし、たぶん、未來に歴史を学ぶときには、プーチンさんには、訊けない。あ、今でも、難しい?

私たちが、2019年末くらいから悩ませられてきた新型コロナウイルスに関しても、後々の教科書には、
2019年の終わりごろから世界中の多くの国々で新型コロナウイルスという感染症が広がり多くの人々が亡くなった
ということぐらいで表現されてしまうのだろう。
その文の中には、大事な家族を亡くしたり、自分もひどい目にあったり、マスク騒動、ワクチン論争、があったり、仕事無くして途方にくれたり、学校にいけなくなったり、旅行にいけなくなったり、人各々に色々な想いが含まれている。

そうなのだ。
本当は、その出来事一つ一つに色々な想いがあるのだ。
色々想いが積み重なって、歴史の出来事になっていくのだろう。

それをみつけていくのが歴史の面白さでもある。
そして、その時代に生きてた人たちの想いが感じとられたら、暗記の歴史ではない、歴史を学ぶことが出来るのではないだろうか?


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