パン職人の修造111 江川と修造シリーズ ロストポジション トゲトゲする空間
パン職人の修造 江川と修造シリーズ ロストポジション トゲトゲする空間
このお話は全てフィクションです。実際の人物や団体とは一切関係ありません。
修造と江川は無事にリーベンアンドブロートをオープンさせた。
最寄りの笹目駅からは少し離れているが近くにバス停もあるし、車は駐車しやすい場所にある。
連日の大賑わいに修造と江川、そしてパン職人たちは皆自分のポジションで頑張っていた。
修造は2階にある事務所に注文書を取りに行く為に階段を上がろうとした時、新入社員の平城山妙湖(ならやまみょうこ)に呼び止められた。
「修造シェフ」
「平城山さん、仕事はどう?もう慣れた?」修造は振り返って穏やかに声をかけた。
「私辞めます。明日から来ません」
「えっ辞める?ちょっと待ってよ、この間はあんなに楽しそうに仕事してたじゃないか」
修造は驚いて言った「それにまだ入って8日でしょう?契約書には辞める3ヶ月前に言いますって書いてあるじゃないか。それに君はここの正社員でしょう?」
「はい」
「急に抜けたらみんなに迷惑がかかるよ?」
平城山は黙って下を向いている。
「何が原因?朝早い仕事だから?」
「いえ、そんなんじゃないです」
「家から遠いから?」
「いえ」
「人間関係で何かあったの?」
「いいえ」
なかなかはっきりと言わないが順に聞いて行くとついに言い出した。
「ここに来る前転職サイトを色々見て」
「うん?」
「候補が二つあってどちらにするか決めかねたけど世界一のシェフがいると聞いてここにしました」
「うん」修造はなんというのか全く理解できない世界を知りたい様な感じで聞いていた。
「ここは忙しすぎます。もう一軒の方がきっとここよりマシだわ」
「まだ開店したばかりだからね。皆慣れていないし、もう少ししたら落ち着いてペースを掴めると思うよ」
「面倒な仕事を押し付けられてその後延々とそれをやらされるなんてごめんだわ」
「面倒?押し付ける?確かに初めは手が掛かる事もあるかもしれないけど慣れてきたらそうは思わないんじゃないかな」
「私辞めるしもう関係ありません!しつこく聞くなんてパワハラだわ!私もう一軒の方のパン屋に行きます」
キレた感じで言われ、次の日から本当に来なかった。
修造は一旦平城山の為に出した社会保険や労働保険、住民税などの届け出を今度は異動届として出した。
「こういう時は日割り計算なんだな」給料計算をして、その後欠員補充の為に求人広告雑誌掲載の依頼を担当の人にメールしながら頭をよぎる。
きっと他のパン屋の面接を受けるんだろう。
サインをしようがハンコを押そうが知ったこっちゃないんだな。
「規則とか罰則なんて辞めたくない者の為のものなんだ」
修造は初めてその事を知った。
一方その頃
江川は工房と裏庭の間にある倉庫で納品された品物をチェックしていた。今から使う物も集めて工房に持っていく。
「これとこれと、、あれ?」
自分が思ってたよりも減りの早いものがある。
どういう事だろう?
誰かが使い過ぎてるのかな?
工房に戻ってみんなの動きをよーく見てみた。
和鍵希良梨(わかぎきらり)がクロックムッシュの上にこんもりとクリームを塗っている。
「ねぇ、そんなに塗ったら多すぎるよ。決められた量があるんだし。ねっ」
「私ちゃんとやってます」
明らかに塗りすぎなのに、和鍵は平然と言ってきた。
「えっ!でも、、」
和鍵は江川に言われた事を無かったことにしたかの様に無視してまた作業を続けた。仕方ないので江川は和鍵の作ったクロックムッシュを量りで計って見せた。
「ほらね、30gも多いよ。1個や2個と違って沢山作ってるんだから途轍もない量になっていくんだ」
和鍵はムッとして上に塗ったホワイトソースをスパチュラでこそげ取った。
「あっ」
「これで良いんでしょう?」
「何その態度」
江川はびっくりして言った。
和鍵は顔を近づけて小声で言った「偉そうに、私達とそんなに年も変わらないのに上司面して」
「そんなつもりじゃないよ」
「江川さんは良いですよね。修造さんから特別に可愛がられて」
和鍵は首をクネっと曲げながら言った。遠くから見てると可愛いポーズで話してるように見える。
「特別じゃないよ。なんでそうなるの?話をすり替えないで」
「でもみんなそう思ってますよ。オーナーに言われるならともかく、江川さんにそんな事言われたくないわ」和鍵は顔を近づけて小声で言った。
「とにかくちゃんとしてよね」
声を震わせながらそう言って、江川は足早に事務所に戻ってきた。
「みんなそう思ってるのかな」ソファに座ってドアの方を見た。
工房に戻りにくい。
言いたい事を言われて情けなくて涙が出る。
郵便局に行っていた修造が帰ってきた。
「どうした江川!何かあったのか?」
座って泣いている江川に驚いて肩に手を置き顔を覗き込んだ。
「なんでもありません」
「な訳ないだろう?言えよちゃんと」
心配が先立って詰め寄る感じになった。
「実は材料の使いすぎで和鍵さんと揉めちゃって」
修造は江川を事務所に残して1階に降り、工房に入ろうとすると中から立花杏香が出てきた。
つづく
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パン職人の修造 マガジン56〜100話はこちら
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