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悲しみの通奏低音

先日、角膜上皮が剥がれるという
「ぶどう膜炎」という目の病気になり、
左眼がほとんど開けていられない
状況になりました。

そのため、眼帯をして右目だけで
しばし暮らしていたのですが、
そのせいもあって、否応なしに
自分の内側を見つめることになりました。

しかも、そのタイミングで古い記憶を
呼び覚ますできごとに遭遇し、
そこから這う蔦を辿るように
過去の経験を思いだしたのです。

私の過去投稿をご覧になった方で
お察しのよい方は、私の母が
エホバの証人だったことに
お気づきでしょう。

エホバの証人の子女には、
親を介して宗教組織から
さまざまな禁止事項を
与えられていました。

↓出典:https://jw2nd.com/349

  • 宗教的行事(正月のイベント・節分・ひな祭り・鯉のぼり・七夕・お盆・夏祭り・秋祭り・お月見・ハロウィン・七五三・イースター・クリスマス)

  • バレンタイン・ホワイトデー

  • メーデー・父の日・母の日

  • 年賀状・門松・お中元・お歳暮

  • 「あけましておめでとうございます」などの挨拶・乾杯・三本締・万歳

  • 組合活動、ストライキ・デモ

  • 誕生会、誕生日を祝うこと

  • 騎馬戦

  • 武道全般(柔剣道・相撲・フェンシングなど格闘技の授業、観戦)

  • 暴力的なもの(家庭によってはアンパンマンレベルからNG)

  • 応援行為(スポーツ観戦でメガホンを振ったり応援歌を歌ったり、アイドルのコンサートも)

  • 選挙参加(投票~出馬まで、学級会選挙から衆議院選挙まで全て)

  • 寺社仏閣への参拝、神棚・仏壇への拝礼

  • 偶像崇拝(十字架、仏像などすべて)

  • 宗教色のある装飾品・絵画・彫刻の鑑賞、購入、保持

  • 葬式・結婚式(エホバの証人スタイルのものを除く)

  • 墓参り、仏壇や遺影を飾ること

  • 給食の前の合掌

  • 占い(性格・血液型・星座・干支すべて)

  • 悪魔・心霊的なもの(ゲゲゲの鬼太郎~キョンシー、オーメンまで)

  • 国旗敬礼、国歌・校歌の斉唱

  • 輸血・献血

  • ギャンブル・ドラッグ・喫煙

  • 過度の飲酒

  • 兵役・武器製造や販売

  • 法律違反(エホバの証人の教義を優先するという条件付き)

  • 婚前交渉(結婚が前提であれば手をつなぐだけならOK、それ以降はNG)

  • 性器以外での性行為(夫婦間であっても)

  • 自慰行為

  • 同性愛

  • 配偶者の不貞以外での離婚

  • 三位一体、進化論の肯定

  • 両親、男性、年長者への不敬

さらに、これ以外にも
母や宗教組織にかかわる大人の
機嫌を損ねるようなことや、
不都合なことをすると、
「サタンが憑いている」
ということで

1970年代~1980年代の
エホバの証人組織では
子供に鞭を振るうことが
是とされていました。

そのため、私は母に
トイレに連れ込まれ
尻をひん剥かれて
ベルトで何度も何度も
叩かれていました。

些細なことがそういった
「懲らしめ」につ
ながっていたので

数えきれないほど
そういう目に遭っていました。

よく考えたら

悪魔・心理的なものを
忌み嫌っている宗教の
はずなのに

「悪霊祓い」をして

まして暴力反対
なのに鞭を打つという
教義の矛盾があったわけです。

とはいえ、その被害者としては
当時ひたすら恐怖を覚えるしかない
できごとでした。

あまりに辛かったので、
あの頃の痛みや恐怖についての
感情はすっかり押し殺して
しまったようです。

その期間があまりにも長く
40年にも渡ったため
当時の痛みや苦しみというものが
いかほどのものだったか

もはや実感がありません
ただ、ようやく氣付いたのは
私は長らく悲しかったということ。

それは、大人に暖かく
受け入れられた
「ふつうのこども」で
いられなかったという
ことについての悲しみなのです。

私が6歳の時には、
宗教に走る前の母に
世間体を気にするよう
しつけられ

その後本格的に宗教に
走った後は

世間体を気にしつつも
その「世間」という枠と
規範に反する宗教教義を学んで
守らされるという
矛盾に苦しむようになりました。

その結果、家も安心安全ではなく、
学校は同級生から変な奴=穢れとして
いじめられ、面倒な児童として教師と
隔たりが生じ、母に連れられて
布教活動するから地域住民にも
哀れみと疎ましさの目を向けられる・・・

さらには宗教組織においても
大人の顔色を窺って、
「いい子」でいさせようとする
圧力が強く、同年代の子供たちと
仲良くなることもできず

どこにもほんとうの居場所が
無くなってしまいました。

さらに、その苦悩に釘を刺す、
決定的な事件が起きました。

それは、小学5年生のときの運動会。
国旗掲揚と国家・校歌斉唱に
参加しない私に、ある教師が尋ねました。

「それは○○ちゃんが自分の意志でやらないの?
それともお母さんに言われたからやらないの?」

私は、「母に言われたから」
という言葉が喉元から出かかりつつも、
それを飲み込んで「私の意志です」
と言わざるを得ませんでした。

そうしなければ、家に帰って
母の鞭が待っていましたし

なにより、エホバの証人の組織から
尋問と処罰が下ることが
目に見えていたからです。

自由意志というものがあると教えながら、
その自由意志を悪用する形で
信条と行動を強要されていたことを、
子供ながらにも理解していました。

ただ、神の名において親に
「自由意志を行使しろ」と言われる
子供には、一分の立つ瀬もないのです。

そんな状況に
子供を追い込んでいることも知らず、
母の信条はその後も
エスカレートし続けました。

私は最終的に
正式なエホバの証人になることなく、
その組織も幸運なことに離れることが
できましたが

本当ならもっと無邪気で
「こどもらしい」時を送れるはずだった
小学生の頃は、おおよそ
苦痛に満ちてばかりだったのです。

とはいえ、さかのぼって
時を返せとか、他界してしまった
母を今となって責めることは
ありません。

あの当時、行き場がなくて
命を絶とうと試みた自分を止めたのは、
皮肉にも母が躾けた「世間体」でした。

私が自死を選んだら、残された家族は
世間の目があるからその地域で
暮らしていけなくなる

そんな思いが私を引き留めたのです。

翻っていまだにその「世間」と
馴染んだ感じはありませんが、
色々なできごとに直面し、
衝突を繰り返しながら、
周りとどうにか折り合いを
付けてきました。

それだけに、子供のころの感情が
時間をかけて澱のように心の底に
沈んでいき、表面上の
感情に左右される月日が
流れていきましたが

今となってようやく
その澱の正体を認識するに
至ったのです。

人はほんとうに自分で認識したものしか
受け入れたり変化させていけないもの
なのかもしれません。

長らく悲しかったということは
変えることができない。

でも、それをそれとして受け入れて、
ようやくそこに左右されずに
これからの選びを変えていくことが
できるように思うのです。


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